この頃思ってること
(497文字)
頓知、出鱈目、法螺、冗談。これ等のいずれも、事実のだらしのない列挙あるいはゴシップの垂流しに勝る。ただし、当意即妙である限り。
どちらも、反復の反復を反復する日常に於いては、血沸き肉踊る(!)営みである。
後者の、”中身が存在する”という点が、どうも醜悪なのである。貧者の思想にあるまじき振る舞いなのである。持たざる者が持つ風を装うということだ。(もちろん、中身のある話だって、本人の自省・咀嚼・感動を経由し、なおかつ話すにあたって提起の姿勢・応答の期待を孕んでいる限りは、全く"だらしのない""垂流し"に該当しない for me。)
「貧者」は金銭的貧者を第一に指すのではなく、諧謔精神の大前提としての自覚、みたいなものを単語化すると自然析出されてくる言葉であり、二義的に物質的、金銭的、性愛的...などなどの貧しさが連なる。
冒頭前者は、中身のある話なんてこの場じゃ/おれらじゃできないという一種の諦観に基づく。だから中身のある話を展開してこの場/こいつらの気を惹こうというという諦めの悪さだけに囚われた態度を嫌う。
僕は、そんなわけで、中身の無い話が巧い人を敬愛する次第だ
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