バッハの目覚めからタルコフスキーの惑星ソラリスへ
9番目の「太陽の月」最終28日(G4/3)の夜、「時のからだ塾」第9リズムの新メンバーKさん(9・犬)が、塾のMLに『BWV645 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』(4:44)というオルガン曲に関する映像についてのシンクロをシェアして下さった。
オルガンでBWVとくればバッハだとは想像できるが、どんな曲だろう?とその映像を見つけて視聴してみたら、学生時代によく聴いていた好きな曲の1つであった(その割にタイトルはすっかり忘却していたが…)。
さて、バッハといえば、我が家には155枚セットのCD集がある。かつてそれについてのブログを書いたはず、と調べてみたら、何とぴったり1年前の「太陽の月28日(G4/3)」に【バッハが突如やって来た日】というタイトルでUPしていて、太陽の月26〜28日のサイ時間がKIN155である事も書かれていた。
そのブログを「惑星の月1日」、KIN111(G4/4)の朝に改めてしっかりと読み直し、KIN111がバッハの他界キンだと再認識。それも380(=190×2)銀河スピンというタイミングだと判明。その後、剣武天真流本部審査会で丸山貴彦さんと会って、高橋徹さんの誕生キンKIN104(13・種=13・4)にぴったりシンクロして届いた4冊の『倫理』という小冊子についての話をした。
そこには、徹さんの天体周期に関する論文(819年周期と人類史の対応ほか)、貴彦さんの小論、そして、丸山敏秋氏の文が掲載されていたからだ。それで、このブログを書くに当たって再度見直して驚いたのは、貴彦さんが剣武の青木宗家の教えについて書かれたのが、「倫理の視点」コーナーの「111」番目の記事であったという点(ちなみに110も112も別の方の記事)。
KIN111(7・猿)は、「7・竜」の私が『13の月の暦』に出会った時の「運命の道筋」であるだけなく、誕生キンから130キン離れた「反対のパートナー」という特別な関係の日付である。加えて、ちょうどこの日から130キン後には、カレンダーラウンドに当たる52(=13×4)歳を迎えることもあって、この気づきにはかなりのインパクトがあった。
話をBWV645に戻そう。剣武の審査と稽古を無事に終え、帰路、確か「645」については「大化の改新」に絡めて何かブログを書いていたはず、と思ってクリカHP内で検索すると【神武天皇と繋がるもう一つの「13重の塔の預言」】がヒット。
そこに”「大化の改新」に直結する談山神社を訪れた夫妻は”と書いてあるのはホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻のことで、そこに夫妻を連れて行ったのが倫理研究所理事長の丸山敏秋氏だった。サイ時間はもともと倫理研究所からその名を取った『倫理プロジェクト』の中で発表されたもので、サイ時間がKIN155のタイミングで生じたバッハのシンクロから、このブログを再読する流れになるのだから時間の法則は美しい。
このブログを読むと、KさんがBWV645に着目し始めたのがKIN104だったというのにも必然性を感じる。何故なら、談山神社の「13重の塔」の話は「104×13=1352」という式が要で、塔の一段を104年と見立てることで、645年(大化の改新)から1352年後の1997年に「時間の法則に関する世界会議」が日本で行われる事の意味を説いているからだ。
一方で私は、「伊勢外宮最初の遷宮、碑銘の神殿完成&墓室の封印」があった692年から1352(=104×13)年遡ると、神武天皇が52歳で即位した皇紀紀元、つまりBC660年になる事に気付いた。これがもう1つの「13重の塔」であることを、先のブログの中で述べている。
ここで、話を最初のKIN110(6・犬)に戻すと、Kさん(9・犬)がBWV645に関するシンクロをシェアする1時間ほど前に、私はメルマガ『Happy シンクロ Days♪』のVol.90(KIN90も犬だ)を配信していた。この中の【 古事記の世界へ(3)】というタイトルの旅の話は、ちょうど高千穂に到着したところで終わっている。
興味深いことに、645をきっかけに読み直す事になった「13重の塔」ブログの終盤にも、高千穂の事が書かれている。そして、高千穂ツアーをアテンドして下さった時のからだ塾生・田中のりこさんはKIN106(2・世界の橋渡し)で、そのメルマガが配信された日のサイ時間KIN155(12・鷲)とは「神秘のパートナー」(合計が261になる)という特別な関係にある。
KIN111(G4/4)の夜、これら一連の出来事についてのメモをまとめる中、バッハCD集155枚の中に「BWV645」はあっただろうか?と確認してみると、何と140枚目の中に発見!
中国武漢から世界中に拡散した新型コロナで引きこもり生活を余儀なくされた昨年、1枚目から順番に聴き始めたものの、途中(自分にとっては)退屈なコーラスが続いて挫折したままになっていたので、終盤にオルガン曲が集中しているのを知らなかったのだ。
それにしても140枚目とは驚きである!パレンケ「碑銘の神殿」の中央パネルの文字数も、ツォルキン中央7列目「神秘の柱」の「銀河の音」の合計数も140である。『テレクトノン』に付属の小冊子「パカル・ヴォタンのテレクトノン」の115節(本日のKINとシンクロ)には以下のように書かれている。
140は、テレクトノンの数であり、私の聖なる比、260:364(+1)と同じ、5:7の比を完成させる(28×5=20×7)
「BWV645」を探した事で、155枚あるバッハCD集の終盤17枚(139〜155枚目)がオルガン曲である事に気づき、ここにも『倫理プロジェクト』との繋がりがあるのを発見。『倫理プロジェクト』はサイ時間情報の源泉であるだけでなく、『テレクトノン』の「法則の立方体」と関連させる形で「倫理の17箇条」も包含しているからだ。
そのような訳で、KIN111の夜からオルガン曲のCDを聴き続けていた。すると、KIN112の夜「あ、この曲は!」とその始まりと共に映画のワンシーンが浮かんで来た。A・タルコフスキーが監督した映画『惑星ソラリス』だ。しかも劇中各所で印象的に使われていたBWV639が入っていたのは144枚目のCD。
『テレクトノン』は、KIN144(1・種)から始まる「預言の7年」が主たるプレイ期間であった上、2曲目(に見える1曲目の第2パート)のBWV636は演奏時間が1:40。このバッハシンクロはどこまでもテレクトノンと関係が深い。ちなみに、CDプレイヤー上では2曲目と認識されるBWV639は、演目一覧では5つ目に2/1という形で記述されている。
『惑星ソラリス』については3年余り前に書いた【ソラリスにコンタクト】というブログがあるのだが、そのリンクNoは970となっている。これも「時のからだ塾・第9リズム」がKIN97から始まっていて、「白い犬」(紋章コード番号10)をきっかけに一連のシンクロが発見されていることと無関係ではないだろう。
更に驚くべきは、タルコフスキーが1932年4月4日生まれのKIN126(9・橋渡し)だと判明した事。そして、ソラリスブログの中には、高橋徹さんの書かれた『ワクワク・セカンドライフ』から「ロシアの映画監督、タルコフスキー(1932〜1986)は、自分の五十二歳の誕生日にイタリアにいました。」という一文が引用されていた点だ。
つまり、今年の惑星の月1日(G4/4)は、BWV645の作曲者バッハの260日暦での死の日付(KIN111)と、『惑星ソラリス』の監督タルコフスキーの365日暦での誕生の日付が重なる52年に一度の日でもあったという事だ。
自分の52歳の誕生日からぴったり130日前に当たる日に、バッハが4次元から目覚めを呼びかけ、タルコフスキーが3次元的にこの惑星での現れを仕上げるよう、促しているのだろうか。
G4/4が生誕89周年に当たっていたタルコフスキーの誕生キン126が、高千穂から東征した神武天皇を初代とした時の今上天皇の代数に当たっている事も、この文脈の中では大きな意味を持って感じられてくる。
とにもかくにも、KIN110(6・犬)にKIN230(9・犬)のKさんが情報共有して下さったお陰で、バッハ(KIN187=平成最後の日のキン*)と美しいタイミングで再会できた上、KIN111が他界380(=190×2)銀河スピンのタイミングであった事まで明らかになり、好きな曲が入ったオルガンCDの発掘にも繋がったのだから有難いことこの上ない。
10番目の「惑星の月」のトーテムが「犬」で、その月の始まりの「青い猿」が「白い犬」と神秘の関係にある事も、今回の発見には関与しているのだろう。尚、トーテムと「太陽の紋章」の両方に登場する動物は、猿、犬、蛇 の3つだけだが、この中で「紋章コード番号」と登場月が「10」でシンクロするのは「犬」のみである。
色々ありすぎて久々に長編となってしまったが、KIN106、KIN155と「GAP神秘の4つ組」を形成する今日KIN115に内に、このブログのUPが間に合ったのは嬉しい事である。
最後に1つ。『惑星ソラリス』の日本公開は1977.4.29(KIN196)*。このブログを目にした方は、4/29に行われる「クリカ”わくわく”フェスティバル」に参加されると、きっと面白い体験ができるだろう。なぜなら、知性を持つ巨大な存在としての”惑星”ソラリスの海のイメージが、44年前に日本中で共有された日だからだ。(D)
惑星の月5日 11・鷲(KIN115)
*1977.4.29は、昭和44年生まれの私の誕生日から7年と260日というタイミングに当たっていて、そこから44年後がフェスティバル当日に当たる。平成の最終日がKIN187(=バッハ)だった事から元号と天皇の代の関係を調べていて、明治天皇の在位年日数が44年187日であった事を知った。