「行けば誰かいる」
ボウリング🎳と盆踊りの共通点シリーズ
6月の日枝神社「盆踊り界の賀詞交換会」に出席し、あらためていろいろなことを考えまして、それを書いてみる。
まず思ったのは、盆踊りは「いけば誰かいる」のだということ。
これがボウリングとの共通点。
いけば誰かいる、っていう関係性がとても心地よい。
これは、実は仕事も同じだよね。いけば誰かいるっていうのは。
という意味では、仕事とそれ以外のライフ・ワークは等価である。(ちょっと強引な結論だが。。)
仕事とはそもそもデフォルトのライフ・ワークであるからして。
ところで
自分はプライベートではガチヒッキーだし、外に出るにしても基本単独行動か家族と。
なので、(よく誤解されるのですが)決して交友関係が広いわけではなく、私の「交友」とは必ず誰かがいるとわかっているところにいってるだけ。
その「場」で交友するだけでありたとえば終わった後飲みに。。とかそういう流れにはならない。
自分はね。他の人は知らない。
つまり、自分が足繫く通う「場」っていうのは、自分にとって「プライベート」の位置づけじゃないんです。
もっと「公」に近い。
そういう場になぜ通うのか。そこに行けば楽しいから。。?
それはある側面ではYesだけどそんな甘っちょろいもんじゃないと思う。
趣味じゃないし。
たとえばボウリング場に行くとすると、練習であれ大会であれ、行く前にワクワクルンルン気分であることはまずない。
どっちかっていうと苦しい。(朝早いし。。。)それでも行くのはなぜかというと。。
重い腰を上げ、一旦そこに行きさえすれば、楽しいから? 上達が実感できるから? 充実感を得られるから? 行けば誰かいて楽しく談笑できるから?
。。これらは、正しいんだけど、いちばん大きな要因ではない。
なぜ行くのかというと、「行かなければならないから行く」
言い方を変えると「予定したから行く」
それだけなんだよね、たぶん。
自分がそう決めたから、行くだけ。
という意味でも仕事とそれ以外のライフ・ワークは等価である!(さっきと同じ結論😤)
仕事の現場もボウリング場も盆踊り会場も、自分が通う「場」という意味では同じことだ。
そして仕事&ライフ・ワークと「趣味」とは明確に線引きされるものである。
趣味とは純粋に楽しみだけを追求してよいもの。特に予定をしないもの。
行きたく(やりたく)なったらすればよいし、気が乗らなかったらやらなくてよいもの。
※仕事とライフ・ワークとは明確に線引きすべきではないです
さて、自分にとってのプライベートの定義とは
何をしているときかというよりも「自分のホームグラウンド(テリトリー)にいるとき」。
具体的には家、地元(近所)、あるいは昔の地元、好きな街。
そして好きな店。好きな店は地元か、昔の地元か、好きな街にある。
自分が一番安心している状態(空間)。そこにはほとんど人を入れない(絶対じゃないけど)
私は、人を入れない、のだが。。。
自分が入れなくとも、家に帰ると誰かいる(爆
(家族は当然として、家族以外ってことね)
気質的にはガチヒッキーなのに、高い頻度で誰かいるから、現実は自分をヒッキーにさせてくれない(笑)
そういう状況は、自分にとってはとてもよかったと思うね。
ある種の修行として。。。(笑)
おしまい