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「わからなさ」とつき合う難しさ
「山崎まさよしが好きですって?!」
私の対面には先輩が座っていた。
彼女は非常勤で通っている理学療法士であって、週一回、私と職場を共にしていた。私たちは社員食堂の小上がりの畳の上で正座をして、昼食を取っている最中だった。
彼女の表情を見つめた。
片方の眉をしかめて、口元は笑みを浮かべていた。
その表情はトータル的に見てどこか好意的なものではないことは私にもわかった。
なにか彼女に間違えたことを言ってしまったのかな、と思った。
私は好きな歌手を尋ねられていたはずだった。
「山崎まさよし」
ふんっという鼻息とともにまた笑われた。
「でた!まさよし好きだよ」
「前、まさよし好きだったって人がちょっとね~変なやつでね、あぁあぁと思ったよ、あ、そう」
私は先輩にどのように返事を返していいのかわからなかったので「ああそうなんですね、なんだかすみません」と答えた。
何に謝っているのかも自分でもよくわからない。
そのあと、彼女も好きな歌手を聞かれていた。
「最近だとBONNIE PINKが好きかな。『A Perfect Sky』って知ってるかな。CMで流れてるの。私けっこう詳しいんだよ」
と話していたので
「私も好きです。BONNIE PINK。でもやっぱり『Heaven's Kitchen』に戻っちゃうんですよね。初期の曲を聴きたくなる」
と返したが、彼女の反応は鈍かった。
想定範囲外の激鈍。
長時間正座したあとの足の感覚くらいの鈍麻。彼女の反応やたたずまいはぼんやりと曖昧で鈍かった。さっきまでの勢いはどこかに消えてしまっていた。
あれ?またなんか変な事言ってしまったかな……?
午後になって同じ職場で当時働いていた、さきほどの食事の席にも同席していた夫がこうもらした。
「彼女はきっと『Heaven's Kitchen』を知らなかったんだと思う。だからなんだか曖昧な感じだったんじゃない?」
そっか、そうなのかもな……と思った。
詳しいと自負する彼女に、私は失礼なことをしてしまったなと感じた。
その日の私は、それからもやもやっとしたもの抱えていた。私は気づかずに悪意もなく色々な人を傷つけているのだろうな、とも思ったし、相手が私に言ってほしい(かもしれない)ことを言えない自分もいるし、でも自分にうそをつきたくないよなとも思っている。
これは、約20年前くらい前の昔話だ。
でもこのように書いてみて、もちろん変わった部分もあるが、あいかわらず変わってないなとも感じた。
特にすぐ上に書いたことは、今だってそれはほとんど変わっていないし、同じようなところをぐるぐるとまわっているような気持ちにもなる。
回遊魚。
ぐるぐると同じところを回っていっこうに進まない。
魚たちは自分たちが進んでいると思っているのだろうか。進んでいないことにももしかして気づいていないかもしれない。
ただぐるぐるしていて、思った事もある。
わからないことがこわいんだ、ということ。
それは、二つある。
自分が知らない状態がこわい。無知という状態に自分が置かれることのこわさ。
もう一つは、相手の文脈の中でトリガーとなるものを知らずに踏んづけてしまう。なぜつっかかられているのかわからないこわさ。
例えばSNSで、やたら攻撃的な意見を目にしたりする。
相手がどんな人だかわからない、文脈も読み取れない、少ない文字数の中で、急にとがった意見を投げ込まれることは、こわい、と私も他人のやり取りですら思う。
そんな時。
つらかったら、そこから距離を取るなり誰かに話すなり、一人で抱え込まない術を持てたらいいのかなと今は思う。
そして、相手の見えない部分、わからない部分が多いからこそ、やはりこわさが増幅するのだなと感じる。
だから、心の余裕がある時にだけ、あることを想像することにしてきた。
あぁ、この人は傷ついているのだな。
何か実生活で不安を抱えているのだな。
以前、同じような属性を持つ人たちに、嫌な経験を受けたことがあって、それを私に重ね合わせているのだなと。
先ほどの先輩の話。
今だったら私ももう少し落ち着いて聞けるのかもしれない。
「そのまさよし好きの人はどんな人だったんですか」と。
聞いても良かったのかもしれない、と思った。
あまりにも私とその過去の人を相手が重ね合わせていたら、私とその人は違うんだよなと、私自身がしっかりと自分を保つことで、少し心も平らになれるのかもしれない。
話は変わるが、先日。
とある知人が「電車とかで一人でぶつくさ言ってる人って普通に考えても、こわいよね」と話していた。
自分が幼い子供を連れていたとして、そのよくわからないまとまりのない一人言を言いながら、近づいてくる人がいたら、子供になにかしないかと不安になって、身を固くするとのこと。
さらに続ける。
たとえばその方が何か病を抱えたり障害を持っていたとした時に、「私たちへの病気への差別をやめてください」と言われたとしても、そんなの無理だよと、どうしてもこわいし、近寄ってほしくないなと思ってしまうとのこと。
私はこれを聞いて、自分の気持ちがもやもやしたが、でも何も言えなかった。ただその場で聞くことが精一杯だった。
ただ一つだけ思った。
その人と病を近づけすぎて考えることについて。
個人の話と、その人の属しているかもしれないカテゴリーの集団が、全く同じ行動になるということは、ないはずだ。
むしろこわさがあるなら、もっと自身が(勝手に)カテゴライズしたかもしれない人々の、一人一人のグラデーションを知っていく必要性があるのかもしれない。
わかる、わからないの狭間で
今日も私は悩む。
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