〜的身体
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昔から共同的身体について思いをめぐらせたりしていて、同人誌にて民族ベースの縦断的身体の共同性についてのコラムを書いた時には、性別による横断的身体の共同性を引き合いに出して書き出してみていた。しかしそれから5年ほど経って30歳を迎えた昨今、もっと素朴な世代的身体の共同性を全く見落としていたことに気がついた。見落としていたことに気がついた、というよりは、世代的身体の共同性そのものに気づいた。
これは上述の2つの共同性よりももっと間近の感覚から生起する共同性の意識だ、と思う。世代的身体を表す語彙は、性別、民族についてのそれに負けず劣らず、あるいはそれ以上に豊富なのではなかろうか、と思う。筋肉痛、腰痛、肩こり、そして白髪、老眼etc...。
これは自分でも意外だがセックスの時に強く気づかされる。いかにも性差による機能的な異形をフル活用する営みなのだが、若い頃とは身体の馴染み方が違う感覚がある。つまり、皮膚のたるみやシワの感じやら、共通点が点々と見出されるようになってきたのだ。顧みれば若い頃だって若いなりの共通点があるわけで、髪にコシがあるだとか肌のハリだとか徹夜できるとか食欲旺盛だとかそれはそれで枚挙にいとまがない。しかしながら20歳あたりをめがけて性ホルモンがみるみる肉体に反映されて違いが大きくなっていく過程ではそれらの共通項は感知しにくい。通時的な比較対象は幼少期に遡らざるをえないため、専ら性的差異化を意識するばかりの時期なのであったと思う。若さは若さの前では現前しないのだ。
しかしそこから10年経つと、というか10年しか経っていないのに男女の身体は収斂化をしていると感じざるをえない。互いに傷の治りは遅くなり、あっさりしたものを好んで、血行をよく保とうという意識が共有され始める。これは迂遠な見立てかもしれないが互いにかつては若さがあったという経験の共有につながっていて、そこからの同質な差異化=老化を共有するに至る。互いに腹のたるみを文字通り指弾しながら性的差異よりも世代的な共同身体を確認し合うのだ。
もちろん女性の身体は多くは妊娠出産、そして閉経はに至るまでいろいろな出来事を経験してゆくし、男性は頭髪の退行や内臓の疾患に見舞われるだろう。そこで、性を感覚することもあろう。しかしそれは青春期のみずみずしい性差の認識とは決定的に異なるはずだ。その段階では共同的身体の中に世代性が埋め込まれているはずなのだから。
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