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「ギターの先生」に時々思うこと

おいっす、何となくTwitterをバカな名前で運営してたらオフ会で両手の指じゃ足りない人数の人たちから「爆乳魔法少女の方ですか?」と言われてしまったいのくまです。
写真はシンバルを丸洗いする年一回の恒例行事の風景ですね。
みなさんもシンバル丸洗いしてますか?

このnoteを書かなくなって2年が経ちました。
今でも時々もっとnote書いてくださいよと言われ、お前読んどったんか?!みたいな人にまでお声がけいただくので前ほどの精度や結論は持たないものの……毒を吐こうと思います。

私と言う人間は幸いにも育った環境、自分の偶々手に入れた技術や能力を下敷きに、色々な人と関わり色々な場所で様々なプレイヤーと会話し、繋がり、そして意見交換をする機会に恵まれてきた中でふと感じた傾向が幾つかあるな…と察してしまった事があります。
自分は関わってきた中でギターを教える立場の人に、私個人の能力を一切見せていないにも関わらず
「俺がギターを教えてあげる」
「俺のところで教わらないか?」
みたいに明らかに自分の方が能力で相手にマウントを取れる前提で来る人が稀にいるんですね。

いや、自らの技能に自信を持たれるのはとてもいいと思うんですよ、唯言うと勿論例外もあるんですが…
「俺、その出音だったら喜んでハコのマーシャル直結にしてライブする方が良い…くらい恥ずかしいわ」って出音だったりPAさんに独りよがりな発注をする人だったりしてしまう相関関係が感じられたりして、色々と考えるようになりました。


1.誰でも黒帯師範になれる世界

ギターは芸術に使うツールという前提の基、資格や履歴書に書けるようなスキルが存在していないので、街道場のよくわからない流派の誰が認定したかも定かではない黒帯有段者の師範宜しく「ギターレッスン」を開講し先生になれます。
ただ勿論得手不得手はあるわけで、フラメンコもクラシックもブルータルデスメタルも解説できる演奏者はまず存在しないわけで、別のパラメーターとして同時に回路図を書いてアンプの動きを説明したり、「インピーダンス」をLCRを用いて説明したり、パワーサプライの”独立型”の利点を説明できる人が卓越した演奏技術を持っている訳でもないわけで、その能力は曖昧です。

ここまで大きな風呂敷をドカンと展開したかというと、ここまでの内容を理解している人間はまず「自分に教われば上手くなれる」「いい音が出せる」「いいギタリストになれる」なんて包括的であり曖昧な言葉は口が裂けても言えないわけです。
そして、年間数百万も学生に払わせておきながら「回路的な動作の説明を一切しない音作りの授業」や、「10年前の2chとニコ動の延長みたいな音作りの解説」をしちゃう恥ずかしい先生なんて産まれようもない話なわけです。

……まぁ、こういう書き方をしたという事はそういう情報が聞こえてきたんですけどもね…。

2.本当によかった先生

自分は幸いにも「ギターを教える立場の人」の知り合いも何故か沢山います。
勿論の事、若輩の自分は尋ねた事があります。
「ギター教えてください!」
教えてくれた先生は自分の能力と僕のスタイルを照らし合わせて
・今の自分スタイルの延長線上で活きそうで得意で説明できる事
・やりたい事で視野を広く持つための外部とのコミュニケーション
・純粋な演奏の意見交換
この辺りに的を絞って教えてくれました。
教えてくれない人は
・得手と不得手を照らした時に教えてメリットが生まれるか難しい
・教える事でバランスを崩したくない
みたいな捉え方をしてくれました。

要するに「先生」なので、相手を理解して引き出して、自分の得意を足して何が生まれるかを尊重して考えてくれる存在だったわけです。

3.自分の所に質問を飛ばしてくる人達

ここで少し飛躍する話として、最近は何人かのギターの先生が集まってチームを持っているような所も多々あるわけです。
でも「ジャンル」や「スタイル」、「レベル」事の先生の割り振りはあっても、「音作りの構造を説明するエンジニア」も無しだったりするわけです。
別に自分は御意見番になったつもりも、無ければ偉くなったつもりも無いのですけれども、守備範囲の問題で餅は餅屋されているのか
「いい音の出し方」
「いい音ってなんですか?」
とか聞かれる事があります、そして往々にして「人に聞く」タイプの人が割合としては多いわけで、師事している先生に聞いたけど何も見つかってない状態の人達が言うわけです。

当たり前なんですけど、先生たちも説明できないんですよね。
スピーカーキャビネットを5台並べてこのキャビいいよねダメだよね、なんて実演したところで、その手前の基礎教養としてヘッドアンプがどんな機能をしているかがあるわけです。
少し話が工学部チックになりましたけども、結局ザックリしたギターの先生やギターの先生チームでは補えない部分を補おうとして、結局レッスンとして破綻してしまっていると言えます。

4.だからどう言う事なんだってばよ

結果何が言いたいかと言うと、曖昧な先生が増えすぎて結果「先生」に何を教わっているか、地盤がゆるゆるな学校や組織が多くてそれが負の連鎖を招いているような印象を受ける昨今です。
だからといって、教わる側がそれを選別する仕組みもなければ、教える側のメソッドや確立されたジャンル分けもないんですけどね。


……正直あくまでもこの記事は問題提起で、思考過程の途中だと思います。
一つの問題提起ですけれど今人から教わって伸び悩んでいる人、教わることを考えている人、モヤモヤを分割して疑問に分けられていない人の思考材料になればいいなと思います。

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