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祖父が危篤状態になった話

母方の祖父が危篤状態になった。

両親は、私が高校1年生のときに離婚している。

私は父に引き取られたので、祖父とはもう14年ほど会っていなかった。

あまり思い出すこともなかった。

しかし、危篤の知らせを受けた時、会いにいこうと思った。

祖父は、勉強が好きな人で、定年退職後も大学の通信教育学部で勉強をしていた。

また、2ヵ月ほど前までは、大学の講義をオンラインで受講していたらしい。

幼い頃から、勉強している祖父をかっこいいと思っていた。


さて、バイクで病院まで行くことにした。

面会予定の時間より1時間ほど早く着きそうだったので、途中にあるアウトレットで時間をつぶすことにした。

買い物をすることしかできないので、とりあえずショップをまわる。

気持ちが落ち込んでいるのか、アウトレットに到着すると、考え事が止まらなくなる。

「これが、資本主義による豊かさの象徴なんだろうな」

「消費することを楽しむ施設か。よく考えたらすごい場所だな」

「商品の大部分が売れ残るんだろうな。ゴミになるんだな」

「ランニング用のシューズがほしい私と、死をまつ祖父。人間って、死ぬんだよな。」(結局、シューズは買った。)

「そういえば、小学生のときに、友達と人生ゲームをしていたな。たくさん家を建てて、いい会社にはいってお金をたくさん得た人が優勝する。いつも一番になれなかった。あと、少し苦手だった。今になって、その理由がわかった気がする。」

こんなふうに、めちゃくちゃに考え事をした後、病院へ向かう。



救急窓口で、受付を済ますと、気持ちがものすごく落ちこんできた。少し吐き気もする。

病室まで看護師さんに案内してもらう。

ナースステーションのすぐ隣の病室だった。

祖父をみた途端、14年の年月なんて忘れるくらい、身近な存在に感じた。

「おじいちゃん、誰だかわかる?」と聞いたら、しっかり目をみて頷いていた。

声を出したそうにしていた。

だから、たくさん話しかけた。

「私は元気だよ。しっかりやっているよ。大学も無事に卒業したよ。大学院で、教育学の修士号も取ったんだよ。いまは小学校の先生をやっていて、子ども達に勉強を教えているよ。楽しく過ごしているよ。私は大丈夫だよ。」

全部、たくさん頷いて聞いてくれた。

しかし、母親の名前を出したとき、顔が少しだけ雲り心配そうな表情が浮かんでいた。

心の中で、「私がなんとかするから」と前置きをして、「まあ、母親も多分大丈夫だよ。安心して。大丈夫」と伝えた。

最後の方に手を握ったが、とても冷たかった。

「また来るからね。じゃあね」とお別れをした。

次に会う時には、祖父は死を迎えているんだよなと、切なくなった。



母にはたくさん傷つけられてきた。

その事実を許すつもりは全くない。

ただ、「仕方がない人だなぁ、本当に」と、人間としての母を受け入れている自分がいる。

少しずつ、縁を結び直していきたい。

できれば、幸せになってほしい。


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