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こじらせOLが一念発起した結果、宣伝会議の講師になった話、聞く?

 十数年前、一緒に机を並べていた人が芥川賞作家になっていた。
 気づいたのは2年前。フリーランスのライターである私は、地元・福岡にある大学のパンフレットの執筆を依頼され、参考までに前年度版を眺めていた。
 すると、卒業生インタビューに「芥川賞作家」の肩書きを発見。「へえ、すごいな」と読み進めたところ、何かが脳裏に引っかかった。
 私、この人知ってる……? 
 そう思うと同時に、一気に記憶が蘇ってきた。
 
 彼と出会ったのは、宣伝会議福岡校の「編集・ライター養成講座」だ。当時の私はいわゆるOLで、働くにはおよそ不向きなベストとタイトスカートの制服を着て事務職をしていた。
 新卒時の希望は出版社だったが、あえなく撃沈。興味もない書類を作りながら「ここは私の居場所じゃない」と大いにくすぶっていた。
 だから、講座を知った時には即決即断で飛び込んだ。「講座を足がかりに絶対転職する!」と課題に全力で向き合い、同期に業界の話を聞いて回った。
 そんな私と対照的に、彼はいつも教室の隅で静かに座っている人だった。私と同世代くらいの彼の印象は、「黒っぽい服を着てメガネをかけたおとなしい人」。誰かと話をしている姿はあまり見かけなかったが、時折、課題で高い評価を得ていたのが印象的だった。
 彼と初めて話したのは、最終日の懇親会。普段飲み会には参加しない彼が、その日は2次会までいた。秋の夜、屋台で隣に座って話していると、彼は「小説家になりたいと思っていて」と教えてくれた。
 小樽に自身のルーツがあること。だから、北海道を舞台にした小説を書きたくて、休みが取れたら取材に行っていること。アイヌの末裔である女性に話を聞いたこと。そういった話を、普段の彼からの様子からは想像できない熱量で語っていた。
 パンフレットに載っていたのは、私と同じだけ年を重ねた彼だった。
 
 後日、私はこの話を彼の名は伏せてSNSで呟いた。当時は何者でもなかった私たちが、夢見た道をそれぞれ歩んでいる。彼と私では成し遂げたことのレベルは雲泥の差があるけれど、そのことが嬉しかったのだ。

 数カ月後、宣伝会議からメールが届いた。なんと私に「講座で登壇してほしい」という。あの呟きを見た「中の人」が他の投稿も読んでくれたらしく、地方のフリーランスとしての働き方や副業を経て独立した経緯などについて話してほしいとの依頼だった。
 まさか、私が宣伝会議で講師をする日が来るなんて、ねえ。
「私でよければ喜んで!」
 そう書き綴ると、送信ボタンをクリックした。


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