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~どこでもドアはどら焼きからできている~ 第2回ゆる読書会レポート

もはや渇望だと思った。

本好きにとって、好きな本について語りたいという想いは、希望や願望ではなく渇望だ、と僕は思っている。

「とても素晴しい本に出会いました。この本で読書会ができないかしら」
これは、ある人のSNS上でのつぶやき。

僕は、このつぶやきに“渇望”を感じ取った。
つぶやきの主は、前回の“ゆる読書会”に参加してくれた教師の女性Hさん。
優しい笑顔をたやさない、清涼な雰囲気の御婦人だ。

そんなHさんの心を揺さぶった作品とは、ドリアン助川 著《あん》である。


Hさんの“渇望”に感化され、さっそく読んでみた僕。

<本のあらすじ>
日がな一日鉄板の前に向かい、ただただ無気力に生きるどら焼き屋の店主・千太郎。そんな彼のもとに「働かせてほしい」と70才を過ぎた手足が不自由な女性・徳江がやってくる。千太郎は徳江を雇う。彼女の作る絶品の餡で、そのおかげで店は繁盛し始める。あるとき、徳江はハンセン病の元患者であり、世間の偏見と差別の目に晒されながらも、懸命に生きてきたことを知る。その生き様が、生きる気力を失いかけていた千太郎に大きな影響を与え、徳江もまた人生を変えていく。


“ハンセン病差別”と“どら焼きの餡”。

いっけん、結び付けようのないこのふたつ。
けれど、元患者の受けてきた差別を背景に、餡作りをとおして“生きる”とはどういうことなのかを、真摯に訴えかける物語であった。
Hさんが『素晴らしい本』と評するのも納得がいく。


Hさんいわく、一月後に東京都内でこの本が題材の読書会が開催されるので参加するとのこと。
参加者は医師や教師、経営者といった方々で、『敷居の高い読書会』といった印象を受ける。

そこで、ふと僕は思った。
「日本一“敷居の低い文壇バー”を自称する『月に吠える』。その2号店である『月に開く』で、同じ本を題材に『敷居の低い読書会』を事前に開催してみたら面白いんじゃないか」、と。

『依頼なき前座』。
ただのお節介ともとられかねない行動に胸が高鳴なった僕は、今回の読書会開催に踏み切ったのだった。


【読書会の趣向】
告知は前回と同様にチラシを作成し、店主にお店のSNSで発信してもらった。

当日、集まったのは計5人。
店主企画の読書会の常連さんだけではなく、20代女性のご新規さんも参加してくださった。
参加者のなかには、『月に開く』常連仲間の自称無職・Nさんもいた。
積極的に発言をしてくれるNさんは、僕にとって心強い存在だ。

ちなみに今回は参加者にどら焼きを提供するという趣向を凝らしてみた。
(近くの和菓子屋“なか又”で購入)

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【わかってはいても・・・】
参加者同士、簡単な自己紹介をすませてさっそく本の感想を述べあう。

最初に話題にあがったのは、ハンセン病についてであった。

<ハンセン病とは>
らい菌によって起こる慢性の感染症。顔面や手足の末節が麻痺したり、顔面にできた結節が崩れたりする。伝染力は弱く、現在では特効薬もある。らい予防法の名のもと、1953年から1996年まで強制隔離が行われた。(Wikipediaより)

僕の病気に対する認識は名前を知っている程度だったが、参加者さんのなかには元患者の当時の生活を知る人もいた。

「この作品は、ハンセン病元患者の孤独感をとてもリアルに描いていると思いましたね」

そう語るのは元新聞記者のWさん。現在は定年退職をして、一線を退いている。
Wさんは隔離政策が廃止された1996年当時、ハンセン病について取材をした経験があった。

Wさん:「病気を発症したということで、地域はもとより家族からも疎外され、断種政策で自分の子供もいない。彼らは孤独なんです。隔離政策が廃止されたからといって、それが変わることもない。さらに特効薬が開発されたのにも関わらず国が隔離政策を続けたことで、世間に根深い偏見や差別を根を植え付けてしまったと僕は感じています」
そう、語ってくれた。

『特効薬がある』、『感染力は非常に低い』『完治すればうつることもない』
そうは言われても隔離が続いているのであれば、人は疑い、不安になるのは必然かもしれない。
作中でも、徳江の触れたものすべてにアルコール消毒をしろと、どら焼き屋のオーナー女性が叫ぶシーンがある。徳江を周囲の偏見からかばう千太郎でさえ、徳江の住む療養所で元患者の姿を目にしたあと、言い知れぬ不安感に襲われるのだ。

さらに
「“差別や偏見はいけない”とか“過去は関係ない”とは思う。けれど、他人事ならまだしも、自分や家族がその状況に置かれる、つまりは自分事になったときに、はたして受け入れられるかしら。理性では受け入れられても、感情で受け入れることは簡単じゃない気がするの」
という参加者さん(70代女性)もいた。

たしかに。
たとえば、LGBTや障がい者の方々に対して、「人は誰でも違いがあって当たり前。その違いを受け入れて、前を向いて生きていけばいい」と他人事ならば言えるかもしれないが、これが自分事になったときに、はたして同じことが容易に言えるだろうか。
僕は、簡単に受け入れられる自信はない。

これも『理性では受け入れられても、感情では受け入れがたい』といった心情のあらわれであり、人間であるからこそ、こういった心情が出てしまうのは仕方のないことかもしれない。
けれど、『生物のなかで唯一理性をもつ』人間として、この壁を越える必要があると僕は思う。
そのためには、差別の歴史について目を背けずに知ろうとすることが、壁を越えるためにすべきことではないだろうか。


【時間は戻せない。ならば…】
作中、僕にとって印象的なシーンがある。 
徳江が『隔離政策廃止後、自由を喜び療養所から出ていく元患者たちが、数十年という歳月で変わってしまった世界に、絶望して療養所へと帰ってくる』思い出を語るシーンだ。

『失ったもの。戻らない時間を目の当たりにし、絶望する』
もし自分が同じ境遇だったのなら、どうだろう。
なにも悪いことはしていないのに数十年も自由を奪われ、ようやく解放されたと思ったら、自分の知る世界はすでになく、人生の残り時間もあとわずか。

想像するだけで、仄暗い井戸の奥底に沈められるような絶望感におそわれる。

そんな僕の心境を感じ取ったかのように、Wさんが口を開く。
「“戻らない時間”といった意味で思ったことがひとつ。ハンセン病と比較するのは、大げさだとは思いますが」
と前置きをしたうえで、

「若いときは、お金がない、時間がないなって、やりたいことがあってもできなくて。定年した今は、それなりのお金も時間もあるのに、今度はアタマとカラダが動かなくなってくる。自由になったと思いきや、案外自由じゃないんです。残りの寿命を考えると、とくにそう感じます。若いときに少し無理をしてでも、やっておけばなと今思います」
と語った。

僕はハッとした。
やりたいことは“いつかできるはず”と思っていても、自分の思い描いた“いつか”は来ないかもしれない。
ハンセン病元患者には、法が決めた無期限の拘束があったがゆえ、“いつか”すら考えられなかった。
今の自分たちには、それがない。
ならば、やりたいことは、やりたいと思ったときに、やってみることが大事なのではないだろうか。


【自称無職のマシンガン】
読書会も終盤にさしかかると、本の内容が『差別・偏見』といったネガティブなことを扱っているせいか、みな真剣ではあるが若干重たい雰囲気になってきた。

少し空気を変えたい。
そう思っていた矢先、突然、話しを挟み込んでくる自称無職のNさん。

Nさん:「オレは読んでて、話しの展開に驚いたんだよね。中盤までハンセン病が出てくるなんて思いもしなかったもん。逆境を乗り越えて、どら焼きで大成功みたいな作品だと予想してたんだけど。でも、どら焼きからハンセン病に繋がる文脈がすごく自然で違和感がなかったし、その部分に人の体温が感じられるなとも思った。ドリアン助川だから、こんな風に書けたんじゃないかなって思う。終わり方もある意味良くて、『あん』の第二部とか想像しちゃうよね。それから~(以下略)」

相変わらずのマシンガントーク。
けれど、彼のおかげで空気が変わった。

「作中では新作の塩どら焼きが完成しなかったけど、どんなどら焼きになったのかしら」や「なら、第二部では千太郎が旅に出るんじゃない?食材探しの」といった、今までとは違う類の話で会場の雰囲気が緩む。

気がつけば、参加者全員で新作どら焼きについて語り合っていた。
まるで童心に返ったかのような笑顔で、読書会は幕を閉じた。


【後日談】
後日、東京での読者会を終えたHさんとブックバーで再開した僕は、彼女に東京での読書会の感想を聞いてみた。

Hさん:「とても勉強になりましたわ。けれど、有意義ではあったのですけれど、どうしてもみなさん『差別や偏見にどう向き合うか』といった同じ方向性の会話になってしまって。ゆる読書会では、いろいろな角度から意見がでていたでしょ。みんなで、真剣にどら焼きの形を考えるとか(笑)。東京の読書会にはなかった空気感。ほんとうに楽しくて幸せなひとときでした。ほんとうに、ありがとう」

Hさんの言葉に、胸が熱くなった。

ひらがなの始まり・「あ」、そして終わりの・「ん」。
人が世に生まれ、歩み、死へと向かい、いずれ一生を終える。
『あん』という言葉は、まるで人生を表しているようにも感じられる。
徳江の生き様が千太郎の人生を変えたように、僕の読書会が、誰かの人生の『あん』にちょっとした味付けをできたのならば、これほど幸せなことはない。
Hさんの『ありがとう』の言葉と笑顔で、そのことに気づかされた。

僕は、このバーのマスターでもなければ教育者でもない。
ただの常連客だ。
けれど、誰かの好きな本の話しに耳を傾け、ともに語り合い、その場に集まった人たちが笑顔になれるひとときを、ここで創っていきたいと思う。

“いつか”ではなく、“いま”やろう。
僕は自由なのだから。

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