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神のまにまに

このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに
百人一首 菅原道真


紅葉にはちと早い季節ですが、今の心に近いものはこれなんだろうと思う。

30代....前職では中間管理職として働いていて、自分の仕事、まわりの人の仕事。やっと山の頂上、雲の上の見通しがついてきたような気もしていた。

今年、41になった。人生なんてあっという間だ。でもぶっちゃけ年齢はカンケーない自分もいる。若返りたいとも年を取りたいとも思わない。昔からそう。ただ毎日をなるべく楽しくていねいに生きたいだけ。

若い頃はこんな考えに対して注意を受けたことがある。

専門学校時代。
「あなたの親戚は病院を経営してるんだから、もう少し高いところを見てがんばりなさい。」と学校の理事に言われた。

正直ピンとこなかった。

今は山をまだ登ってもいないのだから、見えない頂上ばかりを望遠鏡で眺めてばかりいてもわからない。わかった気になってもいけない。

最近はGoogleマップであちこちを検索すると世界の名所の写真がいとも簡単に出てくる。これで世界は見られるから旅行しなくともいい!というのは、わたし的にはナシだ。
やはり自分のこの目、この耳、この肌触り.....確認したいことはたくさんある。

結局、理事の言う「高いところ」というのは、私の「高いところ」ではなかった。
病院経営に入り込んで組織を動かすことは私の高みではなかった。そこには全くおもしろみを感じなかったし、私はお呼びでもなかった。なぜなら、新しいことを提案すると腫れ物扱いを受けるからだ。
お互いのやり方の違い、相性の悪さ。努力も足りなかったんだと思う。でも、誰かに忖度したり….心がすり減るような努力は、一応少しはしたけれども、そのエネルギーを他に使おうと思いたって、人の縁もあって夫婦で退職後、起業した。

今の自分にできること。できないことを確認する。

そしてやりたいことはもちろん1人ではできない。

最近あらためて思うことはただひとつ。

私は私の住んでいる地域が暮らしやすくなるようにしていきたい。

なぜなら私はこの生まれ育ったこの場所が好きだし、これからもずっとここで生活していくつもりだからだ。

私自身のためだから、当然モチベーションは上がる一方である。そのおまけ的に、まわりにいる誰かが同じように楽しく過ごせればなお良い。

私の「暮らしやすく」を私自身が説明できなければならない。ここでは割愛するが、細かく細かくあげていくと自ずとやるべきことが見えてくるように思う。地図もきっと描ける。

そして、それを伝える。

相手の「暮らしやすく」とすり合わせる。

対話がどこでも必要になってくる。


30代に拾い集めたものが次々と繋がる感覚がある。

全部繋がってる。

子育ても、生活も、趣味も、仕事も….全部が全部に反映されている。

一つの分野で気づいたことが他の分野で必ず力になっている。

だから全てのことは寄り道だなんて思わない。

もう中途半端なんてことも思わない。

不器用だから充分なものは用意できないけど、でも、あるもので….紅葉のように、私だからこそ渡せる何かで、ほんの一握りの気持ちを届けたいと思う。

全ては神のみこころのままに。

そして、全ての人に感謝を。

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