いつまでも巻き舌は鳴りやまず、むろん鳴りやませないつもりなんだ
娘と息子に訪れた空前の巻き舌ブーム。
2人は巻き舌ができない。
ちなみに私はと言うともちろんできない。
夫だけができる巻き舌。
「何でお父さんはできるの?」
「どうやってやってるの?」
夫は巻き舌の入っているあるセリフを話す。
「すごい。ねえ、どうやって。」
「どうしたらできるの。」
夫はyoutubeで「巻き舌」と検索し始めた。どうやらやり方が説明されている動画があったらしい。子どもたちは一生懸命巻き舌の練習をしている。
見ているだけで飛沫感染しそうである(唾が飛んでいる)
私はここ1週間くらいからっぽの脳みそを使って何かを考えていた。それは子どもたちの巻き舌を聞くと否が応にも連想してしまうものである。
しかし、その何かを思考することは、あてどない旅になりそうな事はわかっていたし、私はいろいろと自分が混乱することもわかっていた。
思考と気持ちが空中分解している。
***
「友罪」という映画を以前観た。
その中で佐藤浩市さんが「加害者の家族」を演じていた。
佐藤浩市さん演じる山内という運転手は、息子が交通事故を起こし、二つの家族の子供の命を奪ったという過去をもっていた。他人の家族を壊してしまったので、山内は自分たち家族も解散させるべきとして、一家離散。そんな山内のもとに、息子が結婚をすると話が飛び込んできて山内は怒りを覚える。
私はいつまでたってもこのシーンが忘れられずに、頭にびっとりと油のようにこびりついている。
山内に息子がせまる。「罪を犯した者は幸せになってはいけないのか。」
罪を犯した人は、どのように贖罪に向き合って生きていくのだろう。
大なり小なり罪を犯したことのない人っているのだろうか。
罪とまではいかなくとも「過ち」はきっと誰にでもある。
無知により過ちを犯す事は誰だってあると思う。
過ちを抱えていては人間は幸せになる権利はないのだろうか。
犯した過ちを責めるのは、不特定多数の人間からも必要なのだろうか。
不特定多数の人間は、相手の犯した過ちを、自身は全く関係ないものとして捉えていないだろうか。
自分もそのようなことをしている可能性について振り返ることで
相手と自分との間に勝手に作っている境界線が
そもそも無かったかも知れないことに
いつか気づく事はあるのだろうか。
もう一つ思いだすことがある。
私は精神科の実習先で、担当指導者の計らいで指定入院医療機関の見学に同行させてもらったことがある。
指定入院医療機関とは
触法精神障害者に対する心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)による入院処遇を担当させるため、厚生労働大臣が指定した医療機関である(同法2条4項)。要するに、日本における高規格精神科病棟である。
触法精神障害者とは
法に触れる行為をした精神障害者。
病院は都内だが森の中にあった。
何個もの厳重なセキュリティを抜けて見学をさせて頂いた病院の記憶は、全てを確実に覚えている訳ではないけど、あのどこまでも続く無機質な白い壁たちと、ほとんどの部屋にある監視カメラと、はじっこにひっそりとたたずんでいる入院患者さんたちの姿は今でも思いだせる。
院内を案内してくれた病院スタッフに「ぼくのまわりを離れないで下さいね」と言われた。そのセリフを聞いて背中が少し緊張してピリついた。
しかし、いざ見学がはじまると、私の目にうつる患者さんはどことなく存在感が遠く、薄く、生命感を感じ取ることが難しく「離れると何かが起きそうな感じ」が迫ってくるようなリアリティは私へは届いてこなかった。
院内では患者さん向けに「作業療法」が展開されていると案内者が話した。
作業療法室を見せてもらい「普通の作業療法室とあまり変わらないなぁ」と思った。
私はその部屋を見学しながら、自分がここの病院で勤めることができるのだろうかという可能性を想像した。
多分何とか働くことはできるとは思った。(いろいろな条件から働いてみたいとは思えなかったけれども。)
しかし、この目の前の相手の患者さんがもし「自分の家族に手をかけた犯罪者」であったらどうだろうか。
実際にはそんな事は起きないとは思う。
でも、想像するだけでも私は非常に不快な気分になるし、憤りを感じて、まともな状態では接することができないかもしれない。
傷をつけられた側は、傷をつけた人を許せない。
それは一生ものかもしれない。亡くなってなお世代を超えるものかもしれない。
そんな痛みがあることを想像する。
それでも私たちはある人には普通に接し、ある人を愛し、ある人には無意識に自身の怒りをぶつけたりしている。
人間って本当にみんな自分勝手に生きている。
自分勝手な私たちは、どうやったら共に生きていけるだろう。
私は、なるべくなら相手の存在だけでもせめて肯定できるような「やさしい世界」で生きていきたい。
***
「千葉、滋賀、佐賀!」
「あお~も~りぃぃ~!」
「ならぁぁぁ~!」
息子は練習のかいがあって、やや巻き舌っぽく話せるようになってきた。
私の家族が大好きなあのコンビのあのコント。
彼らが一生懸命練習していたそのセリフは、コントの中で出てくるものであった。
娘も息子も「練習してると観たくなるね」と言って、今日もyoutubeであのコントを検索していた。
私はそんな二人を見つめると同時に
空中分解した思考と気持ちが
宙を舞って
どこかに着地しないかなと
それはまるでオリンピックのトランポリンの選手のように
見事に着地して
ピクトグラムたちが踊っている
巻き舌が聞こえるこの不可思議な世界で
美しく弧を描いて辿り着いていく様を
いつまでもいつまでも想像しながら
ぼんやりと冷たいフローリングのかたさを感じながら
ただただ座り込んでいた。
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