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父を独占したかった

我が家にはこたつがない。

6年半前に家を建てた。
うちの家は完全に洋風スタイルで、和室が一室もない。木でできたおうちは薪ストーブがついている。

私はこの家に引っ越してきて本当によかったと思っている。以前のマンションまでずっと長年悩まされてきた気管支喘息発作の回数は、この家に越してから極端に減った。そして、冬の薪ストーブのぬくぬくとしたあたたかさといったら、それはまるで天国のようである。

うちの唯一の欠点は「こたつがない」ことだ。

いや、フローリングだってなんだって、ラグをひいてその上にこたつを置けばいいだけの話だ。けれども、それはしない。

そんなことをしたら、私を含めた我が家族たちがどうなるのかは目に見えている。みんなそこで撃沈してしまう。

絶対、こたつで寝るに決まっているのだ。

夫は特にこたつ導入に反対している。

「みんなそこで寝てしまうし、ただでさえ君はソファでほとんど寝ているのだから」

夫の言うとおり、私は、我が家のリビングにある無印良品のソファでよく寝落ちをしている。それもかなりの確率。憶測だが、おそらく50%超えは余裕かもしれない。

私のベッドはもはや無印良品のソファであると言っても過言ではない。

(お世辞ではなくかなり寝心地はいい)

なるほど、夫の提言どおり、こたつという危険なものを置いてはいけないのだと、私は自らを制しノーこたつ生活を続けてきた。

しかし、たまに思い出す。冬になると母親が出してきてくれる実家のこたつの記憶を。

朝になって目覚めると、最初にひやっとした朝の冷気を顔に感じる。窓を見上げると水滴がついている。結露だ。外の寒さが視覚で感じとれた。今日も一日寒いのだろうか。

布団から出たくない。できればぬくぬくとしたお布団にいつまでもくるまっていたい。起床せずごろごろしてると、母親にそろそろ起きるようにと声をかけられる。私は渋々と目をこすりながら、布団からはい出る。顔を洗って、眠気を覚ます。

丁寧にきちっと畳まれた洋服が必ずこたつの中に入っている。私の母親はそういう人だった。

冷たい洋服に着替えるのは嫌だろうと、準備した着替えの洋服をあたたかいこたつの中であたためておいてくれる。今考えても、すばらしきホスピタリティ精神である。

夜になるとこたつに入って、家族皆でテレビを眺めたりした。夕刻は子供たちがアニメやバラエティ番組を見る。夜がふけてくると、チャンネルの主導権は親に移り、親たちは仲良く映画や、ミュージックビデオ、ドラマを見たりする。

こたつの中はほんのりオレンジと赤の中間色でそまっており、のぞくと皆の足が見える。私はなぜかそれを見ると、やけにあたたかくほっとした気分になった。

私の親は子供の前でも仲の良さを隠さない人たちだった。私は、母と父がソファで膝枕をしあったり、こたつでお互いにもたれたりする光景を見て育った。私はそれが当たり前の景色であったので、自身が成長するまでよその家庭ではそれが当たり前でもないことを知って、少しショックを覚えた。

私は時々こたつで寝てしまうことがあった。

あのあたたかさの中でうとうとするのが、最高に心地よかった。家族の話し声やテレビから流れる音声をまどろんでいく意識の中で感じながら、眠りの世界へ落ちていくのがいい。

私が眠ってしまいそうになると、母親は「もう、あなたはお布団に行って寝なさい」と注意喚起を何度かする。

わかっている。

そんなことは私が一番よくわかっている。

けれども、私はわざとそこで踏みとどまる。

私はこたつであえて眠ってしまいたいのだ。


なぜなら、寝落ちした私を、必ず父親が抱いて布団に運んでくれたから。

私は3人姉妹の長女で、妹たちが生まれてから「おねえちゃん」と親たちにも呼ばれるようになった。

おねえちゃんはしっかりしないと。

おねちゃんだから我慢しないと......。


母親とおでかけの時も母親の左右の手は、妹たちでふさがれており、私は一人でしっかりと母親のあとをついていかねばならない。

はぐれないように!

人混みがすごい時は緊張した。都内へのお出かけが一番ドキドキするのだ。迷子になんてなろうものなら、大変な迷惑をかけてしまう。

父親はあまり家にいなかった。仕事に.....今思えば父も若く遊びに忙しかったのだ。

父親を独占したかった。

ほんの一瞬。

こたつと布団のたった数mのわずかな距離。

私は父の腕に抱かれている時は、寝ていてもうっすら意識があった。

ああ、今お父さんは私のために存在しているのだなと。

私は布団にゆっくりと降ろされて掛け布団をかけられる。

思わずにんまりとした。にんまりとしている頃はもう夢の中だ。


我が家にこたつがないまま、うちの子たちは育ってしまった。

特に息子は中学に入って身長がすくすく伸びすぎて、とうとう姉である娘を追い抜いてしまった。体重もかなりの重量級である。

今、こたつで寝られても運べる大きさではなくなってしまった。


あの体験を、我が子たちは経験できなかったな、と思うと、胸の奥が少しだけさみしくなる。


私はたまに思い出す。父の腕のぬくもりを。

まどろんで幸せだった、もう2度と訪れないあの瞬間を。


もう私も43だ。

あっという間に過ぎ去った歩んできた道のりを振り返り、また明日にむかう。むかうしかない。


今年も冬がやって来る。




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くま
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