自己紹介① 実家倒産で夜職の道へ
はじめまして、九条と申します。
この度はnoteを始めるにあたり、私の経歴をお話させていただきます。
noteを始めた経緯
現在は俗に言う「昼職」で広告事業に携わっており、9時に始業して17時に家に終業する生活を送っています。しかし元々は「夜職」を長く転々としてきました。そこで得た知識や経験を発信したいと思い、noteを始めました。
私の人生は挫折と失敗続きでした。そのうちの8割くらいは、私の考えや決意の甘さが招いた自己責任です。しかし世の中で起きる失敗や挫折、その全てで100%自分が悪いなんてことはありえません。良くも悪くも、物事の結果には環境や運という要因が必ず絡みます。
もし今あなたが何かに苦しんでいるなら、どうかご自身を責めないでください。諦めること、弱いことは決して悪いことじゃないのです。完璧じゃないからこそ、人は愛おしいのです。あなたが今、何かに挫折して立ち止まっているなら、この言葉を覚えて欲しいです。
「生きていれば、いつか必ず窮状を打開するチャンスが必ず訪れます。そのチャンスを掴めるよう、どうか未来に希望を持って生き続けてください」
私の知識や経験が、今を思い悩む人々の助けになれば幸いです。
夜の世界へ入る時系列
① 実家の事業が倒産しホストへ
とても長文になりますが、私の生い立ちについて語らせてください。
私の実家は産廃業を経営しており、友人に自慢できる仕事ではなかったかもしれませんが、子供の頃はそれなりに不自由のない暮らしを送らせていただきました。
幼少期より勉強して立派な企業に勤めるサラリーマンになるよう教育され、親の言いつけ通りにそれなりに真面目に勉強し、国内トップの私大に入学しました。
しかし受験に成功した達成感と、両親の善意の仕送りに甘えた私は、見事に上京すぐにハメを外して毎日遊び回る自堕落な生活を送ります。
結果、4年生に上がる頃に留年が確定し、私は実家に帰省した際におそるおそる留年を報告することになりました。しかし、そこで衝撃の事実が発覚します。
なんと2年前から親の会社が債務整理中であること、もし倒産したら銀行へ1億5千万円の借金の返済義務が残ること、仮に手持ちの資産を全て処分しても5千万円は借金が残ること、私への仕送りと学費は差し押さえられないが残り1年分しかないこと、を告げられました。
そんな事情も知らず自堕落に遊び呆けて留年し、親に迷惑をかけた私に対して、申し訳なさそうに視線を落とす母親の姿があまりに痛々しく。
調子に乗ってろくにバイトや節約もせず遊び回り、挙句教材代と称して更にお小遣いまでせびっていた過去の自分を恥じました。こうして今振り返っても、クズです。
もちろん留年したので奨学金は借りられませんし、収入がなく社会的信用もない私はフリーローンも組めません。両親の資産は全て担保に入っており、親戚付き合いもなかったので、もう一年の学費を捻出するのは絶望的な状況でした。
その時点で私に見えていた選択肢は2つです。学生を続けながら「2年目の学費を個人で稼ぐか、大学を中退して就職するか」でした。
両親はそれでもなんとかもう一年分の学費と生活費を工面すると言ってくれましたが、当時社会経験もなく頭の中も幼稚だった私は、これ以上両親に頼れないと独断で一つの賭けに出ます。結論から言うとその賭けは大失敗し、どん底に転落するわけです。
東京に戻った私は前期の学費を納入せず、すぐに高級ブランドのスーツを買い、ホストクラブの面接に向かいました。
私の通っていた大学は学費の納入を最長半年ほど待っていただけたので、その支払期限までにこの学費を元手に更にお金を稼げば良いと考えました。良くも悪くも昔から、おつむが足りない割には妙なところで頭が回る私です。
しかしながら、当時の私は「もう、この手しかない!」とやる気に満ち溢れ、まさに背水の陣の心持ちでした。今考えると無鉄砲で蛮勇ですが。
もし今、私のように追い詰められた学生さんがいましたら、決して一人で考えず、絶対に親か頼れる大人や、大学職員に相談しましょう。まぁ大学の方は十中八九休学を勧めてくるでしょうが……。
② ホスト初日で厳しさを学ぶ
そうして当時、歌舞伎町で上から5~6番目くらいの規模のグループに採用されました。有名なところは競争が熾烈そうなので、中堅くらいの箱にしましたね。ちなみにもし今ホストを目指す方がいましたら、なるべく人気があって有名な箱に行くことをおすすめします。
さて、当時の私はそこそこモテていましたし、トークや容姿にもそれなりに自身がありました。「ま、頭良いし、若いし、そこそこカッコイイし、年に一回は女子に告白されるし、余裕っしょ!」この甘えた考えが更なる悲劇を引き起こすことになります。
とはいえ、ありがたいことに出勤の初日から送り指名は取れていました。送り指名というのはフリーで入ったお客さんなどが、お帰りの際にどのホストにお見送りいただくか選ぶ制度のことです。基本的には、接客した中で一番印象の良かったホストが選ばれます。
事前にネット検索して勉強し落とし込んだイケイケトークを駆使し、それが引かれることもありましたが、おとなしそうな女の子には妙に刺さり、送り2本LINEも交換し、初日は個人的には上々のスタートでした。
しかし世の中そんなに甘くありません……。翌日、内勤さんにアドバイスされた通り軽くラインを送ってみましたが既読がつかない。
その翌日も音沙汰無し。試しに初日に送りをいただいたお礼と称してスタンプをプレゼントしてみると、二人ともブロックされていることが判明しました。
これは後から知ったことですが、当時私が在籍していた箱は「50人初回が来たら、1人指名で返ってくる」くらいの割合だったそうです。
おそらく、これは業界の中でもかなり少ないです(つけ回しが無能説)が、女の子たちは初回でいくつかの箱を梯子しがちなので、最終的に担当は最後に行く人気店や有名店のホストに持っていかれやすいです。
では、有名店でない箱の、右も左も分からない新人ホストが客を得るためにはどうすれば良いのか?結論から言うと、外から自分で客を拾うことです。当時ならキャッチや もなチャト 出会い系、今なら強いのは配信アプリや通話型SNSだと思います(マチアプは下火のはず)。
さらに初日から調子に乗った自己紹介をしてしまった私は他のホストの反感を買い、二日目からは店中のホストから嫌われてヘルプにも中々つけなくなり、テーブルマナーやメニュー覚えるのにも時間がかかりました。
昼は大学の授業を詰め込んで、夕方はキャッチやシャンパンコールの練習、夜は営業で酒をたらふく飲まされ、ヘルプでは空気が読めずにミスって裏で先輩に絞られ、始発までギャグ要員としてアフターに付き合うかキャッチをしてすごす日々。
ホストにとっては容姿が大事なのですが、そんな生活していたら髪も抜けて顔もやせ細り、覇気もなくなり、次第に初回の送りすら取れなくなっていきました。夜のお仕事はどれもそうですが、新人期間は初々しさで少し人気に色がつきますが、それが終わってからが本当の勝負です。
③ ホスト業界の光と闇
しかし、そんな生活を二ヶ月も続けると、さすがに最初は私のことを嫌っていた先輩ホストたちも段々と優しくなっていきます。水商売ってわけの分からないところでキレたり、謎の拘りがあったり、とにかく変な方が多い(失礼)のですが、同時にとても純粋だったりするんですよね。
最初は対立していても、頑張っている人を見ると必ず手を差し伸べてくれます。売れてるホストほど、女性だけでなく男たらしだったりもするんです。私はゲイではありませんが、営業後に先輩にメンケアいただく機会もあり、当時はこの人だったら抱かれても良いかも……という思考になったりもしましたね。
そうして先輩方からアドバイスを貰い、服装を変え、お化粧を学び、トークやメッセージのテクニックを盗み、お客様の友人などを紹介いただいたりしてるうちに、徐々に指名が取れるようになっていきました。
実はホストによく来る女性って、見た目や自分への接し方よりも、担当の店での地位や関係性の方を見ていたりします。
自分の担当が店の中で立場が無かったら姫も肩身が狭いですし、行きづらくなりますよね。なので売れるホストは売れてるから慕われているのではなく、慕われている人間だから売れていたりします。
そんなこんなで3ヶ月目でようやく売上を作れるようになったわけですが、当時私を指名してくれるお客様はほとんど普通のOLでした。それなりの大学を出て、良い企業に勤めるお姉さんたちです。
同時に、なぜホストをしているのか何度も聞かれましたが、事情については話しませんでした。話せばまた違った未来もあったのでしょうが、当時は店の誰にも実家の事情は秘密にしていたので。
多分、当時の尊敬する先輩方が私と同じ立場でも、言わなかったのではないかと思います。同情の酒はいただかない、それが当時の私にとって最後の守るべきプライドだったからです。
ちなみに私のいた箱は、月にもよりますが、60~70売ればまぁナンバーにはギリ入れるかなという規模でした。経費や引き物もありましたので、お礼や自己投資分も考慮してコンスタントに1年100売れば学費はなんとかなる、という皮算用をしていましたね。
そんなある日、コンスタントにナンバー3以上を維持していた仲の良い先輩と内勤の方と私の三人で、私の売上を伸ばす戦略を立てる会議がありました。今でもその時の空間、先輩の表情、内勤の方の視線を鮮明に覚えています。
詳細は言えませんが、私の指名客の一人に、どういうルートで更にお金を稼いでもらうか(敢えて濁しますが察してください)という会議でした。
当時まだ学生で、まともな社会経験も知識もない私には、その内容(手口)があまりに衝撃的で、言葉を発することができなかったのを覚えています。絶句している私を尻目に冷静に話を進めていく先輩と内勤さんを見て、「あ……この世界で生きていけないかも」と思ってしまいました。
結果、一週間後に私は内勤さんに相談し、4ヶ月目で退店を決定しました。内勤さんは引き止めてくれましたが、最終的にはホストの方々は同期も先輩も私の意思を尊重してくれました。
寂しそうに「もう戻ってくるなよ、昼の世界で頑張れ」と言った先輩の姿は、今でも心に残っています。夜の世界で生きる覚悟は生半可では通用しません。
表に出さないだけで必ず一人一人が事情や葛藤を抱えています。彼らが私の事情を知らなかったように、私も彼らの事情は知りませんが、ホストは決して「楽に稼ぎたい」だけで務まるような仕事ではありません。
さて、ホストを辞めた私は手元に50万円残り、次はキャバクラのボーイに就職しました。これが良くも悪くも大変な人生の転機になったわけですが、詳細はぜひ次回の記事でお話させてください。
長文でしたが、楽しく読んでいただけたのであれば幸いです。