【創作】Dance 10
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第10話 待ち時間~父親と赤い星~
「わぁーもう無理やーあかんて」
潤はベンチに雪崩れ込むように座った。
青ざめた顔色で目をつぶっている。
「潤さん大丈夫ですか?」
結月は潤の横に座り心配そうに様子を伺う。
「だから...あれだけやめとけって言ったのに...潤はジェットコースター系苦手だったじゃん」と星一はあきれたように潤を見つめた。
「いや、そうなんやけども、今日はいけるかな...っておもうてしまった。だって1人で残ってるなんてさみしいのよ。僕はせいちゃんと緑川さんと楽しさを共有したかった!これぞ青春!これぞ若さ!!」
「楽しさを共有って...ちっとも楽しそうな感じになってなかったぞ。目がぐるぐるして漫画みたいな顔してた」
「いや、僕はこういうどうにもならない苦しみから何事も学ぶタイプなんや。こんな感じでも案外楽しいんやでー」
「潤の言ってることはわかるようなわからないような感じだけども...まあ、仕方ない。ここでしばらく休んでいこう。結月さんごめんね」
「せいちゃんがなんで僕のことで謝るん?」
「そうですよ。星一くんは悪くない」
「あと...潤さんも悪くないです。どうにもならない苦しみから学ぶことは私もあるから」
結月は先ほど化粧室で濡らしてきたハンカチを出してそっとひかえめに潤に渡した。
潤は薄目で結月を見つめながら軽く会釈をしてハンカチを受け取った。そのまま目をおおいかぶせるように当てる。そして星一にいつも通り、無茶な投げかけをする。
「なぁ、なんでもええからせいちゃんが何か気晴らしにお話してー。話題がなかったら子守唄でもええよ」
「子守唄...は無理だけども、俺の話、か...なんでもいいんだろ?さっき乗ったアトラクションで思い出したことでもいいか?」
星一は足を組み替えて、姿勢を直した。
「さっき乗ったアトラクション。
炎の演出がすごかったよな。火がすごいメラメラしていて、火の粉がこちらに飛んできそうで...とてもスリルを感じたよ。最近の技術ってすごいなーって感心した」
「それで、見ながらふと思い出したことがある。
俺の家さ
一回、火事になったことがあって」
※※※
たまたま家族全員が自宅を留守にしていた白昼に、星一の自宅は火災で全焼してしまった。
留守にしていた家族は全員無事ではあったが、我が家がメラメラと燃えている光景は、中学生の星一に大きな衝撃を与えた。立ち入り禁止の黄色いテープの向こう側で、見慣れたはずの我が家が炎に包まれて朽ち果てていく姿を、星一は今でも鮮明に思い出すことができる。
バリバリと大きな音を立てて崩れ落ちる壁、窓ガラスがぽん!とはじけて割れる音。窓から見えるはずの部屋の中の状況は、黒煙に包まれていて何も確認することができない。建物と離れていても熱気が顔面にせまってくる。現場に20人ぐらいいた消防隊員たちは、必死に大きな声で指示を出しながら消火活動にあたっていた。後から駆けつけた消防車のサイレン音がけたたましく鳴っている。野次馬の人だかりが集まってくる。どくんどくんと自分の心臓の鼓動が聞こえた。まるで映画のようだ...と星一は思った。
家族団欒を過ごした居間、思い出のつまったアルバム、母さんがいつもいた台所、姉が友人からもらって大事にしていた金魚、おばあちゃんがいつも座っていたこたつの上の編み玉や編み棒、父親に買ってもらったバスケットボール、柱につけた背比べの傷...全部全部一瞬にして無くなった。
星一たち家族は夜寝るところもなく、その晩は近くの親戚の家に泊まらせてもらった。
当時は父親も単身赴任前であったので、家族と行動を共にしていた。そういった意味で危機的な状況下ではあったが、星一の中で大きな安心感はあった。
火元は、隣家だった。
そこは空き家で長年住人がいなかった。
火災調査員が時間をかけて丹念に原因を探った。原因は煙草の吸い殻であった。
警察署の調査から、犯人は星一の学校の同級生であることが判明した。
「許せなくてさ」
「そいつ......色部ってやつなんだけどさ。俺、あいつが苦手だった」
「一回、喧嘩したことがある。なんだっけな。色部は仲間と掃除をさぼってた。そこで注意したクラス委員の女子になんか嫌がらせっていうか、からかいはじめて...その子が多汗症って言うのかな?汗を手によくかく子で、その日もチョークに汗がついてるって、不潔、汚ねぇなー、存在がうざいんだよ、ばい菌!みたいなこと言い立てて、泣いちゃってさ、その子が。
色部は日頃から目立たない男子をからかったり、圧かけたり...おどして金とってるって噂もあったけど、ずっと苦手な奴だった。その日は俺もイラッときて...結局先生に仲裁されて...それ以来、あまりかかわらないようにしてた」
「だからさ、そんなやつの火遊びで俺のうちが台無しにされた!って、俺はやりきれなかったし、あいつのことは許せなかった」
「法で裁かれればいい。少年院でもなんでもどこかに収容されてみんなの前から消えてしまえばいいって本気で思っていた」
けれども、星一の父親はそれをしなかった。
彼は放火ではなく失火罪となった。火災については示談で和解した。色部はまた学校にあらわれた。とても反省している態度も感じられず、彼は変わらなかった。またいつもの日常に戻った。そのように思えた。星一は父親の行動に違和感を感じた。「お人好しすぎる」そう思っていた。
けれども、そうではなかった。
そうではないことが中学卒業の時にわかった。
色部が卒業式後に星一に近づいてきた。彼は謝罪と...あと父親に対してのお礼を述べた。
星一は彼の態度や話す内容に驚きを隠せなかった。
星一の父親は色部とずっと手紙のやり取りをしていた。それは示談となった時の条件の一つになっていたらしい。手紙は最初は面倒くさいと思っていたが、星一の父親は彼を責めることも一切なく、ずっと根気強く関わり続けていた。
「お前の父親は、すごいと思う。人を許せる人は...強い人なんだなって思った。俺は大人なんて今まで誰も信じていなかった。でもああいう人がいるんだな」
色部の両親は離婚していた。経済的にも豊かではないという噂もあった。だからといって許されるわけではない。本人がやったことは罪として問われるべきだと、強制的に収容されてどこかで更生するべきだと星一はずっと思っていた。でも...「正す」ことでもなく、人が変容していける手段があることを、彼は目の当たりにした。
後にある本にこのようなことが書かれていた。
彼は不意に父親を思った。
俺も川の向こう側へ行きたい。
単なるお人好しだなんて表面的に決めつけていた。深く深く川に潜って...そこからまた浅瀬に出るのだ。そういう人に自分もなりたい。
父親と夏にキャンプに行った夜のことを思い出す。
星を2人で眺めた。
星をさして父親は言った。
「赤い星は温度が低く、年寄り星。年数が経って宇宙に還る日が近づくと赤く光を発する。南の方に見えるのはアンタレス。変光星と言って明るさが日によって違う。空気がいいのか今日は肉眼で見えるな」
「『星一』という名前は『赤い星』をイメージした。赤い星は北海道では『開拓使』のシンボルマーク『五陵星』と呼ばれる。開拓使の付属船船長だった蛯子末次郎が、旗のマークとして赤い星をデザインしたんだ」
「たくましく育ってほしいと思って名付けた。どんな状況でも生きていける開拓民のような心を持ってほしいと願った。そして、熱くなくていいんだ。熱すぎなくてもいい。まだお前はアンタレスのように光の揺らぎがある。けれども...きっとまわりを...自分を大切にできる。俺はそう思っている。迷った時は空を見ろ。赤い星は、いつでもお前を空から眺めている」
そう言って
父親はカメラで夜空をパシャリと撮った。
星一はあの時の夜空を今でも時々思い出す。
父親にもらった赤い星のキーホルダーをぎゅっと握ると力がわいてくるような感覚がある。
「だから、あの時。公園で落としてしまったけれども、俺は結月さんに拾ってもらって良かったと思う。あのキーホルダーがまた君と引き合わせてくれた。何か意味があるのだと今でも思っている」
結月はうんうんと小さくうなづいた。
潤は「思わぬええ話やったよ。せいちゃんありがとう。せいちゃんがファザコンな理由がまたよく伝わってきた。父ちゃんみたいになれるとええね」と言いながら星一の肩をポンと叩いた。
そして突拍子もなく立て続けに話し始めた。
「そんな大きな心のせいちゃんにお願いがある!例の...約束のポップコーン、もう一度買ってきてもらえへんか?僕の見る限りではかなり長い列になってるけども、まあ20分くらい並べば買えると思ってる。僕はまだ目がぐるぐるしてるから、せいちゃんには悪いけども1人で買ってきてくれるとありがたいなぁ」
「お前はなぁ...そういう調子のいいところは嫌いじゃないけども、まぁいいよ。わかった。約束だもんな。行ってくるよ。結月さんは潤と待っててくれないか」
そう言って星一は、ポップコーンのワゴンに向かって人混みの中に消えていった。
ベンチからは親子連れ、カップル、友達同士。それぞれの行き交う姿が見える。手前には着ぐるみのマスコットキャラクターがいて一緒に笑顔で写真を撮っている人たちがいる。その奥は建物があり、アトラクションに並ぶ人たちの頭がたくさん見えた。その少し遠くの向こう側には観覧車が見えた。観覧車はゆっくりゆっくりと回転している。
なごやかな日曜の午後。
そのままなごやかに時は過ぎていくものと誰もが思っていた。
潤は先程とうってかわって
真剣なまなざしでまっすぐ前を向いている。
そして、少し呼吸をおいて
結月に小さく静かに問いかけた。
「なぁ...どこまでせいちゃんに黙ってる?」
「緑川さんが抱えていること、僕少し知ってるかもしれへん」
結月の顔つきが変わった。
全身にぎゅっと力が入る。
潤はまっすぐ前を向いたままだ。
観覧車はゆっくりと回転している。
日差しは傾きかけ、結月はのびた影を見つめていた。
そして空を見上げた。
昼の月がぽっかりと浮かんでいる。
「昼月は満月ではない」
と、どこかで聞いた話が思い浮かんだ。
うっすらとクリーム色をした欠けた月の光と影。
回転するものたち。
光が当たらない影の部分にも
時間が経つと光は当たる。
時間はせまり
潤は影をみつめようとしていた。
結月は少しずつ光を受け入れるように
クレーターをまた一つ飛び越えようと
ゆっくりと話し始めた。
11話へつづく
挿し絵協力:ぷん(pun)さん