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常に自分が答えなんですねー。

「私」っていうのは

この世界から出た神や愛や宇宙になって、
「人生」を都合よく変えようとすることが
あるけど、でも残念ながら、
どう転んでも「私」以外になることはない。

また、
結局「私」はストーリーの一部で
この世界から出られない。
それならそこで好きなように生きよう!
楽しもう!
となる場合もあるけど、
まあ、気持ちわからなくもないが、それもムリ。


なんでって、
「私」は
世界を見下ろす者でもなければ
世界の一部でもないから。


今の「私」が、「世界」なのよ。

今感じてることが、まるっと「世界」なのよ。

今の様子が、世界の内容でありフレーム。

中に入ったり、外に出たり、
想像力が豊かだったら
イメージ出来るかもだけど。

そう、
イメージなんだ。


そしてね、

いつもいつも
気がつけばこうして気がついているでしょ?
(当たり前?笑)


気がついたときは、「世界」はもう
現れてしまってるんよね。

もう現れてしまったもんを(世界を)
どうにかすることは出来ないね。

それは、
どうにかしようとする現れが
ただ現れてるだけになる。


じゃあ、これからを意図して
作ればいいって思いますか?


気づいたら、もうそうである、のに?


作ったり出来なくない?


私達は、次の瞬間何を思って、何を感じるか
選べますか?


気づいた時には思って、感じて、そして
それしかなくて。


選ぶことなど、出来ませんよね。
もう、そうなってましたよね。


それは、「私」が別の所にいて
何かを選んでいる、
ということではないからですね。


「私」が、「選ばれた答えそのもの」
だから選べないんですよ。


「気がついたときは、「世界」はもう
現れてしまってるんよね。」

気がついたときは、「私」はもう
現れてしまってるんよね。

「もう現れてしまったもんを(世界を)
どうにかすることは出来ないね。」

もう現れてしまった私を
どうにかすることは出来ないね。


気がついたら現れてしまってる、つまり
「私って、神だったんだ!」
「この世界で好きなように生きよう!」
という考えが「私」です。

もっと表現するなら
その考えの私が「世界」です。
現れてることが、答えです。
それで全てです。
隠してる手の内など、ないないない笑


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