政治を変える/防災の日に寄せて
災害は他人事だと考えている
災害リスクより優先すべき事がある
被災すれば、諦めるか泣き言を言う
多くの人の行動は、私にはそう見えます。
今日(2020年9月1日)は防災の日だとして、
一日中マスコミが騒ぐ時です。
そこかしこで、防災訓練というイベントが行われるでしょう。
もちろん、防災訓練やハザードマップの確認、
避難の場所や方法の家族での確認も大事です。
しかし、私には多くの人が
「災害に合わない事を本気で取り組んでいる」
かどうかは疑問です。
と言うのは、
あの東日本大震災の津波被害の惨状を誰もが見ているのに、
ハザードマップで、津波や洪水、土砂災害の危険地域に住む人は
年々増えているようです。
そういうところの方が便利で、建売の住宅なども多いなど、
災害に合うこと以外では、住みたい理由は多いのでしょう。
しかし、私から見れば、
わざわざ被災して仮設の被災者住宅にでも住みたいのだろうか?
と感じざるを得ないのです。
被災して、ボランティアに来てもらって、
片づけをしてもらってり、
いろいろの見舞い言葉を受けることが
そんなにあこがれる事なのでしょうか?
東京は人口が密集しているがために
今回の新型コロナに感染するリスクも高いのですが、
20年以上前から予想されている首都直下地震が
昼間起こると、
23区内の道路は全て、朝のラッシュ時の通勤電車以上の
身動きできない混雑になる事が解っております。
その状態であちこちに火事が起これば、
消火活動はできませんから、
あっという間に火事は燃え広がります。
路上に飛び出した人は、身動きできないまま
ローストチキンのように炙り殺されます。
私はそれほどではないにしても、
40年前に、大正時代の関東大震災の状況を想像し、
もし家屋の倒壊や火災から生き延びたとしても、
水が飲めなくて死ぬだろうと予想しました。
大正時代にはどこにでも普通にあった井戸が
40年前の昭和の東京ではほとんどつぶされていたからです。
私は、日本で災害リスクの低いところはどこか考えました。
答えは、高知県の中山間地で土石流の発生しない土地でした。
災害は、地震、火山爆発、台風、津波、洪水、高潮、土石流などにより発生します。
また、雨が降らない渇水が続くと、飲み水が十分でなくなります。
それらに起因した大規模な市街地火災や森林火災も
命や財産の消失に関わります。
地震大国である日本の中で、
四国は火山が無いので、少なくとも火山性の災害はめったに起きません。
それが起きる場合は、阿蘇や桜島の噴火と言った
西日本も相当被害を受ける火山性の災害か、
或いは、7万年前、現生人類が総人口1000人程度まで激減していた
トバ火山の大噴火とそれに起因する気候の寒冷化がおこるほどの
火山爆発なら、地球上どこに居ても被災から逃げられないでしょうが・・・
四国の高知県って、台風銀座と呼ばれるほど、
台風の常襲地です。
台風って危険でしょ?
もちろん台風は危険です。
しかし、台風はいつどこに来るかは、ほぼほぼ予想が付けられる時代です。
大雨による洪水や土石流のこない中山間地に住めば、
台風の最中に雨風の荒れ狂う外でウロウロせず、
台風対策をした建物の中で
寝るなり、家族のだんらんや楽しい事をするなり、
室内の仕事をするなりしていれば、
台風は通り過ぎます。
2011年3月の東北大震災でも、
昔の人がそこには(津波が来たところだから)家を建ててはいけない
と言う戒めを無視して家を建てた人々が被災しました。
平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害
でも、昔の人や地理に詳しい人なら、
有り得ない所宅地開発し、そこに住んだ人が被災しました。
熊本豪雨災害でも、
昔から大規模な洪水被害の出ているところです。
私の住む高知県中土佐町でも、
30年以内に来ると言われている東南海地震の
津波浸水予定地域(海岸縁ですよ!)に
新築の家を建てる人が目立ちます。
彼らは財産があれば別ですが、
津波に襲われれば、家を無くしてまた建てれば
二重ローンになります。
それを想像しないのでしょうか?
わざとにしか見えない、
「わざわざ危険なところに住む事」
は私には理解できませんが、
政治を考える上では、
これらの人的被害や経済的損失を事前に防ぐ仕組みづくりを
今までの政治はしてこなかった事の査証だと思います。
被災した人を見舞に行く事が
政治家のパフォーマンスとして有効なら、
災害の起こるところや仕組みを温存する事は
その政治家には意味のある事かもしれません。
やるべきことをやらず、
パフォーマンスだけの政治家を見抜き、
やるべきことをやる政治家に置き換えていくことが
日常的な最大の防災訓練になる
と私は考えています。