仏陀の「肉を食べるべきでない理由」
『楞伽経』巻四の最後、仏陀が弟子に明かした「肉を食べるべきでない理由」の段落を訳してみた。
仏は大慧菩薩に告げられた。
「肉を食べるべきでない理由は無数にあるが、今、簡単に説明しよう。すべての命は始まりのない過去から転生を繰り返し、常に親族同士の関係にあった。過去世の親縁関係を考えると、肉を食べるべきではない。ロバ、ラバ、ラクダ、キツネ、犬、牛、馬などの動物の肉や人間の肉は、屠殺者が混ぜて売るため、肉を食べるべきではない。肉は不浄なものから出来、穢れた環境で成長したため、食べるべきではない。動物は肉食者の体臭を嗅ぐと恐怖を感じる。例えば、犬は旃陀羅(屠畜、漁猟、獄守などの職業にたずさわる人)や譚婆(犬を食す人)などの人を見ると、嫌悪し、恐怖のあまり吠え出すため、肉を食べるべきではない。また、修行者が肉を食べると慈悲の心を生じないため、食べるべきではない。肉は愚かな者どもに好まれ、臭くて不浄なものであり、それにまつわる善い名称ひとつないため、肉を食べるべきではない。呪術が成就しないため、肉を食べるべきではない。生きている動物の姿を見るとその肉を連想し、味に深く耽着するため、肉を食べるべきではない。肉を食う者は天人に見捨てられるため、肉を食べるべきではない。口臭がするため、肉を食べるべきではない。悪夢を見るようになるため、肉を食べるべきではない。森の中を歩くと、虎や狼などの野獣が肉食者の匂いを辿って近づいてくるため、肉を食べるべきではない。食事の節度を失うため、肉を食べるべきではない。修行者が厭離の心を生じないため、肉を食べるべきではない。私がいつも言っていることだが、あらゆるものを飲食する時、生き延びるために仕方なく自分の子どもの肉を食っている、飢えという病いを癒す薬を飲んでいる、と想像するべきだ。そのため、肉を食べることを許す考えなんて、とんでもない。
そして、大慧よ、過去に蘇陀娑という名の王がいた。彼はさまざまな動物の肉を食べ、ついには人間の肉まで食べるようになった。臣民は耐えられなくなり、反逆を企て、彼の奉祿を断った。肉を食べる者はこのような過ちをおかすため、肉を食べるべきではない。
さらに、大慧よ、業者が動物を殺して売るのは一般的に、金銭を得ることがその目的であろう。愚かな者どもが金を出して肉を買うことはつまり、金を網に生き物を捕らえることになる。肉を欲しがり、求め、殺させる人がいなければ、空を飛ぶ、水中や陸上の生き物を様々な方法で捕らえ殺して売る人もいないはずだ。この理由から、肉を食べるべきではない。大慧よ、私はこれまで場合や聴衆に応じ、五種類(注1)の肉なら食べてよい、あるいは十種類の肉のみ(注2)口にしないように制していたが、この場では、いかなる種類の肉、いかなる場合であれ、すべて禁止することにしよう。大慧よ、応供(供養に応ずる値打ちのある人)の如来であっても、私自身は肉や魚を食べないし、ましてや他人に食べさせることはしない。大いなる慈悲をもって生きとし生けるものすべてを自分の子どものように見ているため、子の肉を食べることを許さないのだ。」
以上の理由で、修行者は慈悲の心を持って肉を食べない。
肉を食べることは慈悲を欠いており、
永遠に正しい解脱から遠ざかり、
聖なる行いに背くことになる。
そのため、肉を食べるべきではない。
梵志の種族に生まれ、修行できる環境に恵まれるのも、
智慧や富のある家に生まれるのも、
肉を食べないことによることである。
注
自分のために殺されたのを見ていない、聞いていない、また疑うこともない肉のことを三淨肉といい、それに鳥の食べ残し、自ら死んだ動物の肉が加わった五種類の肉。
人、蛇、象、馬、ロバ、犬、獅子、豚、狐、猿の十種類。