西田敏行さんの訃報に接して
2024年10月17日、俳優西田敏行さんの急逝が報じられました。
自宅のベッドで冷たくなっているのが発見されたそうです。
病死とみられるとのことです。
本当に急なことで驚きました。9日には、映画「劇場版ドクターX
」の完成報告会見で元気な姿を見せていたとのことです。
本当に残念です。76歳はまだ若いですよね。
名俳優と称される西田さんですが、苦労人でもあります。
1947年、福島県郡山市の今井家で生まれた西田敏行は、
幼い頃に父を亡くし、のちに母が再婚したため、
伯母(母の姉)の西田家に引き取られました。
一家の生活は厳しいものでしたが、少年時代は養父に連れられ、
映画館に通い、チャンバラ映画に熱中しました。
演劇に興味を持ちますが、福島弁が染みつき、
標準語が話せないと演劇ができないのではと危機感を感じ、
中学卒業と同時に上京しました。
高校に進学するとバレーボール部に入部しますが、
男子部員がいない演劇部の頼みで、顧問の形で参加することになります。
明治大学に入学すると同時に、日本演劇アカデミー夜間部に入学。
その後、大学を中退し、夜間部から昼間部に移り卒業しました。
劇団を作るも失敗、テレビ俳優としてデビューする。
翌年、青年座俳優養成所に入り座員となります。
初舞台を踏むと、1976年にレギュラー出演した「いごこち満点」、
「三男三女婿一匹」で注目を集めます。
それ以後の活躍はご存じの通りです。
「西遊記」、「池中玄太80キロ」、「おんな太閤記」などなど、
知っている方も多いのではないでしょうか。
「ドクターX」シリーズも有名ですね。
また映画では、「釣りバカ日誌」シリーズがあまりにも有名です。
「敦煌」や「植村直己物語」なども有名です。
歌唱でも「もしもピアノが弾けたなら」は大ヒットし、
紅白歌合戦にも出場しました。
また、「探偵ナイトスクープ」の局長として、
19年間出演しました。
東日本大震災の際は、地元福島も被害になったことで、支援ライブにも参加しました。
まだまだお元気な姿が見たかったです。
とても残念です。
西田敏行さんのご冥福をお祈りします。