花とアルペジオ
もともと、香水は嫌いだった。
どうしても、いわゆるギャルというか、派手な若い女性や、それなりに年輩で身なりに気を遣っている(のだけど、気を遣いすぎている感じの)女性とすれ違うときに感じるキツい匂いの印象があったから。
失礼だけど、トイレの芳香剤みたいだと思っていた。
自分の母親も匂いの強いものを嫌っていたので、子供のころからあまり香料が使われていないものに囲まれて育った。
匂い以外にも音とか光とか、私は周囲の情報に過敏なきらいがあるので、たぶん特にそういうものを苦手に感じていたんだと思う。
その私が、最近香水を自分で買った。
なんでかって、それは、よくありがちなやつ。レンアイ。
好きな人の、、違うな。好き「だった」人の、匂いに似てたから。
はは、改めて文にするとばかみたいだな。
なんだったんだろうってくらい、好きだった。めちゃくちゃに好きだった。
なんだかとんとん拍子で付き合えて、でも全然会えなくて、あまりに遠くて、考え方や状況やいろんなことが遠すぎて、付き合ってるのに苦しいことばっかりだった。
びっくりするくらい、理屈や理性で考えたら全然好きじゃないタイプの人だった。
感情だけがひたすらその人を求めてた。自分でも意味わかんない。
でも会えた時には飛び切り嬉しくて、幸せで、そして毎回しぬほどいい匂いがした。笑
なんだか気恥ずかしくて、ずっと「いい匂いがする」なんて言えなかったけど。だからそれが香水なのかも、そうだとして何の香りなのかも全然聞けなかった。
それからしばらくして、その時はそれが最後だなんて思ってもいなかったのだけど、結果的に別れる前に会う最後の日になってやっと、「香水使ってる?」ってなんとなく聞けた。
いや、その時が最後と思ってたわけじゃないけど、予兆というか、予感はあったのかもしれない。
でもその答えが「え、使ってないよ?」だったものだから、結構びっくりして、つい流れで「あれ?めっちゃいい匂いするから香水かと思ってた」なんて思うままに言ってしまった。
彼はなんだか照れくさそうに笑っていたけど、本人に自覚はなかったから、結局それが、たとえばボディーソープの香りなのか、洗濯物の柔軟剤の香りなのか、それともその人固有の本人からする匂いだったのか、分からずじまいだった。
分かったら同じの買ったのに。
その帰り道、電車で隣に座った女性から、奇跡的に、それにかなり近いというかほとんど同じ香りがした。そんな偶然ある?って自分でも思うけど、あったのだから仕方がない。しかもその女性は自分と同じ駅で降りた。
彼の香りより強くてはっきりしていたから、これはきっと香水に違いない、とほとんど確信した。
さすがに追いかけたり声をかけたりしようとは思わなかったけれど(知らない人にその香水なんですか、とかいきなり聞かれるのはどう考えても怖い)、ふと、その駅ビルに入っている化粧品のお店に、香水のコーナーがあったことを思い出した。普段は素通りしていた一角。
気が付くとその足でそのお店に向かって、香水のコーナーをまっすぐ目指していた。いろんな種類の香水が混ざった匂い、やっぱりあんまり好きじゃないな、と思いながら、でもこの中にさっきの香りがあるかもしれないという一心で、いくつもあるサンプルを試していく。
棚の半分が終わって、どれも違う。普段かぎなれていない匂いを一度にかいで、少し気分が悪くなってくる。でもまだ、さっきの香りの記憶があるうちに。あの人の気配があるうちに。
時々むせながら、ここには置いていないかもしれないな、とか、同じブランドのものはやっぱり似ているのがあるんだな、とか思いつつ残りの棚の半分くらいに差し掛かった頃、手が止まった。
「これかもしれない」
そう思ったけどすぐには確信が持てなくて、その隣のいくつかも試してみる。またさっきのに戻る、他のを試す、を何度か繰り返して、ようやく「これだ」と納得した。
もちろん、付き合っていた彼自身は香水じゃないと言っていたし、たまたま似ていただけで、私が探し当てたのはどちらかというと電車で隣り合った女性の香りだった。
でも、その香水がめちゃくちゃに好きな香りであることは間違いないし、イコールかどうかは置いておいて、会えない間その人のことを勝手に思い出す分には私の自由だ。
しかも価格を見ると、元値はそこそこするものの、(香水にはわりとありがちなようだけど)拍子抜けするほど値引きされていた。
「これは神様が買えって言ってるな」
なんて、無宗教なくせに都合のいい時だけ神様を引き合いに出す私は、一人覚悟を決め、その香水を手にレジに向かう。
ただ香水を買うだけなのに「覚悟」だなんて大袈裟だけれど、今まで嫌っていたはずのものを初めて買うというのは、私には少し、何か適当でもいいから気合とか後押しみたいなものが必要だった。
かくして人生で初の香水を手に入れた私は、最初は控えめに、ティッシュペーパーなんかに振りかけてみたりして、少しずつ自分に使うのも慣れてきて。
そして時々「あの人の匂いだな…」って思いを馳せる……はずだったんだけれど、前述のとおりその人とはその後わりとすぐに別れてしまった。
しかも私から。
言ってしまえば軽く裏切られたというか、いろいろと理由やきっかけはあったのだけど、結局私にはあの人の弱さや甘さが許せなかったんだろうな。好きすぎて、期待しすぎたのかな。
強がってばかりで、本当は弱い人なのは最初からわかっていたけれど。
私だって、人のことを言えるほど全然まったく強くはないけれど。
とにかく付き合う前と付き合っている間はあんなに好きで好きで仕方がなかったのに、一度別れてみたら思いのほかあっさりとその状況を受け入れられてしまった自分がいた。
正直、別れようと啖呵を切ってはみたものの、お互い嫌いになってその決断をしたわけでもなかったし、しばらくしたらまた「よりを戻したい」なんて、どちらともなく言い出すかなって思ってもいた。
でも、それ以後一切の連絡を経ったまま。これから取る気も無い。
別れた人の(に似ている)香りの香水なんて買ってしまって、使っていたらずっと忘れられないんじゃないのかな、なんて心配もしていたのだけど。
これが自分でも意外なことに、むしろ「あの人がいなくても、私にはこんなに素敵な香りの香水がある!」という気持ちが湧いてきて、彼抜きでただただその大好きな香水のある生活が私に残った。
もしかして私、あの人が好きだったんじゃなくてその香りにつられていたんじゃ…?ってなるくらい。笑
(ちょっと矛盾しているけれど、感情や記憶と匂いは強く結びつく、なんていうのは有名な話だものね。)
今でも、ほとんど毎日その香水を付けて過ごしている。
なんなら日常的に使いすぎて鼻がその香りに慣れてきてしまったから、同じブランドの、少し違う好きな香りの香水も見つけて、それも買ってしまった。
その日の気分でどちらかを付けて出かける。
といってもそのほとんどは仕事なのだけど、好きな香りをまとっていると、それだけでなぜか仕事をする上での「戦闘力」が上がる気がするんだよね。
誰に振りまくでも、別れた彼を思い出すためでもなく、ただ自分の気分を上げるためだけに、気持ちよく日々を過ごすためだけに、香水を愛用するようになった。
朝急いでいて付け忘れてしまった日には、だいぶがっかりして「なんだか今日はやる気が出ないなぁ」ってなるくらい。
自分が元々香水嫌いだったのもあって、周りの人にも迷惑にならないよう最小限にしているつもりだけど、それだけ気を付けながら、これからも大好きな香りに包まれて毎日過ごしたいな。
もうあの人と会うことはきっと無いけれど、元気でいてくれたらいいなと思う。
私も大好きな香りに包まれて、どうにかこの日々を乗り切っていくから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?