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自己紹介②夢見た職業

これまでに「なりたいと思ったことがある職業」についてです。

①看護師(ナース)

生まれて初めて夢見た職業は、看護師でした。

保育園のとき、舞台の上で順番に将来の夢を発表していったとき、大きな声で「わたしはかんごふさんになります」と宣言したのを覚えています。

なぜ、看護師になりたいと思ったのかは、全く思い出せません。(笑)

②教師

小学校1年生のときの担任の先生(女)が大好きでした。

その先生に憧れて、教師になりたいと思っていました。

③公務員

私は「就職氷河期」と呼ばれる時期に学生時代を過ごしました。

(バブルが崩壊した1991(平成3)年に小学校に入学しました)

就職氷河期で「高卒で公務員になるのが賢い」と言われ続けて育ったので、自然と「将来は公務員になるんだろうな」と漠然と思っていました。

もちろん「安定しているから」「解雇がないから」が公務員の志望理由です。

④なし(空白期間)

高校生になっても「将来は公務員になるんだろうな」と思っていましたが、漠然としすぎていて、特にやりたいこともありませんでした。

高校1年のとき、2年以降の文系理系コース分けの参考にするため、適職診断のテストを受けました(※全員強制)。向いている職業は「教祖」でした。

ますます夢を見失いました。。。

英語と社会が好きだったので、とりあえず文系に進みました。

⑤裁判官

テレビで山室惠裁判官についての放送を見て「裁判官になりたい」と思いました。

東急田園都市線三軒茶屋駅(東京都)で銀行員の男性に対して殴る蹴るの暴行を加えて死亡させ、傷害致死容疑で起訴された18才の少年2人に対して、山室惠裁判官が説諭で語った内容が次の通りです。

唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という歌を聞いたことがあるだろうか。この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう。

※この裁判での出来事は2002(平成14)年2月19日に起きたことですが、私は約1年後の2003(平成15)年1月、高校3年生のときにこのエピソードを知りました。

センター試験(※現在の共通テスト)も受け終わって、国公立大学の出願が終わった後にいきなり「裁判官になりたい!」「法律学科に行きたい!」と言い出したので、親や担任を巻き込んで大騒動になりました。(出願先に1つも法律学科がなかったので、大混乱でした)

幸い、塾の先生が出願締め切りに間に合う「センター利用入試」を見つけてくれたので、無事、法律学科に進学することが出来ました。

※国公立大学にも合格していたので、特に担任とはものすごく揉めました。「絶対に国公立大学の方がいい」と「法律を勉強したいから嫌だ」の平行線でした。

⑥システムエンジニア

急に「裁判官になりたい!」と言い出してギリギリで法律学科へ滑り込んだ(※⑤参照)為、どうやったら裁判官になれるのか、十分に調べることなく大学に入学しました。(司法試験を受ける、というくらいの認識でした)

ところが、すぐに、2004(平成16)年から法科大学院(ロースクール)が開校され、2006(平成18)年から新司法試験が始まることを知ることになります。

両親からは「進学はさせないからね」と釘を刺されていたので、在学中の現役合格を目指しました。・・・ダメでした。

社会人コースで法科大学院に進もうと、「(学費を稼ぐために)高収入」で「専門知識がつく」「法整備が整っていない」IT業界を志しました。

結果として、システムエンジニアとして、5年勤務しました。

⑦法律事務職員

結果として裁判官への道は諦めました。(裁判官になるには一発合格できるくらい優秀でないと!という諦めもありました)

その代わりに、法律事務所で働くことで、間接的に法律に関わる仕事が出来ることに喜びを感じていました。(特に、刑事事件に力を入れていた法律事務所だったため、というのも大きいと思います)

システムエンジニアとしての経験を買われ、事務所のウェブサイトの制作・管理やインターネット広告の仕事を任せてもらえました。(WEB系の経験はなかったので、独学で試行錯誤しながら取り組みました)

本当はパラリーガル採用だったはずなんですけどね・・・(笑)

まとめ

幼い頃に思い描いた夢とは全く違う進路に進みましたが、それなりに楽しくやってます。

今では、「将来の夢がないこと」や「何がしたいのか分からないこと」に対して悩む必要はないと思っています。

夢とは違うことに取り組んでいても、意外とハマってしまい、それが天職になることもありますよ♡

※本投稿を書くにあたって、下記を参考にしました。


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