"今週思ったこと"

 


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 TLに、以下の動画に言及したツイートが回ってきた。https://www.youtube.com/watch?v=EsZbWAqU8xY

 "この声質でScotch Snaps的フローで「たまらん」「進め」「正直に言え」って言葉のチョイスと、バースの歌謡曲/J-POP的なバイブが混ざってるの発明"とのこと。

 近頃流行りの「SAY SO」という曲をインドネシアのYoutuber?の女の子が日本語カバーしてるというものらしい。

 あ、なんと可愛らしいのでしょう。。という見始めの印象に続き、結構日本語じゃねぇか、ほとんど日本語じゃないか、と気づく。左上に海外でアニソン字幕なんかに使われるようなヘボン式ローマ字表記の日本語音が表記されていて、日本語、元の英語歌詞との三段表示になっているのが、ちょっと見辛く、英語ときどき日本語なのかなと思ってしまっていた。それほどに、耳触りでは我が郷土臭を検知できなかったのだ。

 海外の人々、フランスやアメリカのアニメおたくや、東-東南アジアの人らが日本のアニソンを歌う、というシチュエーションには慣れていたのですが、外国語の歌を日本語でカバーする例は目にしたことがなかった。そのうえ、欧米の新曲を早々にカバーするなんて、あなめづらかなり感。


 ヒジャーブをかぶったインドネシアの女性が欧米歌姫の新曲を日本語カバー...という情報量の多さもあってどういう切り口で述べたらいいのかわからんけど、述べざるをえないような胸騒ぎが起きてしまっている。

 で、主として二点のアプローチが脳裏に湧いてきている。


⑴とりあえず第一点、インドネシアと日本語という組み合わせに触れ込む。

 これに関して真っ先に思い浮かべるのは太平洋戦争中の日本軍によるオランダ領インドネシア(蘭印)の占領統治のことである。

 映画や軍歌で知られる「空の神兵」の元ネタとなったパレンバン空挺作戦で知られるインドネシア油田地帯の電撃的な制圧に代表される大戦序盤における(束の間の)日本軍快進撃により、現在のインドネシア、当時のオランダ領 東インドは日本の軍政下に置かれた。その期間、1942年初旬から終戦直後までの3年半ほど。

 朝鮮や台湾のように併合した地域では皇民化を行ったが、それ以外の占領地でもそれなりに学校教育にて日本語・日本の踊り、そして日本精神が叩きこまれた。

 NHKの「映像の世紀」当時のインドネシアの少年(小学生くらい)のスピーチの映像をだいぶ昔に観たのだけれども、大変流暢だったことにえらい驚かされた。

 内容は「私たちはどんな苦しいことでも我慢して力一杯働いています。あのアメリカやイギリスや、オランダに負けてはいけないと思うと、どんなことでも苦しくありません」というものだった。そして後の独立時の初代大統領であるスカルノが、日本の軍人を仰ぎ見て「天皇陛下万歳!」とぎこちなく三唱していた映像も不思議な印象とともによく覚えている。

 戦後インドネシア独立戦争を経てインドネシアは独立を果たす。で、スカルノの共産時代、スハルトの親西側政権時代...となるわけだけど、ちょうどこの辺の日本が高度経済成長をしつつある時期から日本語の放送や音楽などのコンテンツは流入して行っていたのではないかな、と思う。(もし台湾のように公的に日本語の放送が入ってこない時代があったとしても、海賊版ビデオとかやっぱみんな好きだったようだし、同じように何かしらの形では入っているでしょう。)

 インドネシアについては知らないのだけれど、フィリピンなんかでは1979年に「超電磁マシーン ボルテスV」というアニメが放映され最高視聴率58%を獲得したとか。あと、香港のテレビで日本の紅白のダイジェスト放送があったり。最近話題の韓国のNight tempo氏みたく父の土産の日本の80年代ポップスのカセットに影響された若者も沢山いたのでしょうetc...

 上記からも日本はアジア圏において、特に戦後文化は圧倒的な陽圧性を持っていたものと容易に想像される。これはまず日本スゴイ云々でなく、地理的・政治的経緯からたまたま軍事政権/独裁政権であることを逃れられたお陰で、ホントにただただ呑気に経済的に繁栄出来て、ゆえにエンタメ/文化的に爛熟し得たわけだし、という文脈で一旦おさえておきたい。

 無論アニソンもまたこの延長で海外に広まるし、日本語も各世代に波状的に及んでいったのでしょうなと。歌い手の女の子がどの時点で日本語を耳にし興味を持ったか、正確にはわからないけど、彼女のYoutubeチャンネルのアップロード動画をみるとアニソンや日本のポップスをすでにカバーしているし、"少なくとも"ある程度の期間に及んで日本のコンテンツを嗜んできているものと想像される。

 結局、インドネシアというか多くの旧占領地を含むアジア圏と日本語の戦中〜戦後のかかわりの話になってしまったけども。これが第一のポイント。

 ※補記:たぶん戦後の日本カルチャー影響範囲って大東亜共栄圏の範囲とだいたい重なると思うんですよね。結局短期とはいえ日本語が注入されたわけだし、それ以外の地域とはわけが違う。無論支配に対する嫌悪感に起因する心理的障壁もあるだろうが、当面の間は近所で一番の先進国だったわけだ(なお蘭印の件についてはインドネシア人よりオランダ人に憎まれている印象)。抑圧的な大東亜共栄圏と、陽圧的な汎アジア文化圏。神宮競技場の学徒出陣壮行会と、国立競技場の東京五輪開会式の比較みたいに、同じ空間/近い機能での再現事例としてどうしても並べて比較しときたかった。



⑵そして触れ込んでおきたい第二のポイントは、郷土臭を感じさせない日本語のリリック、というところ。(いよいよ予備知識もない領域の話になってしまうが)

 この、日本語が日本語の調子を主張せずに自然に洋楽(粗い)に溶けこめる歌い方、上記の本人はアニソン・J-POP・80年代シティポップから取り入れたんだろうけど、それらは日本語ロック論争にたどり着きますわよね。はっぴいえんど。ムッシュかまやつの方が元祖?ともあれ、今度は戦後日本の文化受容の話。てか前段の文化的陽圧性、段落の便宜上経済繁栄のお陰、というふうに措定してしまったが、その実、何を隠そう、被占領下の日本/進駐軍とアメリカナイゼーション...という一連の洗礼がなければ獲得しえなかったでしょう。と思っているのだけれど。

 初期のジャズバンドやグループサウンズの45年〜60年頃?ギブミーチョコ世代がある種教条主義的アメリカナイゼーションを経験し、その土壌の上で団塊世代が65年〜75年頃、スチューデントパワー時代前後にフォークやロック(やパンタロン)を吸収して、その中で、国産で国語の洋楽がどんどん成立してったと(話が雑だ)。

 日本語が音韻/発生/フレーズとして国際(語)化してった過程。反対からみると、洋楽のメロディにはめ込み易い音質と語形、流通しやすい国際的な規格が出来上がった...という理解。

あとは西城秀樹とか郷ひろみとか荻野目洋子のダンシングヒーローとか、欧米のヒット曲にそのまま日本語歌詞つけて日本で売り出すタイプの80年代前後のポピュラー歌謡も、日本語の変質/普遍化に乗っかりつつ、同時に加速させてったのかな。(ちなみにダンシングヒーローの再ブレイクに触発され、イタリアディスコソングをカバーしたのがDA PUMPの「U.S.A.」とのこと。この曲の日本語とか結構上手な無理くり感がありそれが新鮮な語感を生み出していて、そこが今回のSAY SOとかぶるのですよ。)

 まず上記のベースがありつつ、80年代からの日本語ラップ。いとうせいこう?近田春夫?吉幾三?さておき、抑揚は少ないながらお経とは異なったリリック/フロウ/ライム...を放たねばならないヒップホップ。いとうせいこうとかは世代のせいもあると思うけども日本語っぽさとラップぽさのクレオール感を愉しんでるのかなーという感じだけども、BUDDHA BRANDくらいになると「人間発電所」とか、歌詞の解説を見て(アメトークのラップ芸人で)ああ日本語だったんだなぁ、と改めて思わされるくらいに脱構築された日本語発音となっている。ラップは韻を踏むため文法が解体されて複合語も即興的に生み出されく。ここんところ、SAY SO日本語カバーの「夜朝(よるあさ)まで...」という所にミームが見え隠れしているように感じる。前述の無理くり造語の一環ともいえそうだけど。

 上記のすったもんだがあってアニソンだってJ-POPだって、というかむしろ日本の歌謡全てが...いやいや日本語そのものが望むと望まざるにかかわらず国際標準化していった(はず な)のでジャンルもへったくれもない。むしろ演歌というジャンルが唯一ポピュラーミュージックとして日本の民族歌謡の伝統を保守している、という構図なのでしょう。 


 以上の二点。書いてみると、両方とも動画の成立の由来についてだった。

 あとはツイートに書かれていた"Scotch Snaps"というスタイルだからこそ換装しやすいとかもありそう。そもそも80年代citypop的な調子なので竹内まりや感あるしな。。いくら洋楽歌詞を自然に日本語に換装できる下地が出来上がってたとしても、無理な曲はあるでしょうし。

 一応こんだけ書き連ねてちょっとは消化できた気がする。考えが進んだというような事ではなく、ただただ記述したことによる消化。大事。寝る。とりあえず可愛い。

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