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さいごに何食べたい?

美容院へ行った。

私は最近美容院をころころ変えてしまう。

極度の人見知りがあり、合わないなぁ・・・と思うと深く考えずに思い切って変えることにしたのだ。(合わないのはトーク内容的にとか、髪をイメージ通りに切ってくれるかとか、人間的なフィット感とか・・こうやって書くと私って何とも面倒くさいやつですね。)

今の美容師さんは私とほぼ同年代の男性。切ってもらうのは2回目。

私が「夫ががんを患ったこと」をひょんな事から話したら、美容師さんも「母親ががんになった」ということをひょろっと話した。

そんな流れで出た会話という前提で聞いて欲しい。

私は髪を切られながら彼に聞いた。
人生最期の日に何を食べたいと思いますか?

彼は「最期かぁ・・」「ちょっと待って下さいね」と真剣に考えだした。


***


西智弘先生という私の大好きな先生がいる。西先生は川崎市のとある病院で腫瘍内科や緩和ケア専門の領域に携わっている先生だ。そして、一般社団法人プラスケアを立ち上げ「暮らしの保健室」「社会的処方研究所」の運営を中心に、地域での活動に取り組んでいる。

西先生がnoteで毎朝ラジオを流しているのだが、そこでいつの日か「最期の晩餐練習帳」というものを話題にされていた。

これはスタジオLのイベントで聞いたとの事。詳しく知りたい方は先生のnoteをぜひ聞いて頂きたいと思うのだが、西先生は制作者の方々にインタビューもしていて、今度の本でも取り上げていきたいと話されていた。

コンセプトとしては以下の通りである。

「人生会議」を考えた時に、なるべく暮らしの中にあることばやしゃべっていることばの中から価値観を探したい。
しかし、我々は普段生活している暮らしの中で、いきなり死生観を語ったり、価値観を多くは語らないものだ。
そこで、そういった話題を気軽に促す為のツールはないのだろうかと考えた。
会話をゲーム感覚で促すツール。それが「最期の晩餐練習帳」である。
やり方は簡単。「自分の人生の最期に何を食べたいのか」を各自絵に書いてみんなの前で発表するだけだ。

***

彼は悩んで悩んで沈黙を破って話し始めた。

カレーパンですかね」

「カレーパンは・・・ぼく、独身の頃はバイクでふらっといろいろなところへ旅するのが好きだったんですね。それで、茨城かな・・バイクで行った時に、そういえば先輩が『カレーパンがおいしい店がある!』って言ってたのを思い出したんですよ。」

「それで、おぼろげな記憶を頼りに携帯で調べて行ってみたんですね。そこで食べたカレーパンが本当においしくて・・。皮がうすめなんですね。で、具がたくさん入っていて、寒い時期だったから、熱々であったかくて外で食べたんですけど、あのカレーパンに勝るカレーパンに出会ったことはないですね!あれはおいしかったなぁ。」

「でも、もうどこにあったのか忘れちゃったんですよ。もう1回行けって言われたら行く自信がない。あと、結婚したからバイクも乗らなくなっちゃったなぁ。だからそんときのカレーパンです。もう食べられないかも。」

彼はひとしきり自分のエピソードを話してくれた。

話している時はその時のカレーパンの味を思い出していたのか、何とも良い表情をしていた。そして今度は私に尋ねる。

「そういう〇〇(私の名前)さんは何を食べたいですか?」

何だろう・・・?

私もしばらく沈黙する。

私はおじいちゃんの作った茶碗蒸しが食べたい

私も話し始めた。

「私は幼少の頃、母方のおじいちゃんおばあちゃんにほとんど育てられたんですね。」

「初孫ということでとてもかわいがってもらっていました。」

「おじいちゃんは昔、料亭を経営していました。おばあちゃんはそこで芸者さんをやっていた。年を取ってから人をつかわずに2人だけで小料理屋さんを開きました。小料理屋さんは1階で、店舗とお座敷があって、2階は住居になっていたのですが、私はその2階で過ごす事が多かった。今でも鮮明に部屋の間取りを思い出せます。」

「宴会の予約が入ると、昼間からおじいちゃんは下ごしらえをしていました。あげものの準備をしたり、魚をさばいたりと大変忙しそうでした。私は外で縄跳びなんかしながらその様子をよく見ていました。」

「そして夜になると宴会が始まって、おじいちゃんとおばあちゃんは1階でお客さんの相手をしなくちゃいけない。私は1人で布団にくるまって寝ていました。でも、1人で寝るのは少し寂しくて、下の1階からはわいわいとお客さんの声やカラオケの声が聞こえてくる。そんな状況ではなかなか寝付けません。」

「宴会の途中で、私を心配したおばあちゃんが様子を見に来たりして少し安心するけど、またすぐ1階に戻っちゃうんですね。それで、おじいちゃんはおそらく、私が安心できるようにと私の大好物を作ってくれた。それが「茶碗蒸し」だったんです。作った茶碗蒸しを最初に持ってきて食べさせてくれたんですね。」

「その「茶碗蒸し」は私にとっての安心の茶碗蒸し。おじいちゃんがそばにいなくても私を気にかけてくれている証なんです。味もとても上品でおいしかった。でももう2度と食べる事はできません。」

彼は「いい話じゃないですか」と言ってくれた。

私も久しぶりにそんなことを思い出して、何だか胸がほかほかとしていた。

***

「最期の晩餐練習帳」をやってみると、参加者から様々な意見がおもしろいほどに出て来ると西先生はおっしゃっていた。

例えば「あの銀座でちょっと奮発して高かった高級ステーキがまた食べたい」とか「お母さんが作ってくれたお味噌汁が忘れられない」とか。

そして、また一年後に聞くと、案外その人の答えが昨年と変わっていたりするらしいのだ。

食べ物にまつわる思い出は、その人の大事な価値観であったり、大切な家族・友人・恋人と過ごした時間であったり、一番人生の中で輝いている良い頃であったり、逆につらい時であったり、一生に1度しかないような貴重な経験であったりと、その人の人生を彩るものを、色鮮やかにあらわしてくれる。

大事な人と過ごしていくなかで、何気なく会話を始められる良いきっかけ作りとして私もいろいろな人に今後も聞いていきたいと思う。


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くま
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