Today`s songs ごちゃまぜ43
「自分のやりたいことじゃないから正解を求めている」
常にただしいを追い求めているのは、自分を見失っているサインかもしれないなぁとふと思ったりする。
そういう時は何かの圧を感じていることが多い。
人からの圧。社会からの圧。
その圧は果たして本当に圧なのだろうか。
「どうせやっても〇〇だから」
「どうせ私のやることなんか」
それって、自分で自分を縛ってないかな。
よかれと思った嘘は、少しずつ何かが歪んでくる。
だったら最初から正直に伝えたらよかった。伝えたあとで、やっぱり反省する。
自分が疲弊して全てに雑になっていることを実感する。
私はふと、若い頃についた嘘を思い出す。
それは実習中に出会った境界型人格障害の、年が近いきれいな女の子で、彼女は私を見つけるといつも近くにかけよってきて、にこにこと話しかけてくれた。
「あなたといると安心する」
「実習が終わっても連絡できたらいいな」
「連絡先を教えてよ」
私はなんだかんだ言い訳をして連絡先を教えなかった。学生と患者さんは個人的な交流をしてはいけないと教わっていた。
今でも教えないと思う。
教えなくてよかったとは思っている。
たぶん当の本人はこんなこと覚えてもいないかもしれない。もしかして私だけでなく、色々な人に声をかけていたかもしれない。私といてもいつでも安心できるわけではない。
けれども、こういう小さな傷みたいなものが、私の中には無数にあって。
たまにちくちくと存在を知らしめる。
それは全く今と関係のない出来事なのだけども、そういう傷があることを忘れていても、たまに浮かび上がってしまう日がある。
炙り出されるのだ。
そういう時はやすんだり、はなれたりしたい。
音楽をおすすめしてくれた人たちがいる。
人のおすすめは割と喜んで聞いてしまう。
話すに足らないちょっとした心の落ち込みに、聞いているとすっと入ってくるものがある。
私は今日も音楽と共にある。
10代の頃フィオナ・アップルの曲を聞いて、どこか勝手に大人になった気分になっていた。今聞くと、逆にこの曲に若さを感じる。愛なんかそそがれなくていい。渇望しなくともよい。
私が、私を背伸びしないで不器用ながらにも生きてる限り、愛は自然と流れてくることを私はどこかで知ってしまった。
どうやら、この曲を聴くべきちょうどよいタイミングを私は逃してしまったようだ。
SIRUPさんを初めて知ったのは、音楽ではない。あるSpotifyの番組で、彼の話すことばがとても興味深くて、聞き入ってしまった。この曲を最近聴いてる。気持ちいいから...私のまわりに夜風がすっと吹いてるようで、なんにも考えずに聴きながらぼんやりしている。
こうなったらいいなと思うことがある。
あの人の気持ちが、あの人に伝わればいいなと思うし、お互いに仲良く過ごして欲しいなと思う。
けれども、私にあいかわらず何もできることはない。
今日もグミを噛んで毎日働くだけだ。
毎日、小さな発見や驚きがある。
でもどんどん忘れていく。
あの日もらった笑顔だって、もしかして忘れてしまうかもしれない。
しかし、確実に見たのだ。
見ることは変えること。
私が変わっていることが何よりの証拠で、決してそこに何もなかったわけではない。
忘れていっても見続けること。
目を逸らさずに
ただ、見続けていく強さを持ちたい。
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