奢り奢られ

私は奢り奢られるということにおいて二つのルールを持っている。
『せっかくだから遠慮しない』
『後輩は自分の後輩に奢ればよい』
これは母と先輩からの教えでもある。

母は、おもてなすということに関して遠慮がない。
田舎の実家に泊まりに来た私の友達に対して、お土産代を出していた時はさすがにホスピタリティが過ぎると思った。

そんな母が私と友人と外食に言ったときに母が友人に言っていたのが一つ目の言葉だ。
『せっかくだから遠慮しない』
母曰く、奢ってくれようとしている人に対して一番失礼なのは、気を遣って安いものを選ぶことらしい。
もちろん「申し訳ない」という奢られる側の謙虚な気持ちは大事だが、そもそも奢る側はお金を消費する覚悟をしてきているのだ。
その覚悟を無碍にする方が「申し訳ない」のでは?というのが母の考えである。
だからこそ、せっかくの覚悟を無碍にしないためにも遠慮しないことが重要なのだ。
(もちろん良識の範囲内での話だが…。)

そしてもう一つは、私が学生時代の頃にお世話になっていた先輩から言われた言葉だ。
『後輩は自分の後輩に奢ればよい』
その先輩も先輩からこの言葉を言われており、更にその先輩も先輩に言われたらしい。
先輩曰く、奢りの連鎖が起こることが重要らしい。
この奢りの連鎖というのは、つまり恩の連鎖というもので、恩という暖かいものをリレーしていくことが重要なのだそうだ。
(もっと色々言っていたがだいたいこんなことだったと思う)


私はこの二つのルールで奢り奢られの選択を決めている。
こういうルールがあるのは、無駄に考えてしまう癖のある自分にとって非常に助かるのだ。

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