Today`s songs ごちゃまぜ45
傷ついた心は見えにくいところに置かれる。
傷ついているのは希望。
今日も世界のどこかで希望が傷ついている。
ケアする人をケアしたいと思う。
しかし、無力な自分に気づく。
「死の臨床研究会学会」の振り返り会をzoomで行った。参加した人と、参加する予定だったけども、参加できなかった人。
テーラーリングの話になる。
テーラーリングの難しさの話になった。
話しているあなたと
聞いている私は
違う人間である。
「こうじゃないか」とこちらがことばを返す難しさ。
相手と私がぴたりと合うことはない。
こちらが推測ってさしだしたことばに、相手が引っ張られることはないのだろうか。
そのことば自体にさらに相手が傷ついたりしないだろうか。
それでも、私は何か反応を返すのだろう。
私の反応を見て、相手はまたそこから伝わっている安心感や、伝わっていないもどかしさを感じる。
それは当然、両方あることであろう。
ずれをお互いに見つめる。
ただ、それはあなたを否定するものではなく
あなたがあなたを見つけていくために
あなたの道を見つけていくために
ずれたラインから、本当に引きたいラインを一緒に考えていけばいいだけの話なのかもしれない。
自由に空に描くように。
あなたの描きたいをまなざす瞳。
私は、多くの場合「これは私でなくてよかった」と思うことがある。
こんなことは私でなくてもいい。もっとうまくやってくれる人がいる。ふさわしい人がいる。
私なんかいなくても世界はまわるのだ。
だから、ついつい考えてしまう。私でなくてもいいんだよ、と。
けれども、上の文章がしめすように
たまたま、私はそこにいた。
たまたま、出会ってしまった。
たまたま傷ついた心をみつけてしまった。
たまたま力になれるかもしれなかった。
この「たまたま」に私は真摯には向き合えたら、と願う。
出会ってくれてありがとう。
ロバータ・フラックを聴いていたあの頃の自分に伝えたい。
今の世界もなかなかいいのかもしれないって。
届かなくてもいいから。
今日も祈っている。