桜井茶臼山古墳のハグロトンボ
7/29(KIN22)の体験をまとめた【忌部氏の天太玉命神社で盃状穴を発見!】をUPした11日後の9/21(KIN76)、私は「世界水まつりin阿蘇2024」に参加していた。2021年11月15日(KIN76)に、阿蘇と中央構造線で繋がっている剣山の山頂で「天真五相」を奉納してからツォルキンがぴったり4回巡ったタイミングで、今度は会場の皆さんと「天真五相」を行ったのである。その中にはブース出展されていた武内先生や、延岡から駆けつけて下さったみよこさんもいらした。
その4日後の9/25(KIN80)、天太玉命神社を参拝するきっかけとなった漫画『宗像教授世界篇』を再び目にする機会があり、諏訪と物部守屋との関係が示唆される形でシリーズが完結するのを見届けた。同日、友人の薦めで見始めたアニメ『逃げ上手の若君』も、ちょうどアマプラで見られる最新話にまで至ったのだが、主人公の北条時行が諏訪の地で匿われながら活躍するという展開になっている。
思えば、我が家から一番近い神社は玉川諏訪神社で、7月くらいに境内のすぐ隣にあるそば屋を発見してからそのエリアに通うようになった。「青い律動の嵐の年」は【タケミカヅチの導き】で始まった感があったが、どうやらタケミナカタからもお呼びが掛かっているようである。
ところで、天太玉命神社を参拝した7/29(KIN22)には、剣武天真流の道友と共に、大神神社や石上神宮にも参拝することが出来た。神話的文脈からはその参拝にも非常に深いものを感じたが、当初の奈良探索のテーマは「古墳」だったので、朝一で天太玉命神社を参拝した後はJRで桜井駅まで戻り、そこから1.5キロほどの距離にある桜井茶臼山古墳に行ってみることにした。
基本、徒歩で散策する私にとって、駅から近いこの古墳はそれだけでも探索ポイントの対象になり得るのだが、墳丘長が200m以上ある前方後円墳で、以下のような情報まで小耳に挟んでいたので、最優先で訪れるべき場所のひとつとして目をつけていたのだった。
この発表は、パカル王墓の発見(1952年6月15日)からぴったり100銀河スピンに当たっていた2023年9月8日(KIN218)の前日に行われたもので、およそ2ヶ月後に、同研究所が以下のような形で講演会も行ったようである。余談だが、同年11月3日はKIN14(1・魔法使い)で、私にとっては16年前にエジプトで「王家の谷」を訪れたキンでもある。
誰が埋葬されていたのかまではハッキリしていないようだが、阿倍氏を始めとする諸氏族の祖で四道将軍の1人として北陸にも派遣された大彦命、あるいは伊勢と関係が深い曙立王、さらには神武天皇など、初期ヤマト王権の大物である可能性が高いと考えられているようである。
そんな背景をイメージしつつ、私はちょっとワクワクしながら民家のすぐ横を抜けて古墳の敷地に入って行った。最初に目にしたこの看板(トップ画像)には、「全長207m(中略)高さ19m、(中略)古墳時代前期のもっとも典型的なものとして重要な遺跡です。」と書かれていた。KIN19から始まった年のはじめに高さ19mの古墳というのがまたいい。
この古墳について事前に軽く調べた時、墳丘の頂上まで登れるようなことが書かれていたので、フェンスの無いところから古墳の縁に入り(誰でも入れるようになっている)、登れそうな道を探しながら巡ってみたが、夏場で草木の勢いが強く、どうにもそれらしい道が見つからない。
そのまま古墳の周囲を巡る内、段々と薄暗い感じになって来て、カゲロウのような黒っぽい虫がフワフワ飛ぶのが目につき始めた。黒いトンボのようでありながら、飛び方はチョウのようにひらひらフワフワしていて、草に止まっている時も、ゆっくりと羽を開いたり閉じたりしていてチョウのようだ。
後で調べてみたら、ハグロトンボというカワトンボの一種であるのが判明したが、私は以前にも似たような薄暗い場所でこのトンボが数匹フワフワと飛んでいる幻想的な光景を見た覚えがあった。琵琶湖周辺だったという記憶を頼りにあれこれ調べてみた結果、紫式部とも縁の深い石山寺の境内奥にある、八大龍王社の辺りだったことを突き止めた。
鬱蒼とした森の中に真っ赤な鳥居が見え、小さな池の真ん中に祠があったのを覚えている。何となく薄暗いその池のほとりにハグロトンボが数匹舞っていたのを、私は思い出していたのだ。「羽化後の若い個体は薄暗いところを好み、水域から離れて林の中で生活する」とのことなので、私が見たのは比較的若い個体だったのかもしれない。
見方によっては優雅な飛び方と言えなくもなく、スピ系界隈では「神様トンボ」とか「開運の象徴」として扱われているようだが、そんな謂れも全然知らないで遭遇した私には「何となく不気味な存在」としか映らなかった。あるいは、1匹、2匹程度ならそう気にならないのかもしれないが、5、6匹ともなって来ると話は違って来る。
しかし、既に古墳の周囲を結構な距離歩いて来た私は、そこで引き返すのも面白くないと、そのまま突き進むことにした。するとますますハグロトンボは増えて、私が歩を進める度に10〜20匹が一斉にフワフワ〜と周囲へ飛んで行くのである。こちらに向かって来ないだけマシだが、湿度のある薄暗い場所で見る光景としてはかなりホラーである。
陽の東西を問わず、古来、チョウは死者の魂を運ぶと信じられて来た。私は霊的な存在も(肉体と同程度には)信じる立場だが、仮にそういうものを全く認めない人でも、チョウの飛び方には魂のようなものを連想させる要素があるのではなないかと思う。ましてやここは古代の墓、それも大王レベルの人物が埋葬されていた可能性が高い墳墓である。
時空を超えて古代人たちが挨拶しに来たような感覚と共に、「これ以上は入るな」と伝えているようにも思えて、一瞬、躊躇したのだが、「古からこの土地にいる全ての存在に敬意をもって巡らせて頂くので、どうか許してほしい」と断りを入れつつ、私はそのまま進むことを決めた。
実際には、数mからせいぜい10mくらいのエリアで、そこを抜けたらもうハグロトンボは殆ど見かけなかったが、なかなか覚悟のいる決断だった(笑)。そのまま歩き続けて大分明るくなって来たなと思ったら、古墳の南端に当たるところで大きめの車道に出てしまった。
地図を見ると、方墳側の端が国道165&166号に接していた。思えば、10月からシャンバラ書道会の支部教室として三輪山のふもと桜井で「由波教室」を開講される阪口由波(さかぐちゆうは)さんはKIN165(9・蛇)、今上天皇陛下はKIN166(10・世界の橋渡し)である。
第126代天皇の「運命の道筋」がKIN126(9・世界の橋渡し)と同期している間に桜井茶臼山古墳を訪れ、巡礼することが出来たのは、実はとても素晴らしい体験だったと、後で振り返って思った。国道との数字シンクロが、それを気づかせてくれたのだ。然るべき時に然るべき場所を訪れると、こうした気づきが後々にまで響いてくるのをいつも実感する。それこそが時空からの贈り物なのだ。
古墳を取り囲むフェンスを頼りにしつつ、今一つ道がはっきりしないところも何とか切り抜け、結局、古墳をコルラ(聖なるものを右側に観て巡るチベット仏教の巡礼法)する形でスタート地点に戻り、そこから奈良県立桜井高校の前を通って宿に戻ることができた。
モーニングビュフェで偶々座った席は「B11」。「B」を「2」とみなせば「211(3・猿)」とも受け取れるし、「2×11=22」からKIN22と見れば、この日が生誕114(=6×19)銀河スピンに当たっていた「13の月の暦」提唱者の一人・ロイディーンの誕生キンとも受け取れる。
比較的ゆったりとしたテーブルで軽い朝食とコーヒーをいただき、早朝からの冒険にホッとひと息ついたところで部屋に戻り、次に巡るつもりの安倍文殊院とその周辺の古墳の位置関係などを、少し落ち着いて調べることにした。(D)
*この記事をUPするに当たり改めて調べてみたところ、桜井市観光協会のサイトにこんな動画が紹介されていた。先にこれを見ていたら、頂上までの道を見つけられたかもしれないが、動画内でも指摘されているように、定期的に手入れがされていない状態では、墳丘頂上部に到る道を見つけるのも、墳丘内を散策するのも困難だろうと思われる。
電気の月7日 3・竜(KIN81) 魔術の亀の日
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