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元ひきこもり、同窓会に参加する

昨日、30年ぶりに中学校の同窓会に参加しました。これまで、対人関係が苦手で孤独を選んできた私にとって、それは大きな挑戦でした。 

この一日を通じて、人との繋がりがもたらす「豊かさ」と「前向きな気持ち」の大切さに気づかされました。その経験を共有します。

孤独を選んできた理由

私は長い間、対人関係に悩んできました。気を遣いすぎて疲れ、他者の評価を気にして無理を重ねる日々。そんな生活を続けるうちに、人間関係を断捨離し、孤独を選ぶ道を見つけました。

人と距離を置くことで生きやすさを実感し、次第に「孤独を楽しむこと」や「個を磨くこと」に価値を見出すようになったのです。

そんな私のもとに昨年届いたのが、中学校の同窓会への誘いでした。

普段なら断るところですが、連絡をくれたのが仲の良かった友人だったこと。そして、ひきこもりを脱して、いわゆる『自立』を始めた今なら「何をしているの?」と聞かれても、恥ずかしくないと思えたこと。

この二つの理由が、私を30年ぶりの同窓会に向かわせました。

同級生たちの変化に驚いた時間

会場に入ると、目の前に広がっていたのは「大人になった」同級生たちの姿。

中学時代、不良グループの中心だった彼らが家業を継いで社長になったり、自分の事業を興していたり。その成功以上に私を驚かせたのは、彼らの内面の成長でした。

例えば、幹事を務めたのは当時の番長格だった人物。中学生の頃の姿しか知らない私には、彼が礼儀正しく腰の低い態度で場を仕切る姿は驚きそのものでした。

また他の人は、「無理に誘わなかった」「次回タイミングが合えば来てくれればいい」と、出席できなかった人への配慮を自然に口にする彼の姿勢には感動を覚えました。

さらに心に残ったのは、会の雰囲気です。誰一人として悪口を言う人がいない。全員がこの空間を大切にし、楽しんでいるのが伝わってきました。その心地よさに、私自身も自然と肩の力が抜けていきました。

記憶が塗り替えられる瞬間

同窓会を通じて、私の中の「中学時代の記憶」が大きく塗り替えられました。

私はいじめを経験しており、当時の学校生活全体を「灰色」として記憶していました。

しかし、同窓会での会話や笑い合う時間の中で、楽しかった瞬間や笑顔の思い出が鮮やかに蘇りました。忘れていた「色彩」が、記憶に戻ってきたのです。

また、私はひきこもり経験者として地元の新聞で取り上げられたことがあり、そのことを知っている同級生も少なくありません。

それでも誰もその話題に触れず、自然体で接してくれたことが何よりも嬉しかった。腫れ物扱いされることもなく、過剰に気を遣われることもない。それが私の心を温かくしました。

苦しみは誰にでもある

同窓会の時間を通じて気づいたのは、誰もが順風満帆な人生を送っているわけではないということ。

中学卒業から30年、皆それぞれの試練を抱え、それを乗り越えたり、立ち止まりながらも今を懸命に生きていました。

私は長い間、自分だけがいじめや介護、ひきこもりに苦しんできたと思い込んでいました。

しかし、苦労の形は違えど、他の人々もそれぞれの試練と向き合いながら生きている。その事実を目の当たりにして、「自分だけが特別な苦しみを抱えているわけではない」と気づかされました。

まとめ

これまで、孤独を選び「人との繋がりを断つ」ことで自分を守ってきた私にとって、この同窓会は新たな価値観をもたらしました。人との繋がりは、私たちに豊かさと前向きな気持ちを与えてくれる。そのことを深く実感する時間だったのです。

同じ時代を生き、異なる試練を乗り越えながら今を生きる同級生たちと過ごしたひととき。その温かさを胸に、これからは人との繋がりを少しずつ大切にしていきたいと思います。

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