
甘い吐息はカリンバに弾(はじ)かれて
「まじイケオジだわ……」
JKグループが漏らしたため息のような声にひかれ、渋谷の人通りに揉まれるわたしも彼女たちの視線の先を見遣る。
ミヤシタパークの壁一面に投影されたマッツ・ミケルセンが、憂いを込めたまなざしを投げかけながら輝いている。
ああ、マッツね。あんな美しい絵空事は、イケオジって言わない。
イケオジっていうのは――。
自分の6、7年後輩に過ぎないJKたちに講釈を垂れたくなったわたしは、その代わりにふんと鼻を鳴らすと、セカストで買ったミュウミュウのヒールを地面に刻みつけながらエスカレーターに向かう。
今夜の予定も、いつものオーダー通りに回していく。ほの白いバーカウンターに意外と奥行きのあるモダンな店内、いかにもの年かさ男がご満悦するイタリアン『NEWLIGHT』に着いたのは時刻ぴったり。
奥の座席でとろんとリラックスしたふりをして待つのは、三度目のご対面となるごくフツーの量産型おじだった。
「清潔感が大事」とばかりむくんだ顔に似合わぬジョンスメドレーのハイゲージニットにディーゼルのデニム、小金はあるんだろうけどスーツを脱いだドレスダウンの化学を知らない、日曜日のおじさん。そんな小男に睫毛を伏せながら会釈して、机の下で封筒を渡されれば夜が始まっていく。
アンティパスト、プリモピアットとお皿がまばゆい彩りを変える。
でもね、あなたの欲しいものはその「後」でしょう?
おじの心を推しはかりながら、しゅわしゅわを手に空疎でやさしい会話を重ねる自分は強い。
そんなわたしは浜辺美波に似てるってあまりによく言われるから、わざとヘアスタイルを寄せたら爆美女乙とか女たちに嫌味を言われるようになった。
女は苦手。わたしにも地元に少数の女友だちがいたけども、パパ活やってる、しかもジジ専って秘密を洩らしたらムカデでも見るように嫌われた。しかも嫌われたのはわたしではなく、おじたちのほう。
「自分の父親以上の年齢でしょ? おやじは無理」
「そんなの精神年齢低すぎの未熟な中年だよ、気色悪い」
おじたちが狂ってるのはわたしだってわかってる。その狂いが胸キュンポイントなのに、最終的には、
「わかる? 沙綾はグルーミングの被害者なの。幼少期に嫌なことあった? 性的搾取から救われなきゃ」
なんて団結して怒りをあらわにされたから、わたしは話してしまったことを心から後悔した。
話のわからない女たちをよそに、わたしはおじたちからは好評を得ている。
こないだは「君、顔採用ね」なんて代理店のおじに冗談を言われたけど、Fランギリ卒のわたしにえぐいなあと笑ってかわしたっけ。
かわせば簡単。なんてこの世はイージーなんだろうと思うと同時に、清楚を振る舞うほど簡単にモテるってこともよくわかった。
それでも稼ぎなんかは二の次で、「ハズレでしょ」と笑われそうなおじばかり好んで食いまくる、そんなわたしは強い。
思えばわたしは昔から「ハズレ」に執着する性質だった。
それは9歳、母からの誕生日プレゼントとしてペットショップに連れて行かれたときのこと。かわいいチワワのケースに人が群がるなか、わたしは怯えた様子で店の隅っこにうずくまる、パグみたいなしわしわ顔の雑種を欲しがった。
ケースにすら入れられず、Pちゃんという仮の名前まで付けられたその子を家に連れて帰りたかったけれど、母は「辛気臭い、そんな売れ残りの雑種」と吐き捨てるようにけなした。
目下の話をまったく聞かない母は「そんなのより、トイプードルの方が可愛いでしょう?」と無理やりわたしをケースの前に連れて行ったけれど、初めて値札を見て目をひん剥いて、「犬飼うなんて金持ちの道楽よ」と大声で怒り出した。
また始まった。恥ずかしさで顔が火照った。
ケースの周りにいたお客さんの冷たい視線が突き刺さる。
ついには誰かから「じゃあ来んなよ」と呟かれて笑いが起こったので、わたしは「お母さん、もう帰ろう、犬いらない」と必死に母を引っ張って店を出た。
わたしは寝床の中で、母に切り捨てられたパグのPちゃんが、店員や、わたしたちを笑ったお客さんや、そしてお母さんのことを狂ったように嚙み殺していく様子を想像して興奮した。
ハズレは強い。強くてこわい。いつしかわたしは、猛り狂ったPちゃんが人間になり、わたしの身体を蹂躙していく夢想をすることで、自慰を覚えた。
「……サヤちゃん、どうした?」
テーブルの向こうから、ジョンスメドレーおじが心配そうに眉根を寄せる。
どうやら夢想が過ぎてしまったみたいだ。わたしは静かにカトラリーを置くと、ビジューのついたオーロラネイルを両頬にあて、うっとりとまばたきをする。
「ううん、素敵なお店だから、ちょっと家族のこと思い出しちゃっただけ」
「そっか。サヤちゃん、いいご家庭だったんだね」
えー、普通ですよ、と微笑みながら、わたしはもう食後の「大人」のことを考えている。
お手当てを積み重ねること100、200とダッフィーちゃんの缶に集めながら、野暮ったくて、ずるくて、横柄で、卑屈なおじたちの黄色い肌に触れる瞬間はいつもぞくぞくする。威勢よくことに及んで、それでいて最中には情けない顔をするおじたちの汗はいつもぬるりとしている。
わたしはその汚れにまみれていくことに快楽する。
わたしは汚いおじたちから求められることに、快楽する。
それは、オトコになったPちゃんから、ねぶり倒される夜のように。
パパ活を始めて1年とちょっと。
この稼業は本気で心がすり切れるから「足抜けするなら2年だよ」と言われるなかで、結構なベテランになってきた頃のこと。
アプリのペイタで54歳の茂道と出会った。
そもそも年齢もいっちゃってるし、初対面でP女たちから「絶対ハズレ」って言われそうなのが、彼のそのルックスだった。
色褪せたローゲージニットに洗いざらしのサルエルパンツ。齢なりに黄変した肌。枯草のようにむわっと立ち込める独特の香り。そしてなによりも、麻呂っぽい童顔に白髪交じりの尖ったあご髭がうさん臭さを醸しているし、左親指の付け根には星をかたどるタトゥーが彫られていた。
会った瞬間「こりゃ普通だったら『プロフ詐欺』ってマッチしないだろうなあ」と思った。ペイタに貼られた写真はプラダのTシャツにサンローランのパワーショルダージャケットを羽織ったスタイルで、鋭角的なシルエットのなかにスノビズムを醸していた。
これが実際に会うと、高円寺あたりのインド衣料品店で買ったっぽい、ぐうたらな着ざらし、のようにも見えるだろう。
でも服オタのわたしにはわかるのだ。彼の着こなしがまんまヨウジヤマモトプールオムのアーカイブスで構成されていたということが。そんなの着てるとお金持ちって伝わらなくてモテないから、パパ活でわかりづらいカッコしないほうがいいよ、と後日笑って伝えたほどだ。
そもそも彼のプロフで惹かれたのは職業の記載がYouTuberだったこと。
きめきめの洒脱でこの職業。プロフには年収2000万以上とあったけど、そんなの誰だって言うだけならタダでもできる。本音のところはどうなんだろうと気になった。
顔合わせでさっそく「なんのYouTubeやってるんですか?」とジャブを送ったところ、カリンバ奏者で大人気なんだよ、と両手にピースサインで言われたのだ。
カリンバ?
もちろんのこと、わたしは突然言われてもわかるわけがない。
「マリンバ? 叩くやつ?」とかわいく聞いたら、「半分正解。木の小箱に鉄の櫛を貼り付けてあって、そこを指で叩いていく楽器だよ」と、合わせた両指を弾いて教えてくれる。
さっそくそろばんを脳裏に描きながら、ずばり「登録者数はどれぐらいなの?」と聞くと、指をざらっと折って、「うーん、いっぱい」と笑いながら煙に巻く。
化粧室に立つふりをして、急いでYouTube検索をしたけども、それだけの情報ではまったくヒットせずわからなかった。戻ってきてから「ね、詮索とかはナシだよ」って言われたときにはドキッとした。
「いいでしょ。おじさんになってもYouTuberって儲かるんだよね、おかげでサヤちゃんみたいなかわいい子と遊べるんだ」
にたりと笑って見せられるものの、何もかもがうさん臭い。並みのパパ活女子なら「最低限、お手当て1万円だけはもらって顔合わせでブロック」と感じるだろう第一印象の彼とそこから回数を重ねたのは、私にはただの単純な欲望があったからだ。
それが、お金とセックス。
茂道は顔面の冴えなさとは正反対にめちゃくちゃ羽振りがよく、人形町のぼんくら、湯島の味噌坐玉響など、パパ活女子向きではないけれど味の確かな店に私を連れて行っては、「ジビエ好みは旬の季節がくっきりわかるからいいんだよ」などと唸るような顔つきをして、ごはん代の何倍ものお手当てをその都度わたしに振る舞った。
キラキラしてないお店に連れて行かれるなんて、そんな経験は初めてだった。嬉しかったから料理の写真をインスタに上げたりもしたけれど、女子の仲間からは「茶色い」「映えなくて草」と失笑されるのでやめてしまった。
茂道は相も変わらず性的なそぶりも見せずに、アフリカの国々の文化について熱っぽく語る。その食事のたび、わたしの財布には5万円が貯まっていく。
こういう男はイケる。ぎらりとしたところを隠す男ほど性に執着があるのは知っていたから、私は時を待った。
かさかさした皮膚の下、ぱんぱんに詰められた欲望。
中高年男性特有の、屈折した性のはけ口として汚されることを私は待った。札びらで顔をはたく男どもが、精を絞り尽くしたあとにだらしなく仰向く、すがるような顔を見下ろしたい。
たとえ誰から「春を売る女」とばかにされようとも、事後のおじたちの情けなさをシーツの波間に見る瞬間がたまらなく好きで、わたしは行為の中毒となっていた。
「実はSでしょ」とおじから囁かれるたびに「〇〇さんの前ではいつもドMだよ」としらを切ってきたけれど、内心では上から目線だったわたしは、数度のお食事デートを経てようやく切り出された大人の関係をきっかけに、あっけなく茂道に溺れた。
それはいつもの手順に飽ききった、「大人」の始まりのはずだった。
形式通りのしなをつくり、媚び、拗ね、じゃれつくように行為を始めたわたしを制したのは、彼の方だった。
なめらかな腕から伸びているやけに筋ばった指は、吸いつくようにわたしを撫でた。シーツの上で膝を崩して抱き合うと、鎖骨にそって唇を這わせ、「初めてじゃないくせに」となかばの怒りを込めた声で耳たぶを噛む。
整髪料できしむ短髪のなかに指を差し入れ誘導すると、つるつると蔦が伸びるように温かな舌使いが下腹部へと降りていき、ぺろりと肉を分け入り丘を吸った。
この人、すごい。
直前まで交わしたくちづけの甘ったるい唾液が唇の中で酔いをまわすようでいて、わたしは手のひらで男の頭を支えながら小さくえづくことを止められなかった。
熱くざらついた男の舌がこまかに核を震えさせ、逃げそうになる腰をぎゅっと掴んだ指先が、舌に加えて混ぜ合わせるように、執拗にびちゃびちゃと責め立ててくる。
吐息のような、猛り狂った犬のような鼻息を肉に浴びながら、タトゥーの入った指先が縦横無尽にうごめくさまを脳裏に描いてたまらなくなった。
もはやだらしなく伸びきった手足を投げ出したわたしは、喉がひりつくほど声を漏らし、かすむ天井をぽっかりとした目に映して、終わりなど来なければいいのにと祈るように身を任せた。
やがて訪れる脳裏を貫く激しい震えに動きを止めた大きな影が、わたしの上にかぶさってくる。
首に手を回しながらどうしてそんなに気持ちいいの、と息も絶え絶えに漏らすと、「楽器と一緒。はじくのは同じ」と低い声で耳につけた唇がささやき、あっという間に呑みこまれた。
最初こそ恵比寿や青山で待ち合わせしていたデートだけれど、下町のジビエ屋を経てから数回目の寝物語に「おれ、ほんとは東大宮に住んでるんだよね。YouTubeの撮影部屋も欲しいから2Kで広いとこが良くて」と聞いたのでがっかりする反面、嬉しくなった。
「わたしも。高崎線の上尾なの。ほんとは白金とかのマンションに住みたいんだけど、今は細かい案件ばかりで、そこまで太いおじがいなくて」
「えーと、おじ」
身体が余韻で揺れていたからうっかり口を滑らせてしまった。
高い女でいたかったけれど茂道には言ってもいいやと諦めた。
「ほかの男の話をされるのは、わかってても嫌だな。もちろんおれだけにしろなんて、言えないけどさ」
嫉妬めいた言葉にときめいた。そしてこうも口をついてしまった。
「ねえ、次からはシゲのお部屋で会うのでもいいよ?」
リスクヘッジのためにも、女子仲間では「おじの家は定期になるまでご法度。金払いをごねられないためにも外で」という掟があったけれど、好奇心が勝ってしまった。
それに、YouTuberの部屋というものにも興味があった。
茂道はしばらくうーん、と悩む顔つきで机を睨んだあと、ぱっと放った。
「家はいいけど、配信部屋はだめ。ごつごつした機材ばっかりあって、狭くて、おれ一人しか入れないの。誰も入れたことないから頼むな」
茂道は立てた人差し指を唇に当て、その代わりわたしを部屋に引き入れることにはウェルカムという態度を見せた。
そんなこんなで、わたしはひとつの季節を彼の東大宮2Kのアパートに呼ばれながら過ごした。
アーティストの部屋だから個性的なのかな、と胸を膨らませたもののそこはニトリや無印がごたごたとあふれる「独身男のむさい部屋」に過ぎず、ちょっとがっかりする気持ちはあった。
配信部屋に繋がるドアは後付けの補助カギがかけられており、中の様子を伺うことはできない。
「ねえ弾いてみてよ、トトロとかそういうの」とじゃれつきながらおねだりしたことも何度もあったけど、「プロだから、そういうのはしないんだ」と唇に小さくキスをされておしまいで、一度たりともカリンバを出してもらえたことはなかった。
それから幾日か経ってからのこと。何度断られてもクセになってしまった「となりのトトロ」をハミングしながら「わたし子どもみたいだね」とじゃれつくと、茂道は黙ってわたしをソファに座らせた。
そしてテレビ台の隅に放置されたラガブーリンのボトルをひょいと手に取り、プラスティックの曇ったグラスふたつをキッチンから持ってきてボトルを開いた。茂道は目分量でさっとウィスキーを注ぎ、ソファに座るわたしの両手にひとつを握らせた。
ようやくソファの隣に深くうずもれた茂道は、ちいさく「乾杯」と唱えると、目を合わさずに身の上を語りはじめた。
学生結婚で子どもを授かったが生活の行き違いで妻子とは離婚して暮らすこと、子どもも成人して北海道のサッシメーカーに就職したこと、お金はあるからアプリで会う女の子をサポートしてあげたいということ。
そして変わらず夢を語った。いつかカリンバでアフリカに行きたい。発祥の地、ジンバブエで演奏して地元のミュージシャンとセッションするんだ。
いまもYouTube経由でうまい話をまとめている最中なんだ。おれは指10本で世界に行く――。
「それさあ、あんた騙されてるんじゃないの」
上尾駅の西口、UFJを越えたところにこじんまりと開くマックの二階でアイスカフェオレをずずと吸い上げると、向かい合わせに座ったニカが口を開いた。
わたしは瞬間、かっとなった。
「ないない、それはない。シゲには職業倫理があってね」
「はあ倫理~? それPJのわたしらが言うこと?」
アタマおかし、と呟いたニカは、ばりばりに尖らせたスカルプネイルの先でウォニョンヘアをかき上げて、ぎゅっと眉間にしわを寄せると、こちらに顔を寄せて囁いてくる。
「だからさ、どうすんのよ。最近お手当ても下がってるって言うじゃん」
「それね。なんていうの、こなれてきた関係、ってことなのかなって」
「サヤ、おかしいおかしい。1にも2にもお手当てのためにわたしら働いてるわけじゃん。まさかくっそジジイにほだされたのか……」
「あのねニカ、わたしパパ活とか置いておいて、もうシゲがいいかなって思ってるんだ……」
ニカはド派手にため息をついた。
「やだやだ。そんなのが一番、PJの職業倫理に反するじゃん。サヤ忘れたの? 臭いジジイに身体許して、その分全霊で見下しきってやるのが快感、って言ってたの」
わたしは思わず腹を抱える。
そうそう、これまでのわたしはそうだった。
「でもさシゲはほんとは繊細で、わたしじゃなきゃって思うし、なによりセックスがすごい良くて」
ニカはは~、と特大のため息を漏らしながら腕を組んで、こちらを睨みつけてくる。
「わたしは。サヤが心配。分かる? 女同士だから言うんだよ。そもそもYouTuberってのもウソだろうし、最悪お手当て貰えなくても手を引きな。まじ騙されんな。これは友情からの言葉だ」
怒ったニカの真顔は美しい。女のわたしでも思わず見惚れる。そんな彼女はメン地下の琉亞くんに貢ぎすぎたあまり上尾でくすぶってることを考えると、実際のところパパ活で成り上がるのは簡単なことじゃないと思う。
だからニカの言葉はわたしに刺さった。
でもね、それでも胸がひりひりする。たぶん、わたしは茂道に恋をしている。わたしはニカの友情に感謝しながら、「騙されてもいい」とうっとり思っている自分に気付いてしまった。
そう、わたし、騙されてもいい。
ううん、「騙されるから、騙されたいから、いい」。
シゲに会いたい。
これから化粧し直して乃木坂なのだというニカに別れを告げると、わたしはアポがない日にも関わらずJRの改札口をくぐり抜けた。湘南新宿ラインをふた駅ぶんと宇都宮線をふた駅ぶん。乗り換える足取りも慣れたものだから、階段に近い扉を選ぶ。指のささくれを咎めてしまったようなぴりっと甘い痛みに取りつかれながら、移りゆく車窓をぼおっと眺めていたらすぐだった。東大宮駅の東口を出たら10分ほど、茂道の住むアパートにわたしは向かった。
気付くともう夕暮れ時だった。
歩くそばの住宅から、お味噌汁の匂いや揚げ物のぱちぱちする音が漏れ聞こえてくる。わたしもシゲにごはん作ってあげたいな、チャーハンぐらいしかできないけどさ、キムチとかどかんと入れたやつ。
そんなことを考えながらもうすぐアパートという路地裏で、ばったり茂道に会った。不意を打たれた茂道は目を丸くして、手に持ったビニール袋を取り落としそうになる。
口をぱくぱくしながら声を抑えた茂道は、「とりあえず部屋に入るか」とわたしを導いて中に向かった。
蛍光灯をつけた部屋のちいさなソファにちょんと腰掛ける。
どさり、と机の上に置かれたビニール袋の口から、巣鴨古奈屋のカレーせんべいや、カントリーマアムバニラ味や、茜丸五色どらやきがこぼれ落ちた。
言いたいことはたくさんあった。
ねえ今日何してた?
わたしのこと考えた?
急に来るなんて思いもしなかったでしょ、嬉しかった? 怖かった?
あのね、友だちに騙されてるって言われたんだけどわたしそれでも構わないんだよ。
シゲ、わたしね、あなたのことが――。
「……コなんだ」
茂道がビニール袋の口を掻き合わせながら、もごもごと言葉を回す。
え? なんだろ、小さくて聞こえない。
思わず顔を近付けると、弱々しい声が畳みかけた。
「パチンコなんだ。見たろ、換金した残りの景品。俺の収入は、それだけ。言っただろ、『はじくのは同じ』って。YouTubeだってそんな誇れる収益はない」
茂道はうつむいてそう呟くと、「だからごめん」と床に向かって謝った。
思うより先に「いいのよ」と声に出た。
「YouTubeの収益だってだいたい知ってた。隠されてたけど、もちろんアカウントも特定してた。そしたら登録者数、スマホでばっちり見えるもん 」
「知ってたのか」と茂道はがくりと頭を折った。
「わたしは。わたしは謝られるつもり、まったくなかった。いいのよ。これまでみたいに夢を聞かせて。わたしはあなたが何者でも構わない。どんなに金を持ってなくても構わない。それならわたしが稼ぐから。もっと太いおじ捕まえられるいい交際クラブとか――」
黙って聞いていた茂道は「やめろ」と小さく叫んで、わたしの手首を強い力で掴んできた。
「サヤは無理しなくていい。こんなじじいが一時でも夢を見られただけで幸せなんだよ。金は必ず払うから待っていてくれ」
「そんなの要らない!」
「サヤ!」
わたしは茂道に抱きついた。かさかさした枯草のようなおじの匂い。この夏ずっと慣れ親しんだ匂いが、分煙されていない地方のパチンコ屋のそれだと気付くのもすぐだった。
そうだったんだね。
とたんにわたしは、ずどんと突き上げるような欲望に呑みこまれた。
驚いた茂道のあご髭を両手で挟み、食べてしまうようにくちづけた。本当に食べていたのかもしれない。唇を吸い、唾液を絡めとって熱い舌を吸い込んだ。
茂道は発語したそうにしていたけれど、言わせる必要もないと思ったのでそのままずるずると身体を下腹部に降ろしていき、サルエルとショーツを一気に引き下ろしてそのものを掴み、頬に当てた。
どくどくと脈打つのが分かるそれを柔らかな頬に沈ませながら、先端まで気持ちが満ちるのを確かめる。
たっぷりとしたキスで潤った唇を縦に開いて舌を突き出すと、毛糸を編み棒に絡ませるようにそのものに沿わせ、濡れた口の中に引き入れた。
堪えるような声を漏らしながら髪を撫でられ、「我慢できない」という声とともに両脇から引き上げられたわたしは、そのまま狭いソファに横倒しにされてショーツの隙間から突き上げられた。
急激に発汗する背中を洋服越しに感じながら、ままならぬ狭さのなかで深い吐息を重ね合わせた。
始まるのも急で、終わるのも急だった。額のあたりにちかちかとする星が出るような、痛みにも似た快楽がほとばしり、わたしと茂道はぐったりと溶け合った。
それからどれだけ時間が経っただろう。部屋が真っ暗になったことに気付いたわたしの胸には、部屋のブランケットが掛けてあった。
目をこらすと開かずの撮影部屋のドアの下から光が漏れ、ぼそぼそとした声が聞こえている。そうだ、今夜は茂道とおぼしきアカウントの、初のYouTubeライブの日だった。
わたしはそっと撮影部屋の扉に耳をすりつけ、ひと音も聞き漏らさないようにそばだてる。スマホのYouTubeを立ち上げる。音を消した動画と、リンクして聞こえてくる生音。
「……次の曲で最後です。初公開のオリジナルで、『おてんばさあや』」
YouTubeの中の人から自分の名前を呼びかけられて、胸が止まった。部屋の中から漏れ聞こえてきたのは懐かしいようなくすぐったいカリンバの音色。
いつも通り指先だけの映像に、穏やかな曲調から一転、激しく乱れた不安な音が流れ出す。それもつかの間、優しい和音を取り戻し、テーマに沿ってエンディングに向かう……。
わたしはいつの間にか泣いていた。ライブ配信が終了してそっと立ち上がり、よろよろとソファの背中にめりこむように冷えた身体をこごめる。やがて部屋に蛍光灯がパッと点き、大きく温かなものがわたしを後ろから抱きかかえる。
「聞いてよサヤ。いまYouTube経由でジンバブエの代理店から話が合って、来て演奏してくれと。夢が叶うんだ。一緒に来てくれるよね」
わたしの気持ちは決まっていた。
涙でびしょびしょのまま身体をくるりと向きかえ、茂道の頬を両手で押さえた。そして鼻と鼻をぶつけるようにして、こう囁いた。
「なんだ、ジンバブエの夢も、なんなら才能も、本当のことだったんだ。嘘ならよかったのに。あなたがくだらない嘘を語るはりぼてだったらよかったのに。ありがとう、もう会わないよ、おじさん」
呆気にとられた茂道を取り残してわたしはソファから器用に降りると、洋服掛けの隅にあるヨウジヤマモトプールオムのヴェルヴェットコートを奪った。
「今日のお手当てはこれもらっとく。さよなら」
「それだけはやめて。レンタルサイトのやつだから……」
もう振り返らずに靴を履き、わたしは東大宮の住宅街に躍り出た。
泣いたのは、悔しかったから。
わたしは騙されたかったんだよ。
はっきり分かった。
わたしは嘘を吐くおじが好き。
だめなおじの弱さが好き。
だめなおじに蹂躙されて、それでも心で見返す自分のことが、何より一番、好きだから。
わたしは渋谷でマッツ・ミケルセンにため息をついたJKたちのことを思い出した。
あのね、私の思うイケオジっていうのはね。
報われない、可哀想な人のことなの。
東大宮駅も近い。わたしは奪ったコートを天高く放り投げた。ふわり、と広がる袖口の隙間から、24時間営業の西友のライトがまばゆく散った。
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