やめるかも天理教修養科1000期生の日記15
気がつけば修養科も2週間を過ぎました。少し前の話になりますが、あるクラスの方が出直しされたと聞きました。
今回の出直しの話で、なぜ修養科にきたのかとか家族の方の事とか想像するとなんとも言えない気持ちになりました。
私はこれまで、仕事で何回か人が亡くなるのを目にしてきましたし、親族も亡くなりましたし、学生時代にできた親友も亡くしました。人が亡くなるときの気持ちはなかなか表現しにくいものです。人が亡くなることはわかっていますが、それはある日突然きます。突然だから心の準備も出来ません。
私の親(天理教信者の方)は後悔ない様にしているとよく言ってくれます。例えば、毎日、毎月大事な人と一緒の時間をつくるとか。特別なことをするわけではないですが、やると決めたら続けてやっています。天理教の人はおぢばに帰ることを大事にしてると思いますが、帰ること自体、おぢばにいること自体が目的といってもいいんですかね?もちろんお勤めやひのきしんなども大事ですが、おぢばに来る、おぢばにいる時間を作ることも大事なんでしょう。親の行動とか見てそう思います。
今日の修養科は鳴物練習の2回目がありました。今回はすりがねをやりました。ち〜んちき。音を鳴らすこと自体が楽しかった。
詰所に戻ってからは、ひのきしん、夕食、夕勤め、お風呂、note書き、のいつものルーティーンです。note書いてる途中に親と電話しました。なんかnoteに「後悔なく」って書いてたら親と話すのも大事だと思って。そうしたら、たまたま両親で天理時報を見ていて、修養科1000期が朝礼してる写真のどこに私がいるか虫眼鏡で探していたところだったとのこと。なので、私が映ってるYouTubeを教えておきました。
天理教は神様のこと親神様って言うんですよね。たまたま修養科来る前、親のありがたさを身をもって感じたんですよね。それがあって今回の修養科なので、そりゃ捻くれ者の私も素直に天理教の話し聞いちゃいますよね。多分、今回のタイミングじゃなかったら修養科来なかったと思う。今来れていること自体、何か乗り越えて(導かれて?)来てるんだろうな。
最後、唐突にあまさんのnote↓
あまさんのnote、詰所に来てから読み始めましたが、この94日目見て、あ、note書こうと思いました。つい数ヶ月前に身近にいた人が書いてたんだって思って。
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