般若こそが咒 | 竹窓随筆
般若心経には次のように述べられています:
これは、「般若」(悟りの智慧)を咒(呪文)と指しているのであって、心経の最後にある「揭諦揭諦」(往ける者たちよ、彼岸へ)四句を指しているのではありません。
ところが、現代の人々はただ咒を密教の一部とみなすだけで、般若心経を顕教に属するものと見なしています。しかし、顕教に属する般若心経もまた咒なのです。これは、持咒を実践する者たちが見逃しており、気づいていないことです。
また、「阿弥陀仏」という四文字もすべてサンスクリット語(अमिताभ Amitābha)です。もし過去の人々が解釈を加えずそのままにしていたならば、それは大明咒や準提咒など密教の咒と何が違うのでしょうか?
現代の人々は、大明咒や準提咒は咒であり、阿弥陀仏は仏名だと知っています。しかし、この仏名もまた咒なのです。これもまた、持咒を実践する者たちが見逃しており、気づいていないことです。