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英才教育について雑に考えてみた

長男くん小学校の頃鉄の #英才教育 ?で定期購読させていた"DJ" #鉄道ダイヤ情報
今になって読み返しているらしい。
正しい。

当時はいわゆる積ん読で、届いたその日にぱらぱらめくって写真を眺めるぐらいだった。内容が小学生にとって難解なのは承知の上。

たとえそのときにはわからなくとも与えておく、という「余裕」は子育てにおいてとても大事だ。
与えておくだけで意味はある。

たとえば #中学受験 に引きつけていうと、中学受験というアクティビティは小学生のうちに中高校生が解くような問題を「与えておくという余裕」ではなくて「実際に解かせる」。
そりゃそーです。実際に解かなきゃ合格しないんだから。

長男の例でいうと私が毎月強制的に難しい #鉄道 雑誌を読ませて、一緒に鉄の実践(乗り鉄)に行き、最後にレポートを書かせるようなもの(笑)
→そこに余裕はない。

お受験は #早期教育 に過ぎず英才教育ではないということです。おそらくほとんどの習い事も同様です。
→理由:余裕がないから(しつこいw)

早期教育を否定するものではありません。(子供が嫌がっていなければ)
実際この国ではたくさんの「秀才」が育ち、それが経済を下支えし、国益にはなっています。

早期教育をなぜ早期に行わなければならないか?それは、手っ取り早く結果がほしいからです。いや、ほしいってゆーか結果はMUST。しかもASAP。
早く結果がほしいのだから早く始めるのは当然。理にかなっています。そして過程よりも結果重視。
それがいいか悪いかの議論は別なところで、ですね。

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