不思議の国の豊27/#父はすごいと思った 3
前回は
ここまで、そして
#父はすごいと思った3
これは僕がまだ会社員だったとき
5月の連休前の4月の最後の週に
5日の有給休暇を使い、9日間の連休を取って
高知の実家に帰り、
父の生姜の植え付けのアルバイトをした時のことだ。
父はある時、石割の仕事をすっぱりと辞めた話をした。
それからの数か月は失業保険をもらいながら、
それまで少し植えていた生姜農家になることを決めたのだ。
僕が生まれた昭和30年1955年は物部川最大のダム
永瀬ダムが完成した時だった。
その当時はダム建設によるダム景気と
戦後の復興で家が建ち木材が売れる山景気が
ダブルで大栃の街を賑あわせていた。
物部村は高知県一の面積を誇り、
なおかつ森林面積が98%なのだ。
木しか生えてない村が、森林景気に湧かないわけがない。
大栃には映画館やダンスホールパチンコ店料亭が何軒もあり、
その大通りは通勤時の満員電車とまではいかないまでも
人で足の踏み場もないほどにぎわっていた。
当時は.建設工事もどこかしこで行われていたし、
建物や道路を作るときは必ず石垣が必要で、
父の割った石は引く手あまただった。
徐々に建設ラッシュは減っていき、
技術革新も起こっていた。
建設現場でセメントと砂や砂利に
水を練り合わせて作っていたコンクリートが
生コンと言うコンクリート工場ができ、
コンクリートがミキサー車で現場ですぐ使える状態で届くようになった。
それに伴って、コンクリートでできた
規格品の石垣石(?)もでき始めた。
国道などの建設予算の高いものはそれが使われ始め、
もっと予算の高いものは石垣でなく、
擁壁と呼ばれる鉄筋の入ったコンクリートだけの塊にするところも出ていた。
父はまだ自分が石割職人として高値である間に、
スパっとそれをやめて、
その高い日当での失業保険を手にし、
専業農家に転身したのだった。
#父のベンチャー起業
父はそれまでに買い戻した自宅の周りの田んぼが3反ほどあった。
山間部の物部村では田んぼの面積は広い方だった。
しかしそこで取れるコメは家族で食べても足りないぐらいだった。
父はまずは近所の畑を借り、生姜を植え付けた。
生姜は料理には欠かせず、
専業農家も少ないから、
市場の値が年によって激動した。
終戦直後の物の無い頃なら、
生姜を数株持ってお城下(高知市のこと)に遊びに行けば
三日三晩料亭でどんちゃん騒ぎをして帰ってこれるほど値がした
事もあったようだが、
父が生姜専業に転業したころでも、
数年に一回高値があり、
その一回分で家が建つほどの収入になったそうである。
父の語った農業の儲かる仕組みを
経営のわかるようになった経験を積んだ僕の言葉に置き換えると、
「生姜には生産技術、貯蔵技術、販売技術の3つが必要だ。」
ほとんどの農家は生産技術をきちんと身に着けていない。
生産技術のあるほとんどの農家でも貯蔵技術は十分でない。
せっかく獲った生姜を貯蔵中に腐らすのだ
あるいは春先までは貯蔵できるが梅雨を越して貯蔵できる農家は稀だ。
最後の販売技術が最も難しい。
ほとんどの農家は生姜の販売価格は
高ければ高いほど良いという価値観しかない。
それは心理的な相対的価値観だから、
今の値段でよいと決断するタイミングを失う。
当時の生姜は農協に出すか、生姜の商売人
(市場におろす権利を持っている商人
または仲買と言って農家から買い付けその商人に卸す商人)
に売るしかない。
農協は値段に関係なく計画通り出荷しなければならず
農家には人気がなかった。
商売人は必要な生姜が集まらないときは
市場に先行して高めの値段を農家に提示して
買い集める。
逆に十分集まった時や市場の品の流れを見て、
生姜をあまり買いたくないときは
値をどんどん下げる。
当時生姜は貫(4キロ)なんぼと言った。
後にした僕のコスト計算では
反当たり千貫獲れれば、貫千円が
自分の人件費を引いてもペイする価格だ。
反当りの売り上げが100万円になる。
1町やれば1000万の売り上げで、必要経費が700万円だ。
さて、一般の生姜農家の販売行動を見ると、
商売人が「売ってや!売ってや!」と言って
前来た時より100円200円値段が上がって居る時は
農家はまだ上がるかもしれないと思って
生姜が売れない(決断できない)。
生姜はその頃貫2千円を超えている。
ここで売れば農家は家が建つかもしれない。
ところが商売人がそろそろお腹が張る頃、
市場では生姜の値が上がり過ぎて、高値で品の動きが悪くなる。
その上げ幅が50円とか20円、0円になる。
ほとんどの農家は前より上げ幅が小さいじゃないかと思って
生姜が売れない(決断できない)。
次に商売人が来た時、
100円200円と前より安くなる。
もう商売人は良い生姜なら欲しいし、
農家とも長い付き合いをしたいから買には来る。
しかし損をしてまで付き合う貯蔵性のいい生姜農家は極稀だ。
農家は、「前より安いじゃないか!とんでもない!」
と売らない(決断できない)。
結局、僕ならペイする価格貫千円まで下がっても
ほとんどの農家は売れない(売りたくない)(決断できない)。
「だってほんのこないだ2000円を越していたのに、
もう半値以下じゃないか!
そんなに安う売れるわけないやろ!」
ってことになる。
もう商売人はその年の秋の生姜の収穫までは来なくなる。
一方農家は、貯蔵性の悪い生姜から腐り始める。
肥料代や農薬代も払わなければならないし、
生活費もいる。
商売人に聞いても「もう500円もせんよ」
と言われる(決断できない)。
仕方なく、400円とか250円とかで売ることになる。
僕に言わせると、年300万から800万の赤字である。
1キロも売れずに全部腐らす農家もいる。
そんな農家はもう夜逃げしかない。
販売技術で家を建てる農家と
夜逃げする農家との差が出るのだった。
以下次号