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何者にもなれず憂いていた私の背中を押したエッセイ『切ないOLに捧ぐ』

「人生を変えた本」の1冊目は最初から決めていた。
脚本家の内館牧子さんが書いた『切ないOLに捧ぐ』(講談社)だ。

この本は、内館牧子さんがOLをしていた頃のエッセイだ。発刊は1992年。今から30年も前の本になる。書かれている内容はさらに時代を遡るので結構古い。
「13年半勤めた会社を昭和58年に退職した」と書かれているので、おそらく昭和45年〜58年(1970年〜1983年)の頃の話だ。
社会的背景も女性の立ち位置も、当たり前だけどこの本を読んだ当時のわたしが置かれている状況とは全然違った。
それでも、この本を読んで、私はかつて経験がないほど号泣したのだ。

武蔵野美術大学を卒業後、三菱重工業に入社した内館牧子さんは、そこで13年半のOL生活を送る。当時は、結婚したら会社を辞めるのが当たり前。25歳まで独身だったらあからさまに揶揄されていた。
彼女はそんな中で、特にやりたいことを見出せず、淡々と働き続ける。大企業の福利厚生はそれはそれは手厚く、「やめるのはもったいない」と思っていたようだ。

結婚に関しては「いずれ時がくればするだろう」と考え、関心は結婚よりも仕事に向いてた。
当時の女性社員はお茶汲みや男性社員のサポートがメインの中「もっとバリバリ仕事をしたい!」と思って上司に直談判したりもしている。
しかし、「女の子だからこれくらいがいい」「責任取らないといけない仕事は大変だから」と相手にしてもらえない。びっちり書いた上申書もろくに読んでもらえない状況に、彼女は絶望する。

社内でのキャリアアップが無理なら、と花嫁修行に邁進したり、趣味に走ったりする。それはそれでいっときは楽しい。でも、虚しくなって辞めてしまう。
ただ、やりがいのある仕事がしたいだけなのに。
女というだけでさせてもらえない。
そのくせ、転職しようととしても「これだ!」と思う仕事も見つからない。使える資格もない。
いっそ結婚しようかと見合いをしても気が乗らない。
迷走に迷走を重ねた末に、新聞広告の端っこに載っていた「シナリオライター養成講座」に目を止める。
とりあえず通い始めた彼女は、一度は「向いてない」と諦めたものの、やはり「何かの専門家として働きたい」という思いが勝って、再度シナリオライターにチャレンジしていく。
若き日の内館牧子さんの「自分探し」を軽快な文章で描いたエッセイだ。

この本を読んだ当時、わたしは確か25歳くらいだったと思う。もちろん、25歳で独身なんてザラにいたし、この本に出てくるようなセクハラが罷り通る時代ではなかった。女性が働く環境としては天と地ほども違う。先人たちの努力の結果だ。

ただ、「何者かになりたいのに、なれないわたし」の苦悩は一緒だった。

当時のわたしは、建設コンサルでOLをしていた。上がベストで下がタイトスカートの、働くには全く不向きな制服を着て、CADオペーレーター兼事務員をしていた。
希望して、の仕事ではなかった。
本当は、書籍の編集者になって東京の出版社でバリバリ働いている予定だったし、少なくとも編集やライターといった仕事に就いて大好きな本や文章に携わる仕事をしている、はずだった。
ただ、それはそれはひどい就職氷河期と自分の能力のなさが合わさって、就職活動はあえなく失敗。新卒で入った会社も1年で辞め…という状況だった。

やりたい仕事ではなかったけれど、生きていくために就いた事務職は、事務職なりの良さがあった。
繁忙期でなければ、有給は取り放題だったし17時には仕事は終わった。趣味なり恋愛なりに時間を投じれば、それなりに楽しく過ごせる環境だったと思う。

だけど、ずっと「本に携わる仕事」が諦められなかった。
地元の雑誌社で募集があれば毎回応募していたけれど、受けても受けても書類審査で落ちる。未経験者にはなかなか門が開かれることはなかった。
クラウドワークス的な仕事がない時代だったから、ライターも編集も「新卒パス」で入り損ねると、なかなか開かれない世界だったのだ。

受けては落ちて、落ちては「いいじゃん、今の仕事だって悪くないし」と自分を慰め。でも、「こんなはずじゃなかったのに」と諦めることもできず。趣味の旅行とライブをこれでもかと詰め込んだ結果、「遊ぶだけの人生はすぐに飽きる」という結論に至って絶望した。完全に暗中模索状態だったのだ。
今思うと「正しい努力」ができていなかったところも大いにあったのだけど、その頃は一生懸命頑張っていた「つもり」だったのだ。

そんな頃だ。図書館でずらりと並ぶ本の中で、この背表紙を見つけたのは。内館牧子さんのことも名前程度しか存じ上げず、どんな本か知っていたわけでもない。ただただわたし自身が『切ないOL』だったから、自然と手が伸びた。

軽い気持ちで読み始めた本だったが、若き日の内館牧子さんの思考回路も行動も、そのまんま当時の自分と重なって。あれこれ試しては失敗する姿に、なりたい自分になれない不甲斐なさに、自分を重ねてただただ泣いた。

泣いて泣いて、でも最後にシナリオライターとして一歩を踏み出す内館牧子さんの姿を見て思ったのだ。「わたしは本当にここまで努力をしただろうか」と。

このあと、さまざまな要因が重なり、一念発起したわたしは宣伝会議の「編集・ライター養成講座」の福岡校に通い始め、今の仕事への切符を手に入れることになる(この話はまた今度)。
希望する仕事の端っこに、未経験なりに潜り込めたのは運が良かったのだろう。でも、間違いなく、わたしの人生はこの本を読んだことで大きく動きだした。

この記事を書くに当たって改めて読み直したけれど、当時の胸を締め付けられるような気持ちはもう湧かなかった。当然だ。状況も違うし、年も重ねた。

でも、「愛おしいな」と思う。何者かになりたくてがむしゃらになる気持ちも、自分の人生がままならなくて悔し泣きした夜も。

もちろん、今のわたしだってうまくいかないことだらけだ。泣くことも眠れない夜もある。これは何歳になっても変わらないのだと思う。
でも、あの頃の私が全力でぶつかったおかげで、当時よりはだいぶ「なりたかった自分」に近づけたのではないだろうか。

だから、「人生を変えた本」の1冊目は絶対にこの本だと決めていた。
「切ないOL」だった当時のわたしの背中を押してくれたこの本に。

今の30歳前後の女性が読んで共感するかは正直わからない。でも、どの時代においても、この手の悩みや苦しみは似たようなものなのかなと思ったりもする。
今、「人生ってしょっぱいなあ」と思っている人がいるなら、そっと差し出したい1冊だ。


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