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まだ個人がいるとか言うとりますけども…。

あのね、

非二元で、
主体感があるとか
まだ個人がいるとか言うとりますけども、

ほんとにそんなものありますか?

「わかってなくわかっているとき」

つまり普段、

主体感や個人としての云々…って
ありますか?

「ある」を「ある」と思っていないときに

きちんと事がなされていることしかないのに

そんなの、どこにあるんだろう?


主体感や個人や自我システムがどうのというのは
それ、全部思考じゃないですか?

そして、「私」というものを指すなら
その思考そのものが「私」だよね、って話です。


主体感や個人や自我を持ち出すのは
「私」(わかっている思考)の責任転嫁だと
なっかなか気づかない。

「それはねー
主体感が残ってるからよ」
とかやってるのが「私」だと気づきにくい。


この辺は
言葉にすると「幾重にも」笑
トラップがあるように思えますが、
とりあえず、気づきにくいですね。


「それはあなたに主体感が残ってるから」
とやってるとき
「ここはもう主体感がない」とできる。

そうすれば、「私」は安泰なんですねー。
「私、関係ない。私は1抜けただもん」
って。


こう書くと、なんか可愛いな笑。


こっちとあっちに見立てて解釈(思考)が働くことが自我システム、すなわち「私」なのだから、
「関係ないことないですよ笑
むしろ、これ全部あなたの思考、
あなたのことですよー♪」
と言いたくなりますけどね。


そこに、そのとき、その思考しかなくて
その思考しかその思考をわかってないんだから
全部、「私」なんだなー。

主体感だ、個人だ、自我だ!
と言っている思考が自我なのよね。


主体感が残っている「あなた」がいるのではなく
あなたはまだ主体感が残っている、という思考しかないよね、ってことです。

そして、むしろそれが「私」じゃなくて?
なんですね。

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