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読書|多忙なあなたに贈る「寡読」のすゝめʕ•ᴥ•ʔ
あらゆることに対して対応するためのマニュアルは進化し続けています。読書なんて個人で勝手にやればいいことだと思いますが、その読書をする方法が書かれたマニュアル本まであるというパラドックス的状況にもなっております。
2024年、小説で言えば12冊! 新書やエッセイやマニュアル本は累計30冊! 読むことに成功(?)し、人生を充実させることに成功(?)しているわたくしの立場から、読書についての考えを書かせていただきます。
話題1 そもそも、読書はしたほうがいいのか?
別にしなくてもいい、が私の考えです!
おいおい、と突っ込んでくれた皆さん、ありがとうございます。笑
読書のメリットは例えば小説なら、その娯楽性にあると思います。人を騙したり出し抜こうとする技術を学ぶために「十角館の殺人」を読んだりしないわけですね。物語にどっぷり浸かり、その展開を楽しむことができるなら別に映画でも、漫画でも全然よいと思うのですよ。それが読書を強制しない理由です。
わたしはそれらのどれも好きですが、映画だと「原作と全然違う劣化版」を見させられる危険性があること、漫画だと「なんとなく自分のイメージと違う人物」を見せられる危険性があることが問題点だと思います。
一方で小説なら、自分の頭の中でよりあった人物を作り出すことができますし、役者の演技によらず、登場人物の心情を正しく感じ取ることができるのです。だから私は人気作や話題作は原作小説から手にとるようにしています。
(今後、別記事で映画を見て絶望した作品などもご紹介いたします 笑)
また、小説以外の文章に関しては、これもぶっちゃけどちらでもいいです。これらは自分の思うことを別の人の視点で感じることができたり、知らないことを学べたりしますが、今の時代はYoutubeで学ぶこともできますし、なんならnote記事でもよいわけです。よりダイレクトに心に届きやすいメッセージがあればそちらを優先してもいいと思うのですよ。
ただ、わたしは浅学な熊でして、知らない分野が多すぎるが故に、体系的に一から本を手に取りたくなることがあります。アホかと思われるかもしれませんが、高校の教科書や参考書、資格試験の教科書から読み始めた方が知識のモレが少ないように思えるので、わたしは本、とくに教科書・参考書から手にとることが多いです。政治や国際情勢についてわいわい言ってる意見を見る前に、そもそもの基本から学ぶタイプです。
したがって、わたしは上記の理由によって本を読みますが、普通に目的を達成するための手段はなんでもいいと思う派です。
話題2 多読か? 精読か?
これもよく聞く話題です。ただ、この聞き方は本来おかしくて、精読に対するものは速読であり、多読ではないんですね。私は多読と速読は類似する概念とは思っておらず、読書をする人がどれだけ時間があるかと、その人のインプットの中の読書の割合がどれだけ高いか、が人によって違うと考えます。ゆえに、めちゃくちゃ速いスピードでたくさん読む多読の方と、じっくりと読み込みながらもたくさんの本を消費するタイプの多読の方がいるのだと思います。人それぞれですね。
ここで、わたしは多読に対する概念として(そんな言葉があるのかどうかは別として)「寡読」という言葉を提唱します。「寡」という漢字は難しいですが、「寡黙(かもく)な人」「寡占(独占)産業」などの言葉によく使われます。要は「少ない」という意味です。
わたしの読書のスタンスは「寡読・精読たまに速読」です。
まずは、そのジャンルの1冊目の本は教科書を読みこみます。例えば政治経済の話題であれば、高校の教科書や準ずる参考書を買ってゆっくり読み込みます。読み終わってある程度理解してから、2冊目の本を手に取ります。2冊目の本は例えば日本の政策についての政治家の持論に関する話など読むとしましょうか。すると不思議、もともとの状態なら全然入ってこない情報が、断片的にわかるようになってくるんですよ。3冊、4冊、、、と重ねていくとわかる範囲が拡大します。さらに読書を進めると、目次だけでなんとなくわかるレベルに進化します。笑
これを速読というと怒られそうですが、目次見て読みたい部分を斜め読みするだけでその本の本質を理解できるようになります。この感覚がある人、結構いるんじゃないかな。
だから、わたしはそんなにたくさん本は読みません。(このたくさんをどう感じるかは個人差があるので、そのくらい読んでたら多読だよ、と思われる方がいるかもしれませんが。年間何百冊と読んでる人と比べたら少ない、と思ってください)
だけど、まあまあ雑学は多い方だと自負しております。それはたくさんのin putをしているからではなく、in putがこぼれないようにしているから、です。
(裏事情ですが、わたしは読んだ本の数で人を見下したりするような人間が大嫌いなので、そういった感情もありきで書き連ねています)
話題3 読書をするときのコツは?
かっこよく「コツなどない、好きなように読め!」と言いたいですがこれはあります。いろいろな方法でOut putをしていくことです。
例えば、読書ノートをつけるというものがあります。これ、おすすめです。
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上記、わたしの小説版読書ノートの一部です。その本を読んで何を思ったか、どこが良かったか、悪かったか、このくらい書いておけばまぁ忘れません。いや、忘れても大丈夫、記録として残ってるんですから。
本を読む上で一番悔しいことってわたしは「その本の内容を忘れてしまうこと」だと思うのです。ただし、こうしてしまえばもう大丈夫。この本を読みたての人ともこのノートを見ながら議論できます。このシーンがよかった、など色々もっと詳細に内容を書いてもいいのですが、それはめんどいのでこのくらいの分量になりました。ね、多読は無理でしょ?笑
小説以外でも同様に知識を1ファイルのパワーポイントスライドに集約してアーカイブ化してます。わたしの脳は限界なので、一部コンピュータに記憶の容量を代替してもらっているというわけです。
さらに、読んだ本の目録をエクセルで管理しています。出版日、読んだ日、筆者、タイトル、評価などなど。借りた本などは手元にないのでその本を持っているか、PDF化して電子的に所有しているか、あるいはもっていないかもチェックしています。司書さんごっこです。笑
以上、長くなりましたがわたくしの読書の仕方、寡読のすゝめ、について書かせていただきました。少なく太く、が私のおすすめの読書法です。ここまでお付き合いいただいた方はありがとうございます。ご意見などいただけるとうれしいです。 くまんもすʕ•ᴥ•ʔ 拝