ギリシア語で『ソクラテスの弁明』を読む (第七章)

この記事ではプラトン『ソクラテスの弁明』を古典ギリシア語で読むための手助けとして、初歩的な復習も含めて一文ごと、一語一句すべての単語に細かく文法の説明をしていきます (不変化詞の繰りかえしは除いて)。今回は第七章 (ステファヌス版の 21e–22c) を扱います。

使用した本文や参考文献については第一章の記事の冒頭に掲げてあるのでそちらをご覧ください。

第七章 (21e–22c)

Μετὰ ταῦτ᾽ οὖν ἤδη ἐφεξῆς ᾖα, αἰσθανόμενος μὲν [καὶ] λυπούμενος καὶ δεδιὼς ὅτι ἀπηχθανόμην, ὅμως δὲ ἀναγκαῖον ἐδόκει εἶναι τὸ τοῦ θεοῦ περὶ πλείστου ποιεῖσθαι—ἰτέον οὖν, σκοποῦντι τὸν χρησμὸν τί λέγει, ἐπὶ ἅπαντας τούς τι || δοκοῦντας εἰδέναι. καὶ νὴ τὸν κύνα, ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι—δεῖ γὰρ πρὸς ὑμᾶς τἀληθῆ λέγειν—ἦ μὴν ἐγὼ ἔπαθόν τι τοιοῦτον· οἱ μὲν μάλιστα εὐδοκιμοῦντες ἔδοξάν μοι ὀλίγου δεῖν τοῦ πλείστου ἐνδεεῖς εἶναι ζητοῦντι κατὰ τὸν θεόν, ἄλλοι δὲ δοκοῦντες φαυλότεροι ἐπιεικέστεροι εἶναι ἄνδρες πρὸς τὸ φρονίμως ἔχειν. δεῖ δὴ ὑμῖν τὴν ἐμὴν πλάνην ἐπιδεῖξαι ὥσπερ πόνους τινὰς πονοῦντος ἵνα μοι καὶ ἀνέλεγκτος ἡ μαντεία γένοιτο. μετὰ γὰρ τοὺς πολιτικοὺς ᾖα ἐπὶ τοὺς ποιητὰς τούς τε τῶν τραγῳδιῶν καὶ τοὺς τῶν | διθυράμβων καὶ τοὺς ἄλλους, ὡς ἐνταῦθα ἐπ᾽ αὐτοφώρῳ καταληψόμενος ἐμαυτὸν ἀμαθέστερον ἐκείνων ὄντα. ἀναλαμβάνων οὖν αὐτῶν τὰ ποιήματα ἅ μοι ἐδόκει μάλιστα πεπραγματεῦσθαι αὐτοῖς, διηρώτων ἂν αὐτοὺς τί λέγοιεν, ἵν᾽ ἅμα τι καὶ μανθάνοιμι παρ᾽ αὐτῶν. αἰσχύνομαι οὖν ὑμῖν εἰπεῖν, ὦ ἄνδρες, τἀληθῆ· ὅμως δὲ ῥητέον. ὡς ἔπος γὰρ εἰπεῖν ὀλίγου αὐτῶν ἅπαντες οἱ παρόντες ἂν βέλτιον ἔλεγον περὶ ὧν αὐτοὶ ἐπεποιήκεσαν. ἔγνων οὖν αὖ καὶ περὶ τῶν ποιητῶν ἐν ὀλίγῳ τοῦτο, ὅτι οὐ σοφίᾳ ποιοῖεν | ἃ ποιοῖεν, ἀλλὰ φύσει τινὶ καὶ ἐνθουσιάζοντες ὥσπερ οἱ θεομάντεις καὶ οἱ χρησμῳδοί· καὶ γὰρ οὗτοι λέγουσι μὲν πολλὰ καὶ καλά, ἴσασιν δὲ οὐδὲν ὧν λέγουσι. τοιοῦτόν τί μοι ἐφάνησαν πάθος καὶ οἱ ποιηταὶ πεπονθότες, καὶ ἅμα ᾐσθόμην αὐτῶν διὰ τὴν ποίησιν οἰομένων καὶ τἆλλα σοφωτάτων εἶναι ἀνθρώπων ἃ οὐκ ἦσαν. ἀπῇα οὖν καὶ ἐντεῦθεν τῷ αὐτῷ οἰόμενος περιγεγονέναι ᾧπερ καὶ τῶν πολιτικῶν.

(1.1) Μετὰ ταῦτ᾽ οὖν ἤδη ἐφεξῆς ᾖα, αἰσθανόμενος μὲν [καὶ] λυπούμενος καὶ δεδιὼς ὅτι ἀπηχθανόμην, ὅμως δὲ ἀναγκαῖον ἐδόκει εἶναι τὸ τοῦ θεοῦ περὶ πλείστου ποιεῖσθαι—

(直訳) そこでそれ以後、いままでに私は順繰りに (知者とされる人々のところへ) 行ってきたのだ。自分が (彼らに) 憎まれているということに気づき、そのことで苦しみも恐れもしていたが、そうはいっても神のことを最重要視することは必然的であると思えていた。

ταῦτ᾽: 中複対。前章の内容を指す。
ἐφεξῆς: 副「順番に、続けて」。
ᾖα: 未完直能 1 単 < εἶμι あるいは ἔρχομαι。過去の反復的行為を表す未完了。
αἰσθανόμενος: 現中分・男単主 < αἰσθάνομαι「感じる、気づく」。
[καὶ]: 第二章 (2.2) でも触れたが、この角括弧は καὶ が写本にはあるが省くべきと校訂版の編集者バーネットが判断していることを意味する。その是非を検討してみよう。英語などでは 3 つ以上のものを並列するとき A, B, and C というように最後にだけ and を置くが、ギリシア語では Α καὶ Β καὶ Γ と個数ぶんだけ καί を連ねなければならない (Smyth, §2878)。そのことに注意すると、もしこの καί を省いたならば残る唯一の καί で結ばれた λυπούμενος と δέδιώς だけが並列され、αἰσθανόμενος はそれらからは浮いていることになる。しかし訳しかたとしては結局 3 つの分詞が引きつづくのとたいした違いを出すのは難しい。καί があるとすれば 3 つの並列のほかに、後ろの 2 つの強調「A も B も」とも訳すことができ、私の訳ではそのように解釈した。田中の註解も καί を残して「‘気づいて苦しい思いもしたし,心配にもなった’ というふうにそのまま読んでおいてもよいかと思われる」と言っている。
λυπούμενος: 現中分・男単主 < λυπέω「悲しませる」。中動態なので「自分を悲しませる=悲しむ」。
δεδιὼς: 完能分・男単主 < δείδω「恐れる」。
ἀπηχθανόμην: 未完中直 1 単 < ἀπ-εχθάνομαι「嫌われる、憎まれる」。
ὅμως: 副「しかしながら、それにもかかわらず」。
ἀναγκαῖον: 中単主 < ἀναγκαῖος「不可避の、必然的な」。εἶναι の述語で、中性名詞扱いの主語に一致している。
ἐδόκει: 未完能直 3 単 < δοκέω。思う主体の μοι は省略されている。また、未完了時制は過去の継続、あるいはさきの ᾖα と同じく過去の反復で、知者とされる人のもとを訪れるたびに毎回思ったということでありうる。
εἶναι: 現能不。ἐδόκει の補足的不定法。
τὸ τοῦ θεοῦ: 中単対+男単属。冠詞による名詞化「神のこと」で、具体的には神託のことを想定できるが、もっと漠然とした感じか。ποιεῖσθαι の目的語。
περὶ πλείστου: 最上級・中単属 < πολύς。περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι で「大切・重大とみなす」というイディオムで、その πολλοῦ が最上級になっている。
ποιεῖσθαι: 現中不 < ποιέω。この不定詞が中性名詞扱いで εἶναι の主語、かつ ἐδόκει の主語。

(1.2) ἰτέον οὖν, σκοποῦντι τὸν χρησμὸν τί λέγει, ἐπὶ ἅπαντας τούς τι δοκοῦντας εἰδέναι.

(直訳) それゆえ (私は) 行くべきだったのだ、神託がなにを言っているか検証しに、なにかを知っていると思われる人々すべてのところへ。

ἰτέον: 動形容詞・中単主 < εἶμι。非人称の文で、ἐστίν と義務を負うべき行為者の与格 ἐμοί 省略。
σκοποῦντι: 現能分・男単与 < σκοπέω「検証・考察する」。省略されている与格主語 ἐμοί に同格。
τὸν χρησμὸν: 男単対 < χρησμός「神託」。
τί: 中単対。疑問代名詞。
λέγει: 現能直 3 単。
ἐπὶ ἅπαντας τούς … δοκοῦντας: 現能分・男複対 < δοκέω。名詞用法:「〜と思われる人たち全員」。
τι: 中単対。不定代名詞。語順が錯綜しているが、これは εἰδέναι の目的語。
εἰδέναι: 完能不 < οἶδα。δοκοῦντας の補足的不定法。

(2.1) καὶ νὴ τὸν κύνα, ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι—δεῖ γὰρ πρὸς ὑμᾶς τἀληθῆ λέγειν—ἦ μὴν ἐγὼ ἔπαθόν τι τοιοῦτον·

(直訳) だから犬にかけて、アテナイ人諸君——(私は) 諸君に対しては真実を言わねばならないのだから——誓って言うが、私はなにか次のようなことを経験したのだ。

νὴ τὸν κύνα: 男単対 < κύων「犬」。この「犬にかけて」というのは神の名をみだりに呼ぶことを避けるための婉曲語法。納富の訳注によれば「特に皮肉や屈折した意味合いはない」。
ὦ ἄνδρες Ἀθηναῖοι: 男複呼。
δεῖ: 現能直 3 単。
πρὸς ὑμᾶς: 2 複対。
τἀληθῆ: 中複対。τὰ ἀληθῆ の融音。
λέγειν: 現能不。
ἦ μὴν:「誓って確かに」。
ἐγὼ: 1 単主。
ἔπαθόν: アオ能直 1 単 < πάσχω。
τι τοιοῦτον: 中単対。

(2.2) οἱ μὲν μάλιστα εὐδοκιμοῦντες ἔδοξάν μοι ὀλίγου δεῖν τοῦ πλείστου ἐνδεεῖς εἶναι ζητοῦντι κατὰ τὸν θεόν, ἄλλοι δὲ δοκοῦντες φαυλότεροι ἐπιεικέστεροι εἶναι ἄνδρες πρὸς τὸ φρονίμως ἔχειν.

(直訳) (すなわち) もっとも名声ある人たちのほうが、神に従って探究しているうちに私には、ほとんど最大のものを欠いていると思われ、他方でより些末に見える人々のほうがいっそう立派な人間である (と思われたのだ)、思慮深い (かどうか) という点において。

οἱ … εὐδοκιμοῦντες: 現能分・男複主 < εὐδοκιμέω「評判のよい、名誉ある」。
μάλιστα: 副・最上級。
ἔδοξάν: アオ能直 3 複 < δοκέω。
μοι: 1 単与。
ὀλίγου δεῖν: 分析するなら ὀλίγου は中単属で差異の属格、δεῖν は不定法の独立的用法だが、これは「ほとんど」という意味のイディオム (田中松平 §397) として丸暗記したほうがよい。ὀλίγου だけでもその意味に使われることは『弁明』の冒頭 (第一章 (1)) で見たとおりである。
τοῦ πλείστου: 最上級・中単属。
ἐνδεεῖς: 男複主 < ἐνδεής「欠いている」。欠けているものは属格におかれる。
εἶναι: 現能不。
ζητοῦντι: 現能分・男単与 < ζητέω。μοι に一致。
κατὰ τὸν θεόν: 男単対。
ἄλλοι: 男複主。
δοκοῦντες: 現能分・男複主。これを補うべき不定法の動詞を欠くが、のちの εἶναι を共通に従えているとも考えられる。
φαυλότεροι: 比較級・男複主 < φαῦλος「無価値な、取るに足らない」。省略されている εἶναι の述語。
ἐπιεικέστεροι: 比較級・男複主 < ἐπιεικής「真っ当な、立派な」。εἶναι の述語。
εἶναι: 現能不。省略されている主文の動詞 ἔδοξαν に従う不定法だが、同時に δοκοῦντες にも従っているとみなせる。
ἄνδρες: 男複主。これはどこにかけるべきか、語の省略が重なり語順が入り組んでいるのでいろいろに解釈できそうである。いちばん近い ἐπιεικέστεροι の被修飾語としてまとめて εἶναι の述語と思ってもよいが、最初の ἄλλοι の被修飾語ともとれる。
πρὸς τὸ φρονίμως ἔχειν: 中単対+現能不。φρονίμως は副「思慮深く、慎重に」。すでに何度も見たように、〈副詞+ἔχω〉は〈be 動詞+形容詞〉のつもりで訳せばよい。

(3) δεῖ δὴ ὑμῖν τὴν ἐμὴν πλάνην ἐπιδεῖξαι ὥσπερ πόνους τινὰς πονοῦντος ἵνα μοι καὶ ἀνέλεγκτος ἡ μαντεία γένοιτο.

(直訳) そこで (私は) 諸君に、私にとって神託が反駁不可能となるために辛苦していた (私の)、あたかもさる難業のごとき私の遍歴を提示しなければならない。

δεῖ: 現能直 3 単。
δὴ: この小辞が直前の δεῖ を強めていることは無論であるが、M&P とそれに従う Steadman がこの 2 語を「同音異義語」(homonym) ゆえにいっそうその強めの効果が強調されている、と言っているのは不適切であろう:δεῖ と δή とはアクセントの違いだけでなく、母音の質も狭い長母音 [eː] と広い長母音 [ɛː] とで異なっている。とはいえ以上の修正を加えたうえで、よく似ているがゆえに効果的であるという指摘まで否定するものではない。
ὑμῖν: 2 複与。
τὴν ἐμὴν πλάνην: 女単対 < πλάνη「放浪」。
ἐπιδεῖξαι: アオ能不 < ἐπι-δείκνυμι「証明する、指摘する」。
πόνους τινὰς: 男複対 < πόνος「労苦」。この「なんらかの労苦」とはヘラクレスの 12 の難業が念頭に置かれているらしい。
πονοῦντος: 現能分・男単属 < πονέω「苦労する」。前出の所有形容詞 ἐμήν があたかも代名詞の属格であるかのように意識されて、それに一致した属格になっている。
μοι: 1 単与。
ἵνα: この目的節は英語の so that などと同様に、実際には結果のようにも訳しうるしそのほうが自然かもしれない:「私の難業の結果、神託は反駁不可能となった (だけだった)」。
ἀνέλεγκτος: 女単主「反駁できない」。ἐλέγχω「検証する、反駁する」の動形容詞に否定接頭辞 ἀν- のついたもので、合成語なので男女同形。
ἡ μαντεία: 女単主「神託」。
γένοιτο: アオ中希 3 単 < γίγνομαι。副時制に従う目的節の希求法。といってもその副時制の定動詞は明示されていないが、これを目的とする「私の難業」が過去のことであるゆえに意味上過去の目的となっている。

(4) μετὰ γὰρ τοὺς πολιτικοὺς ᾖα ἐπὶ τοὺς ποιητὰς τούς τε τῶν τραγῳδιῶν καὶ τοὺς τῶν διθυράμβων καὶ τοὺς ἄλλους, ὡς ἐνταῦθα ἐπ᾽ αὐτοφώρῳ καταληψόμενος ἐμαυτὸν ἀμαθέστερον ἐκείνων ὄντα.

(直訳) すなわち政治家たちのあと私は、悲劇詩人やディテュランボス詩人やその他の詩人たちのところへ行った。そこにおいて私自身が彼らよりも無知であることを現場で押さえようというためであった。

μετὰ … τοὺς πολιτικοὺς: 男複対。
ᾖα: 未完能直 1 単。
ἐπὶ τοὺς ποιητὰς: 男複対。
τούς τε τῶν τραγῳδιῶν καὶ τοὺς τῶν διθυράμβων καὶ τοὺς ἄλλους: τοὺς ποιητάς を細分して詳しく説明する同格。Α τε καὶ Β καὶ Γ の形で 3 種あげられている。
ἐπ᾽ αὐτοφώρῳ: 男単与 < αὐτόφωρος「現行犯の、現場で捕らえられた」。
καταληψόμενος: 未中分・男単主 < κατα-λαμβάνω「捕らえる」。目的を表す未来分詞。
ἐμαυτὸν: 1 単対。再帰代名詞。καταληψόμενος の目的語。
ἀμαθέστερον: 比較級・男単対 < ἀμαθής「無知な、愚かな、無教育な」。ὄντα の述語。
ἐκείνων: 男複属。比較の属格。
ὄντα: 現能分・男単対。ἐμαυτόν に一致した対格。

(5) ἀναλαμβάνων οὖν αὐτῶν τὰ ποιήματα ἅ μοι ἐδόκει μάλιστα πεπραγματεῦσθαι αὐτοῖς, διηρώτων ἂν αὐτοὺς τί λέγοιεν, ἵν᾽ ἅμα τι καὶ μανθάνοιμι παρ᾽ αὐτῶν.

(直訳) そこで、彼らによってもっとも入念に練りあげられたと私に思われた彼らの作品を取りあげて、(それらの詩において) なにを意味しているのか彼らにしつこく尋ねたのだ。(そうすることで) 同時に彼らからなにがしかを学びもしようというためであった。

ἀναλαμβάνων: 現能分・男単主 < ἀνα-λαμβάνω「取りあげる」。
αὐτῶν: 男複属。所有の属格。
τὰ ποιήματα: 中複対 < ποίημα「作品、詩」。この語は ποιέω「作る」から派生した名詞であって「作られたもの」という意味でしかない中立的な表現である。したがって ᾠδή「歌」のように神々からの霊感を受けて作られ知恵に通ずるものとは違うということが暗に意図されているわけである (cf. M&P)。
: 中複主。関係代名詞。ἐδόκει の主語。
μοι: 1 単与。
ἐδόκει: 未完能直 3 単。主語が中性複数なので単数扱い。
πεπραγματεῦσθαι: 完受不 < πραγματεύομαι「働く、骨を折る」。完了受動態では「仕上げられた」の意。
αὐτοῖς: 男複与。完了時制の受動態なので行為者が与格に置かれている (田中松平 §247; 水谷 §175)。
διηρώτων ἂν: 未完能直 1 単 < δι-ερωτάω「詳しく・しつこく尋ねる、訊問する」。第二章 (4) で〈ἄν+直説法アオリスト〉が過去における反復・習慣を表すことを確認したが、〈ἄν+直説法未完了〉も同様 (Smyth §1790 にはまさにこの『弁明』22b の用例が出ている)。もっとも未完了は単独でもそれを表しうるが。
αὐτοὺς: 男複対。διηρώτων の目的語。
τί: 中単対。間接疑問を導入。λέγοιεν の目的語。
λέγοιεν: 現能希 3 複。主文が副時制の間接疑問なので希求法。3 複なので主語としては「彼ら」が意図されているのであって、中性複数の「詩」ではない。
ἅμα: 副「同時に」。
τι: 中単対。不定代名詞。μανθάνοιμι の目的語。
μανθάνοιμι: 現能希 1 単 < μανθάνω「学ぶ」。主文が副時制で過去における目的になるので希求法。
παρ᾽ αὐτῶν: 男複属。起源の属格。

(6) αἰσχύνομαι οὖν ὑμῖν εἰπεῖν, ὦ ἄνδρες, τἀληθῆ· ὅμως δὲ ῥητέον.

(直訳) さて諸君、私は諸君に真実を言うことに気がとがめる。だがそれでも話さねばならない。

αἰσχύνομαι: 現中直 1 単「恥じる」。
ὑμῖν: 2 複与。
εἰπεῖν: アオ能不 < λέγω。
ὦ ἄνδρες: 男複呼。
τἀληθῆ: 中複対。
ῥητέον: 中単主「言われるべき」。これは ῥήτωρ「弁論家」の派生元でもある動詞 εἴρω「言う」の動形容詞である。

(7) ὡς ἔπος γὰρ εἰπεῖν ὀλίγου αὐτῶν ἅπαντες οἱ παρόντες ἂν βέλτιον ἔλεγον περὶ ὧν αὐτοὶ ἐπεποιήκεσαν.

(直訳) すなわち、言ってみれば、彼らよりもその場にいた者たちのほとんど全員が、彼ら (=詩人たち) が自分で作ったところのものについて、よりよく語ることができたものだった。

ὡς ἔπος … εἰπεῖν: 第一章 (2) でも見た、「いわば」というイディオム。
ὀλίγου: 中単属。(2.2) を参照。
αὐτῶν: 男複属。少しあとの βέλτιον に関わる比較の属格。詩人たちを指す。
ἅπαντες οἱ παρόντες: 現能分・男複主 < πάρ-ειμι「そばにいる、同席している」。
ἂν … ἔλεγον: 未完能直 3 複。(5) の διηρώτων ἂν の項と同様、過去における反復。M&P はこれを「過去における蓋然性」(probability in the past) で ‘would probably speak’ と訳しうると言っており、田中訳「語ることができただろう」や三嶋訳「うまく説明することができただろう」も同じ意見をもっていると思われるが、私はこれには与しない。「できた」と言いきる副島訳や納富訳、「できたものだった」の山本訳のほうが適切であると考える。もし前者だったらソクラテスはたんなる想像を論拠としていることになってしまうではないか。
βέλτιον: 比較級・中単対=副。副詞の比較級は形容詞の比較級の中性単数対格として作る (田中松平 §525; 水谷 §72)。
περὶ ὧν: 中複属。関係代名詞。これは格の牽引が起こっている。すなわち理屈で言えば関係節のなかでは ἐπεποιήκεσαν の目的語ゆえ対格であるべきであって、属格になるのは外側の ἔλεγον を補う前置詞 περί の目的語ゆえなので、ここは省略されている先行詞が属格で περὶ τούτων ἃ … と言うべきところをまとめて言ったことになる。
αὐτοὶ: 男複主。主語に同格の強意代名詞:「自身で」。古典期には 3 人称代名詞としての用法は斜格だけであったから、これじたいは「彼らは」とは訳せない (田中松平 §146; 水谷 §67.3)。
ἐπεποιήκεσαν: 過完能直 3 複 < ποιέω。

(8.1) ἔγνων οὖν αὖ καὶ περὶ τῶν ποιητῶν ἐν ὀλίγῳ τοῦτο, ὅτι οὐ σοφίᾳ ποιοῖεν ἃ ποιοῖεν, ἀλλὰ φύσει τινὶ καὶ ἐνθουσιάζοντες ὥσπερ οἱ θεομάντεις καὶ οἱ χρησμῳδοί·

(直訳) そこで私は短時日のうちに詩人たちについてまた次のことをも知った。彼らが作るものを彼らは知恵によって作るのではなく、なんらかの天性によってまた神がかりとなって、あたかも神意を受けてそれを伝える者のように (作るのだということを)。

ἔγνων: アオ能直 1 単 < γιγνώσκω「知る」。
αὖ: 副「ふたたび」。
περὶ τῶν ποιητῶν: 男複属 < ποιητής「詩人、作者」。
ἐν ὀλίγῳ: 男単与。χρόνῳ を補って理解する。
τοῦτο: 中単対。ὅτι 以下を先取りする指示代名詞。
οὐ … ἀλλὰ:「A ではなく B」の形で、どちらも直後に与格の名詞があり対比されている。
σοφίᾳ: 女単与 < σοφία「知恵」。手段または原因の与格。
ποιοῖεν: 現能希 3 複。主文がアオリスト ἔγνων の知った内容なので希求法。
: 中複対。
ποιοῖεν: 現能希 3 複。こちらの関係節のなかの希求法は上の理由に加えて、過去の一般的な仮定の感じをも兼ね備えているかもしれない:「彼らがなにかを作ったときにはいつでもそれは」。
φύσει τινὶ: 女単与 < φύσις「自然、天性」。手段または原因の与格。
ἐνθουσιάζοντες: 現能分・男複主 < ἐν-θουσιάζω「霊感を受ける、神がかりになる」。
οἱ θεομάντεις: 男複主 < θεόμαντις「予言者、霊感・神意を受けた人」。
οἱ χρησμῳδοί: 男複主 < χρησμῳδός「予言者、神託を歌う人」。分析的に 2 語の違いを示せば以上のとおりだが、ここから達意の訳文を作るには工夫を要する。田中訳「神の啓示を取り次ぎ、神託を伝える人たち」のように説明的に訳すのも致しかたないところではあるも、久保訳・山本訳の「予言者や神巫かんなぎ」は簡潔で模範的である。

(8.2) καὶ γὰρ οὗτοι λέγουσι μὲν πολλὰ καὶ καλά, ἴσασιν δὲ οὐδὲν ὧν λέγουσι.

(直訳) つまるところ彼らは美しいことをたくさん言ってはいるが、言っていることごとのうちのなにひとつ知ってはいないのである。

οὗτοι: 男複主。
λέγουσι: 現能直 3 複。
πολλὰ καὶ καλά: 中複対。これはいわゆる二詞一意 (hendiadys) の例で、καί はないと思って訳せばよい。
ἴσασιν: 完能直 3 複 < οἶδα。
οὐδὲν: 中単対。
ὧν: 中複属。部分の属格。(7) と同じく、省略されている先行詞 τούτων に引っぱられた格の牽引で、関係節の外では属格、内では対格であるものをひっくるめて言っている。
λέγουσι: 現能直 3 複。

(9) τοιοῦτόν τί μοι ἐφάνησαν πάθος καὶ οἱ ποιηταὶ πεπονθότες, καὶ ἅμα ᾐσθόμην αὐτῶν διὰ τὴν ποίησιν οἰομένων καὶ τἆλλα σοφωτάτων εἶναι ἀνθρώπων ἃ οὐκ ἦσαν.

(直訳) なにかそんなような状態を詩人たちもまた経験しているのだと私には見えた。そして同時に気づいた、彼らは詩作を通してそれ以外の点においても——(実際には) それらの点において (賢く) ないのに——(自分たちが) 人々のなかでもっとも賢いと思っている、ということに。

〔本章最難関の文! ひとつひとつの文法事項、それぞれの単語がなぜその語形 (格など) になっていてどうつながっているのか、粘り強く観察していただきたい。〕

τοιοῦτόν τί … πάθος: 中単対。τί は不定代名詞 (鋭アクセントは後ろの μοι による)。πάθος の基本的な意味は「起こったこと、受けた・体験したこと」で、とくに不都合・不幸なことを指すが、それを念頭に訳語を考える必要がある。πεπονθότες の同族目的語。
μοι: 1 単与。
ἐφάνησαν: アオ受直 3 複 < φαίνω「見せる、示す」。ただしこの動詞は第 1 アオリストと第 2 アオリストとで意味が異なる例であって、1 アオ受 ἐφάνθην は「見せられた、示された」という他動詞の受動的な意味であるのに対し、2 アオ受 ἐφάνην は「現れた、見えた」という自動詞的な意味である (cf. 田中松平 §232; Smyth §595)。
οἱ ποιηταὶ: 男複主。
πεπονθότες: 完能分・男複主 < πάσχω。
ᾐσθόμην: アオ中直 1 単 < αἰσθάνομαι「感じる、気づく」。目的語には属格をとる (高津 §225.4.b)。対格との使いわけは「感覚によって感知されるものは対格,それを発する主体(人)は属格に置かれるのが普通である」(チエシュコ 9§3.2.2.h)。加えて、このような知覚動詞において「人が〜しているのに気づく」というときの行為の部分は分詞で表される (田中松平 §485; 水谷 §110.3) ことも思いださねばならない。
αὐτῶν: 男複属。ᾐσθόμην の属格目的語。
διὰ τὴν ποίησιν: 女単対 < ποίησις「作ること、詩作」。
οἰομένων: 現中分・男複属 < οἴομαι。αὐτῶν に一致した分詞。間接話法の文を従えるが、ここでは主語が共通の「自分が〜だと思う」なので対格不定法ではなく主格不定法の一環であるが、その主語が属格なので述語もそれとイコールになる。
τἆλλα: 中単対。τὰ ἄλλα の融音。限定の対格:「ほかの点に関して」。
σοφωτάτων: 最上級・男複属。εἶναι の述語で、省略されている主語は、この不定詞を従えている上位の動詞 οἰομένων の主語と共通、すなわち αὐτῶν であるからそれと一致した属格。
εἶναι: 現能不。
ἀνθρώπων: 男複属。最上級 σοφωτάτων の比較の範囲を示す部分の属格。
: 中複対。限定の対格。先行詞は τἆλλα。
ἦσαν: 未完能直 3 複 < εἰμί。主語「彼ら」および述語 σοφώτατοι 省略 (これは定動詞であるから省略されている主語・述語には主格を想定すべし)。

(10) ἀπῇα οὖν καὶ ἐντεῦθεν τῷ αὐτῷ οἰόμενος περιγεγονέναι ᾧπερ καὶ τῶν πολιτικῶν.

(直訳) それゆえ私はそこからも去っていった。市民たちよりも (私が優っていた) ところの当の点と同じその点において、私は (彼らよりも) 優っていると思いながら。

ἀπῇα: 未完能直 1 単 < ἄπειμι「去る、離れる」。
ἐντεῦθεν: 副「そこから」。
τῷ αὐτῷ: 中単与。冠詞がついているから「同じ」の意味で、用法は限定 (観点) の与格:「その同じ点において」。前章の締めくくり (8.4) にある σμικρῷ τινι αὐτῷ τούτῳ「まさにその小さなある点において」と同じ事柄を指す。
οἰόμενος: 現中分・男単主 < οἴομαι。主語は私=ソクラテス。
περιγεγονέναι: 完能不 < περι-γίγνομαι「優っている」。比較対象の属格「彼らより」は省略されている。
ᾧπερ: 中単与。関係代名詞に強意の接尾辞 -περ のついたもの。限定の与格。この関係節のなかは主語・動詞がいっさい省略されているが、外側の文と同じで「私が優っている」を補う。
τῶν πολιτικῶν: 男複属。比較の属格。


〔以上で第七章は終わりです。〕

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