「私」が現れ続けてる時には気づかないようです。
思考が止もうと止むまいと、
そのリアルさは
まったなしです。
私であるという認識から見た時
それがどうしようもなく無情に思えたり
逆に救いになったりする。
どう思おうがどう感じようが、
私達はそういう風にしかできない、
そういう風にしかならないのです。
その通りのリアルさは
出来る、出来ない、なる、ならない、
思う、思わない
それら一切を介さないのですが、
考えである私が
いくら考えたところで
考えでしかないのでわからないのです。
考えである私が消えたとき
それらが全て考えであった、
そして
そのリアルさは
私の考えで測れるような
安いもんじゃなかったと知ります。
(クロなりの表現です笑)