森のくまさんは・・・
あるところに森にすんでいるくまさんがいました。
くまさんは、ある日仲のよいあいぼうのくまさんに「たのしいまほうがあるんだ」と「note」というまほうを教えてもらいました。
その「note」というまほうは、自分の気持ちをお手紙や伝書鳩のようにつたえたり、けいじばんに書きこんでみんなの前でひろうしたり、のろしのようにサインを出したり、ポスターのように自分のことを知らせて仲間を作ったりすることができました。
くまさんは「やってみたいな」と思いました。けれども自分の気持ちをとどけたい仲間は、仲のよいあいぼうのくまさんしかいなかったため、自分のnoteを花火のように空にうちあげることにしました。
しばらく花火をうちあげていました。
くまさんはうちあげた花火を見て「自分はこのような花火の種をもっていたのか。心の中にこんな種火があったんだなぁ」と気づかない自分のことが見えてくるようになりました。
少しずつ花火の感想をつたえてくれる人が出てきました。
「わたしもそんな気持ちになるよ」
「楽しかった気持ち伝わってきたよ」
「なかなかうまくいかないこともあるものだね」
くまさんはしだいに仲間がふえていくのをうれしく感じました。仲間のところへあそびに行くようになりました。
花火をうちあげていると、花火を見る人たちがふえました。
花火の種類はいろいろあり、くまさん自身が悩んでいること、考えていても答えが出ないお話、自分の傷口をみつめるようなつらい話もうちあげていました。
そのような内容の花火は、思わぬところで花火の火の粉が見ている人にふりかかったり、花火の音が気になって夜もねむれないひとたち、安心して過ごせない人たちがでてきました。
くまさんは花火をうちあげることに対してのリスクは頭ではわかっていたつもりでした。しかし、いざ目の前で自分のせいで困っている人がいると、つらい気持ちになりました。
頭でわかっていることとじっさいに体験することはちがいます。
体験を経験とする上で今後なにを考えるべきか、そして「note」というものとどうつきあっていくのか、困らせてしまったひとたちにどのように償っていいのか・・・。
「note」から少しはなれることにしました。
けれども、全部はなれてしまうことはいやであったので、自分の身の回りの何でもないようなことだけを花火としてうちあげ続けることにしました。
みんなのところへは遊びにいくことをひかえました。
はなれているあいだ、仲間たちがそれぞれにメッセージをくれました。昔の花火を思い出して、コメントをくれる人もいました。中には花火で困っていた人たちもやさしいことばをかけてくれる人がいました。
くまさんはみんなのやさしさに感激して涙を流しました。
でも、まだ以前のような花火をうちあげる勇気はでてきません。
ある日、くまさんは「にしさん」という小鳥さんが開催している教室に通うことになりました。
にしさんはきれいな青い鳥でした。今まで会ったことのないタイプの鳥で、とてもおだやかで山のような広く静かな心をもつ鳥さんでした。
その教室の初日に、にしさんはこんな話をしました。
「私がいけないんです・・はまわりの人が関わりにくくなる。私はもう言わないんで・・・はお店のシャッターを下ろしているのと一緒だよ。まわりはとりつくしまがないよね。」
「大事なのは開かれていること。想いがどこから来たのか。こういう問いが出てきた。みんなが聞いて関われる。問題はみんなに開かれていた方がいい。お互いの可動域が増えていくよ。」
くまさんは自分の事を言われたような気がしました。
頭がぐるぐるします。
教室の2日目、にしさんが、くまさんの声をきいてくれる機会が訪れました。
にしさんはくまさんの声をきいて感想をつたえてくれました。
くまさんは自分の大事なことばの時は、歌を歌っているみたいだよ。ぼくはね、ことばって「話している」よりも「歌っている」と感じているんだ。ぼく自身は話していても「歌っている」つもりだよ。リズムがあったり、重さがあったり、グルーブがあったり、響きがある。会話をする時は「一緒に歌っている」ようになれるといね。
にしさんが「歌っている」と感じてくれたところはくまさんが「人が好きな話をする時に自分もうれしいこと」「人と関わる時に遊びを介在させたいこと」について話した箇所でした。
くまさんは思います。
人がたのしく暮らせるといい。
けれどもそう簡単にはいかない日々がある。
自分自身が他者と関わる中でひとりひとりの物語がたくさんありました。
ひとりひとりの物語には、楽しいこと、つらいこと、やるせないこと、わくわくすること、胸が高鳴ること、孤独をかんじること、思いがむくわれないこと、たくさんの思いがつまっています。
また、私自身の物語もあります。
そのような事をふりかえることで、何か行き先を照らすような灯をつくること。
ふりかえるときに傷口をみつめることがあるけど、傷もかかえて前にすすんでいくこと。くまさんに関わることでつらい人たちにはできる限りの誠意のこもった本当のことばを伝えること。はなれる人にも「出会ってくれてありがとう」という感謝の気持ちをよりいっそうもつこと。
くまさんは思いました。
森のくまさんはまた、以前のように「note」と付き合っていけたらよいと願っています。
少しずつみなさんのところへまた遊びに行きたい。
今はそのように感じているのです。