”死ぬまで生きているんだからしょうがない”


養老孟司先生が仰っていた。
リスナーからの質問。

『なぜ、人は生きているのですか?』

ほんの少しの間の後にすぐこうお答えになった。

『生きてるんだからしょうがない、
 そういうことを考える人は大抵暇なんですよ。
 死ぬまで生きているんだからしょうがない。
 だったら、せっかくなら僕みたいに虫のこととか、
 好きなことをやる方がいいんですよ』と。

星と龍と森


わたしの日々のベースにある視点はまさしくコレだ。

わたしがつらかろうと終わりたかろうと
今日も体が生きている。生きようとする。

14年前の夏にバイクで事故って宙を舞ったのが契機だったように思う。

こんなに終わりを望んでいるのに
これでも終わらないんだなと

すぐに観念したわけじゃない

だんだん、それを認めざるを得なくなっていって今がある

それからだってやっぱり
時々は終わりたくなったり
死んでもおかしくない状況を作ったり
しているのだが
生きているんだよなあ

自分で終わりを選んだ人
そして終われた人に
敬意すら覚えながらも

わたしは今日も
体に生かされていて
そうである以上は
いっしょうけんめい
たのしむしかないのだ


20歳の頃、スキーにはまっていた。

あれね、基本は重力で滑り降りるんだけれども
ビビったり
筋力が足りなかったり
道具が合わなかったりすると
後傾、後ろ重心になってしまって
そうすると、めちゃくちゃスピードが上がるうえ
コントロール不能になるんです。

モーグルなんかでは
その後傾すらも上手に使うわけだけれども

後傾、後ろ重心、へっぴりごしになると
コントロール不能になるあの感じは
肉体を持って生きること全般に通じるように思う。


人生という航海を
快適に過ごすコツがあるとすれば
前傾でいること


それを具体的に表現すると
養老先生のいう『好きなことをやる』などは
とてもわかりやすい

だけれども
前傾でいることすらも
完全にコントロールができるわけではなく
気づけば後傾になっていたりもするのが
雪山や、海や、人生といった
自然を相手にしたときの
当たり前のことなんだとも思っている




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