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幸せな未来の創り方 『佛為首迦長者說業報差別經』 (Śukasūtra) 試訳

「佛為首迦長者シュカちょうじゃ業報差別經ごうほうさべつきょう」 (サンスクリット語: Śuka-sūtraシュカ・スートラ

タイトルを直訳すると、仏陀が首迦シュカ長者のために説く、種々の異なるごう(カルマ)とその報いに関するお経、つまり、どのような 「ごう 」がどのような 「ほう」につながるのかを詳しく説いたお経である。私たちが現在、健康であるか病気がちであるか、金持ちであるか貧乏であるか、愛されているか嫌われているかなどの「ほう」は、すべて私たちのこれまでの「ごう」(身体的行為、言語表現、心意作用)によって決められるのだ、ということが説かれている。そして、「業報ごうほう」は、決して消極的、受動的な、古めかしい説教ではなく、今、私たちがどんな行動をし、どんな言葉を発し、心の中でどのように思うかなど、その日々の選択が、自分自身及び地球の未来を、知らず知らずのうち形作っていくのだ、ということも、このお経を読めば、理解できるでしょう。



現代語訳


私が聞いたのであるが、あるとき、舎衛しゃえい国の祇樹給孤独園ぎじゅぎっこどくおんに滞在しておられていた師は、忉提耶の子である首迦シュカ長者(注1)にこう告げられた。「首迦長者よ、私は今からあなたに種々の善悪業の報いについて説明しよう。よく聞いて、しっかりと心に留めるとよい。」

首迦は仏に答えた。「はい、世尊よ、喜んで拝聴致します。」

仏が首迦に告げられた。「一切の衆生(生類)は業に繋がれており、業に依存し、業に従って転生するため、違いが生じるのだ。

「衆生に短命の報いをもたらす業もあれば、長命の報いをもたらす業もある。

「衆生に多病の報いをもたらす業もあれば、少病の報いをもたらす業もある。

「衆生に醜い報いをもたらす業もあれば、端正な報いをもたらす業もある。

「衆生に人気があるという報いをもたらす業もあれば、人気がないという報いをもたらす業もある。

「衆生に高貴の家に生まれるという報いをもたらす業もあれば、下賤の家に生まれるという報いをもたらす業もある。

「衆生に裕福の報いをもたらす業もあれば、貧乏の報いをもたらす業もある。

「衆生に邪智の報いをもたらす業もあれば、正智の報いをもたらす業もある。

「また、衆生にそれぞれ地獄、畜生、餓鬼、阿修羅、人間界、欲界天、色界天、無色界天の報いをもたらす業もある。

「必ず報いを受けさせる業もあれば、そうでない業もある。

「衆生に辺地(注2)に生まれるという報いをもたらす業もあれば、中国(注2)に生まれるという報いをもたらす業もある。

「ある業によって、衆生は地獄での寿命が尽きるまで出られない。ある業によって、いったん地獄に堕ちるが夭折する。また、ある業によって、一時的に地獄に入るが、すぐに出られる。

「作して集まらず、という業もあれば、集まっても作らず、作して集まる、作らず集まらず、といった業もある。

「ある業によって、はじめは安楽だが、後に苦労する。ある業によって、はじめは苦労するが、後に楽を享受する。はじめも後も苦をもたらし、また、はじめも後も安楽をもたらす業もある。

「ある業によって、貧しくても施しを好み、ある業によって、富んでいてもけちである。また、ある業によって、富んでいて進んで施しを行い、ある業によって、貧しくて物惜しむ。

「ある業によって、体は楽するが、心は楽しまない。ある業によって、心は楽しむが体は苦労する。身心の両方に楽をもたらす業もあれば、もたらさない業もある。

「ある業によって、命が尽きても業が尽きず、ある業によって、業が尽きても命が尽きない。業と命の両方が尽きる業も、業と命の両方が尽きず、煩悩を断たせる業もある。

「ある業によって、衆生は悪道に生まれるが、外見は美しく、目は清らかで、体に光沢があり、人々に可愛がられる。ある業によって、悪道に生まれ、外見は醜く、肌は荒れてざらつき、人々に嫌われる。ある業によって、悪道に生まれ、身体も口も臭く、諸々の知覚力が欠ける。

「そして、十の不善業を行い、外界で悪い報いを受ける衆生と、十の善業を行い、善い外界に恵まれる衆生がいる。

「長者よ。もし衆生が仏塔廟を礼拝する、あるいは宝蓋、繒幡そうばん、鐘鈴、衣服、器皿、飲食、靴履、香華、灯明を奉施するなら、それぞれ十種の功徳を得る。また、恭敬して合掌するなら、十種の功徳を得る。以上は、世間の諸業の違いを略して説いたものである。」


寿命を伸ばす方法


仏が首迦に告げられた。
「衆生に短命の報いをもたらす十種の業がある。第一に、自ら殺生を行うこと。第二に、他人に殺生を勧めること。第三に、殺生を褒め讃えること。第四に、殺生を見て喜ぶこと。第五に、憎んでいる相手が滅びることを望むこと。第六に、怨敵が滅びたのを見て喜ぶこと。第七に、他人の胎児を壊す(おろす)こと。第八に、人に胎児を壊す(おろす)よう教えること。第九に、衆生を殺して祭祀に用いること。第十に、人々に戦い、殺しあうよう唆すこと。これら十の業によって短命の報いを受ける。

「また、衆生に長命の報いをもたらす十種の業がある。第一に、自ら殺生をしないこと。第二に、他人に殺生しないよう勧めること。第三に、殺生をしないことを褒め讃えること。第四に、他人が殺生をしないのを見て喜ぶこと。第五に、殺されそうな者を救うこと。第六に、死を恐れる者を慰めること。第七に、恐怖におののく者に安心を与えること。第八に、苦しんでいる人を見て慈悲の心を起こすこと。第九に、急難に遭った人に大いなる憐憫の心を起こすこと。第十に、飲食物を衆生に施すこと。これら十の業によって長命の報いを受ける。


健康を得る方法


「また、衆生に多病の報いをもたらす十種の業がある。第一に、他の生類を打つのを好むこと。第二に、他人に打つよう勧めること。第三に、打つことを褒め讃えること。第四に、打つのを見て喜ぶこと。第五に、両親を悩ませ、苦しめること。第六に、賢者や聖者を苦しめること。第七に、怨敵が病苦にあるのを見て喜ぶこと。第八に、怨敵の病が治るのを見て不快に思うこと。第九に、病にかかった怨敵に的外れな薬を渡すこと。第十に、食事が消化しきれる前に再び食べること。これら十の業によって多病の報いを受ける。

「また、衆生に少病の報いをもたらす十種の業がある。第一に、他の生類を打つのを好まないこと。第二に、他人に打たないよう勧めること。第三に、打たないことを褒めること。第四に、打たないのを見て喜ぶこと。第五に、両親や病人を世話すること。第六に、賢者や聖者の病を看病し、奉仕すること。第七に、怨敵の病が治るのを見て喜ぶこと。第八に、病苦にある者に適切な薬を与え、他人にも与えるよう勧めること。第九に、病苦にある衆生に慈悲の心を起こすこと。第十に、飲食に節度を持つこと。これら十の業によって少病の報いを受ける。


容姿端麗になる方法


「また、衆生に醜陋しゅうろうの報いをもたらす十種の業がある。第一に、よく怒ること。第二に、恨みを抱きやすいこと。第三に、他人を欺くこと。第四に、衆生を苦しめること。第五に、両親に愛敬の心を持たないこと。第六に、賢者や聖者に恭敬の心を持たないこと。第七に、賢者や聖者の財産を侵奪すること。第八に、仏塔や寺院の灯明を消すこと。第九に、醜い者を見て軽蔑すること。第十に、諸々の悪行を行うこと。これら十の業によって醜陋の報いを受ける。

「また、衆生に端正の報いをもたらす十種の業がある。第一に、怒らないこと。第二に、服を施すこと。第三に、両親を愛敬すること。第四に、賢者や聖者を尊重すること。第五に、仏塔を塗り飾ること。第六に、お堂を掃除すること。第七に、僧院を掃除すること。第八に、仏塔を掃除すること。第九に、醜い者を見て軽蔑せず、恭敬の心を起こすこと。第十に、端正な者を見て過去の因果を悟ること。これら十の業によって端正の報いを受ける。


影響力を得る方法


「また、衆生に威勢(注)が少ないという報いをもたらす十種の業がある。第一に、衆生に嫉妬の心を起こすこと。第二に、他人が利益を得るのを見て心が悩むこと。第三に、他人が利益を失うのを見て喜ぶこと。第四に、他人の名誉に嫉妬や嫌悪の心を起こすこと。第五に、他人が名誉を失うのを見て喜ぶこと。第六に、菩提心を退け、仏像を壊すこと。第七に、両親や賢者を奉仕しないこと。第八に、威徳を損なう行いをするよう人に勧めること。第九に、他人の威徳を積む行いを妨げること。第十に、威徳の少ない者を見て軽蔑すること。これら十の業によって威勢の少ないという報いを受ける。

「また、衆生に威勢が多いという報いをもたらす十種の業がある。第一に、衆生に嫉妬の心を起こさないこと。第二に、他人が利益を得るのを見て喜ぶこと。第三に、他人が利益を失うのを見て憐れむこと。第四に、他人の名誉に喜ぶこと。第五に、他人が名誉を失うのを見て悩みを分かち合うこと。第六に、菩提心を起こし、仏像を作り、宝蓋を施すこと。第七に、両親や賢者を恭敬し迎えること。第八に、人に威徳を損なう行いを止めるよう勧めること。第九に、威徳の積む業を行うよう人に勧めること。第十に、威徳のない者を見て軽蔑しないこと。これら十の業によって威勢が大きいという報いを受ける。

原文では「威勢」、あるいは「威徳」という語彙が使われ、「周囲から愛され尊敬されるだけでなく、リーダーシップや強い影響力をも発揮する」という意味であるが、日本語では適切な表現が見当たらないため、原文のままにした。


高貴な家に生まれる方法


「また、衆生に下等の族姓に生まれるという報いをもたらす十種の業がある。第一に、父を敬わないこと。第二に、母を敬わないこと。第三に、沙門しゃもん(出家した求道者)を敬わないこと。第四に、婆羅門バラモン(在家の求道者)を敬わないこと。第五に、尊長を敬わないこと。第六に、師長を敬わないこと。第七に、尊長を見ても迎えて座を勧めないこと。第八に、両親の教えに従わないこと。第九に、賢者の教えを受けないこと。第十に、下族を軽蔑すること。これら十の業によって下等の族姓に生まれるという報いを受ける。

「また、衆生に上等の族姓に生まれるという報いをもたらす十種の業がある。第一に、父を敬うこと。第二に、母を敬うこと。第三に、沙門を敬うこと。第四に、婆羅門を敬うこと。第五に、尊長を敬うこと。第六に、師長を迎えること。第七に、尊長を見て迎え座を勧めること。第八に、両親の教えに従うこと。第九に、賢者の教えを受けること。第十に、下族を軽蔑しないこと。これら十の業によって上等の族姓に生まれるという報いを受ける。


富を得る方法


「また、衆生に貧乏の報いをもたらす十種の業がある。第一に、盗むこと。第二に、他人に盗むよう勧めること。第三に、盗むことを褒めること。第四に、盗むのを見て喜ぶこと。第五に、両親の財産を減らすこと。第六に、賢者の財産を奪うこと。第七に、他人が利益を得るのを見て喜ばないこと。第八に、他人が利益を得るのを妨げること。第九に、他人が施しをするのを見て喜ばないこと。第十に、飢饉を見て憐れむことなく喜ぶこと。これら十の業によって貧乏の報いを受ける。

「また、衆生に裕福の報いをもたらす十種の業がある。第一に、盗まないこと。第二に、他人に盗まないよう勧めること。第三に、盗まないことを褒めること。第四に、盗まないのを見て喜ぶこと。第五に、両親の生活を支えること。第六に、賢者に必要な物を供給すること。第七に、他人が利益を得るのを見て喜ぶこと。第八に、求めにくる者を助けること。第九に、施しをする者を見て喜ぶこと。第十に、飢饉を見て憐れむこと。これら十の業によって裕福の報いを受ける。


智慧を得る方法


「また、衆生に邪智の報いをもたらす十種の業がある。第一に、智慧のある沙門しゃもん婆羅門バラモンに尋ねないこと。第二に、悪法を説くこと。第三に、正法を修行しないこと。第四に、非定法を定法とし、讃えること。第五に、法を惜しんで説かないこと。第六に、邪智の者と親しくすること。第七に、正智を遠ざけること。第八に、邪見を褒めること。第九に、正見を捨てること。第十に、愚かな悪人を見て軽蔑し、名誉を傷つけること。これら十の業によって邪智の報いを受ける。

「また、衆生に正智しょうち(注3)の報いをもたらす十種の業がある。第一に、智慧のある沙門や婆羅門に尋ねること。第二に、善法を説くこと。第三に、正法を聞き、理解し、それに従って行動すること。第四に、定法を説くのを見て褒めること。第五に、好んで正法を説くこと。第六に、正智の人と親しくすること。第七に、正法を守護すること。第八に、多聞たもん(注4)を修行すること。第九に、邪見を遠ざけること。第十に、愚かな悪人を見て軽蔑しないこと。これら十の業によって正智の報いを受ける。


地獄に堕ちる原因


「また、衆生に地獄に堕ちるという報いをもたらす十種の業がある。第一に、重度の悪業を身で(殺生・偸盗・邪淫)行うこと。第二に、重度の悪業を口で(両舌・悪口・妄語・綺語)行うこと。第三に、重度の悪業を意で行う(貪欲・瞋恚・愚痴)こと。第四に、「断見」を起こすこと。第五に、「常見」を起こすこと。第六に、「無因見」を起こすこと。第七に、「無作見」を起こすこと。第八に、「無見」を起こすこと。第九に、「辺見」を起こすこと。第十に、恩を知らず、報わないこと。これら十の業によって地獄の報いを受ける。


畜生に転生する原因


「また、衆生に畜生の報いをもたらす十種の業がある。第一に、中程度の悪業を身で行うこと。第二に、中程度の悪業を口で行うこと。第三に、中程度の悪業を意で行うこと。第四に、貪欲という煩悩から悪業を起こすこと。第五に、瞋恚という煩悩から悪業を起こすこと。第六に、愚痴(愚かさ、邪見)という煩悩から悪業を起こすこと。第七に、他人を罵ること。第八に、衆生を苦しめること。第九に、不浄な物を施すこと。第十に、邪婬を行うこと。これら十の業によって畜生の報いを受ける。


餓鬼に転生する原因


「また、衆生に餓鬼の報いをもたらす十種の業がある。第一に、軽度の悪業を身で行うこと。第二に、軽度の悪業を口で行うこと。第三に、軽度の悪業を意で行うこと。第四に、貪欲を多く起こすこと。第五に、「悪貪」(注5)を起こすこと。第六に、嫉妬すること。第七に、邪見を持つこと。第八に、財貨に執着した状態で死ぬこと。第九に、飢えで死ぬこと。第十に、渇きで死ぬこと。これら十の業によって餓鬼の報いを受ける。


阿修羅に転生する原因


「また、衆生に阿修羅の報いをもたらす十種の業がある。第一に、軽微な悪業を身で行うこと。第二に、軽微な悪業を口で行うこと。第三に、軽微な悪業を意で行うこと。第四に、驕り高ぶること。第五に、「我慢」すること。第六に、「増上慢」すること。第七に、「大慢」すること。第八に、「邪慢」すること。第九に、「慢慢」すること。第十に、善根(無貪、無嗔、無癡)を阿修羅道に廻向すること。これら十の業によって阿修羅の報いを受ける。


人間に生まれる原因


「また、衆生に人間の報いをもたらす十種の業がある。第一に、殺さないこと。第二に、盗まないこと。第三に、邪婬をしないこと。第四に、嘘をつかないこと。第五に、綺語をしないこと。第六に、両舌をしないこと。第七に、悪口を言わないこと。第八に、貪らないこと。第九に、怒らないこと。第十に、邪見を持たないこと。十善業じゅぜんごうが不十分な者が、人間として生まれる報いを受ける。


欲界天に転生する原因


「また、衆生に欲界天の報いをもたらす十種の業がある。すなわち、十善業を完全に備えること。


色界天に転生する原因


「また、衆生に色界天の報いをもたらす十種の業がある。すなわち、煩悩に伴うが、十善業を修行し、禅定に相応ずること。


無色界天に転生する原因


さらに、衆生に無色天の報いをもたらす四つの業がある。第一に、一切の色想しきそうを過ぎ、有対想うたいそう等を滅し、空処定くうしょじょう空無辺処定くうむへんしょじょう)に入る。第二に、一切の空処定を過ぎ、識処定しきしょじょうに入る。第三に、一切の識処定を過ぎ、無所有処定むしょうしょじょうに入る。第四に、無所有処定を過ぎ、非想非非想定ひそうひひそうじょうに入る。この四つの業によって無色天の報いを得る。


決定報と不定報


さらに、衆生に決定報をもたらす業がある。もし人が仏、法、僧及び持戒の人に対して、増上心をもって施すならば、この善業をもって発願し迴向すれば、即ち往生を得る。これを決定報の業という。

また、衆生に不定報をもたらす業がある。もし業が増上心でなされず、さらに繰り返さず、また、どこそこに生を受けるようと発願し、迴向することがないならば、これを不定報業という。


「辺地」と「中国」


そして、衆生に「辺地」(注2)報をもたらす業がある。もし仏、法、僧、浄持戒の人及び大衆に対して、増上心で施さず、この善根をもって辺地に生まれることを願うならば、この願いによって、即ち「辺地」に生まれ、浄、あるいは不浄の報を受ける。

また、衆生に「中国Madhyadesha」(注2)報をもたらす業がある。もし業を行う時に、仏、法、僧、清浄持戒の梵行の人及び大衆のところで、増上心を起こし、殷重に布施する。この善根をもって発願し、「中国」に生まれることを求めるならば、再び仏世に値い、正法を聞き、上妙清浄の果報を受ける。


懺悔という自己救済


そして、衆生の地獄の寿を尽くさせる業がある。もし衆生が地獄の業を行い、慙愧せず、厭離せず、心に怖畏なく、反って歓喜を生じ、懺悔もせずしてそれ以上の悪業をさらに行うならば、(たとえば提婆達多だいばだったのように、)この業によって、地獄の寿を尽くす。

また、地獄に堕ちた衆生を夭折させ、途中で出させる業がある。もし衆生が地獄の業をなし、ある一定期間蓄積した後に怖畏を生じ、慙愧して厭離し、懺悔して棄捨し、さらに行わない。この業によって地獄に墮ち、後に追悔するがゆえに、半ばで夭折し、地獄の寿を尽くさない。

さらに、地獄に堕ちた衆生、暫く入ってすぐに出させる業がある。もし衆生が地獄の業をなし、なした後に怖畏を生じ、増上信を起こし、慙愧心を生じ、厭離し棄捨し、二度と繰り返さぬよう殷重に懺悔すれば、(たとえば阿闍世王が父を殺す等の罪)、暫く地獄に入ってすぐに脱出できる。

そこで世尊は偈(詩句)を言われた。

「もし人が重い罪を犯したが、その後深く自己を責め、
懺悔して二度としないならば、根本業さえも取り除くことができる。」

「業を作ったが蓄積しない、ということがある。もしある衆生が身、口、意で様々な悪業を犯し、それに対して怖れ、慙愧し、深く悔いて二度と犯さないなら、これを作して集まらずという。

「作ってはいないが業が蓄積する、ということがある。もしある衆生が自ら業を作らず、悪心のために他人に悪を行うよう勧めるなら、これを集まって作らずという。

「また、業を作して集まるという場合がある。もしある衆生が様々な業を犯し、心に悔い改めることなく、さらに何度も犯し、他人にも勧めるなら、これを作して集まるという。

「そして、業を作らず集まらずという場合がある。もしある衆生が自ら業を作らず、他人にもするよう教えないなら、これを作らず集まらずという。


苦労を遠ざける方法


「初めは安楽があったが、後に苦労するという場合がある。もしある衆生が他人に勧められて喜んで施しを行うが、心が迷い、後に後悔するならば、それにより人間に生まれる時、初めのうちは裕福で安楽であったが、後には貧しくなり苦労をする。

「初めは苦労するが後に安楽になるという場合がある。もしある衆生が他人に勧められて仕方なく少し施しを行うが、施しをした後に喜び、心に悔いがないならば、それにより人間に生まれる時、最初は貧しく苦労するが、後には裕福になり安楽を得る。

「そして、初めも後も苦しいという場合がある。もしある衆生が善知識(注6)から離れていて、周りに誰一人勧める者がなく、少しの施しも行っていないならば、この因縁により人間に生まれる時、最初も後も貧しく苦労する。

「また、初めも後も安楽であるという場合がある。もしある衆生が善知識の近くにいて、施しを行うように勧められて喜び、ためらうことなく施しを行うならば、この因縁により人間に生まれる時、最初も後も裕福で安楽を得る。


善知識と福田


「貧しいが施しを進んでしようとする、という場合がある。その衆生は過去生に施しを行っていたが、良い福田ふくでん(注7)に恵まれず、生死を繰り返し、今度は再び人間界に生まれた。良い福田に恵まれなかったために果報は下劣なもので、財を得てもすぐに使い果たしてしまう。しかし、施しを習慣的にしていたため、貧しい中でも施しを行うことができる。

「富んでいてけちである、という場合がある。その衆生は過去生に布施を行ったことがなく、善知識に出会い、勧められて一度だけ施しを行ったが、たまたま良い福田に恵まれたおかげで資生が満ち足りているが、施しを習慣にしていなかったため、富んでいてもけちである。

「また、富んでいて進んで施しを行う、という場合がある。もしある衆生が善知識に出会い、多くの施しを行ったうえ、良い福田にも恵まれたならば、この因縁により巨万の富を持ち、施しを行うことができる。

「そして、貧しくてけちな場合がある。もしある衆生が善知識から離れていて、誰も勧める者がなく、施しを行うことができないならば、この因縁により、貧しくけちである。


心と体


「ある業によって、身は楽するが、心は楽しまない。福のある凡夫はそうである。

「ある業によって、心は楽しむが、身は楽でない。福のない羅漢(阿羅漢)はそうである。

「ある業によって、身も苦労せず心も楽しむ。福のある羅漢はそうである。

「また、ある業によって、身も苦労し心も楽しまない。福のない凡夫はそうである。


命が尽きても、業が尽きないこともある


「寿命が尽きても業が尽きない、という場合がある。もしある衆生が地獄で死んで再び地獄に生まれ、畜生、餓鬼、そして人間、天、阿修羅などが、もとの道に生まれ変わる場合も同様である。

「業が尽きても寿命が尽きない、という場合がある。安楽が尽きて苦しみを受け、苦しみが尽きて安楽を受けるなどの場合である。

「業と寿命が共に尽きる、ということがある。ある衆生が地獄から滅び、畜生や餓鬼、そして人間、天、阿修羅などに生まれ変わる場合である。

「また、業と命が共に尽きない、ということがある。須陀洹しゅだおん(預流)、斯陀含しだごん(一来)、阿那含あなごん(不還)、阿羅漢あらかんなどのように、ある衆生がすべての煩悩を断ち切る場合である。


悪道に堕ちても個体差がある


「ある業によって、衆生が悪道に生まれても、外見が非常に美しく、目が端正であり、体に光沢があり、人々に可愛がられる。それは、衆生が貪欲の煩悩により戒を破る業を起こしたためである。

「ある業によって、衆生が悪道に生まれ、容貌が醜く、肌が粗くざらつき、人々に嫌われる。それは、衆生が瞋の煩悩により戒を破る業を起こしたためである。

「また、ある業によって、衆生が悪道に生まれ、身体と口が臭く汚れ、諸々の感知力が欠ける。それは、衆生が癡の煩悩により戒を破る業を起こしたためである。


いわゆる「天災」と「異常気象」の原因


「また、外界に悪報をもたらす十の業がある。衆生が十の不善業を頻繁に行うと、外界に様々な不調が生じる。殺生の業によって、土壌が貧弱になり、薬草に力がなくなる。偸盗の業によって、霜や雹、イナゴなどが生じ、世の中に飢饉が起こる。邪婬の業によって、悪風雨(台風、豪雨、竜巻など)や諸々の塵埃(砂塵嵐さじんあらし)が発生する。妄語の業によって、外物がすべて臭く汚れる(環境汚染)。両舌の業によって、大地が平らでなくなり、険しい崖や谷が現れ(地震)、木々の切り株などが参差錯落する。悪口の業によって、瓦礫などとても近づくことができない粗悪なものが現れる。綺語の業によって、草木が密生し、枝に棘が生える。貪欲の業によって、農作物の実が小さくなる。瞋恚の業によって、樹木の果実が苦く、渋くなる。邪見の業によって、農作物が実らず、収穫が少ない。十の業によって、以上のような外的悪報を得る。

「もし衆生が十善業を行えば、外界において十の善い報いを得る。


礼拝や奉施の種々の功徳


もしも仏塔や寺院を礼拝すれば、十種の功徳を得る。

  1. 優れた容姿と美しい声を得る。

  2. 発言することが、人々に信じられ従われる。

  3. 大衆の中にいて恐れを感じない。

  4. 天人から愛護される。

  5. 威勢がある。

  6. 威勢のある人々が寄り添う。

  7. 常に諸仏や菩薩が身近にいる。

  8. 大きな福報を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが仏塔や寺院を礼拝して得られる十種の功徳である。


もしも宝蓋ほうがいを奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 世にあって蓋のように生類を覆い護ることができる。

  2. 身心が安らかで、諸々の苦しみや悩みから離れる。

  3. 一切の者に敬われ、軽んじられることがない。

  4. 大きな威勢を持つ。

  5. 常に諸仏や菩薩、大威徳者に親しく接し、眷属となる。

  6. 常に転輪聖王になる。

  7. 常に上首として善業を修習する。

  8. 大きな福報が備わる。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが宝蓋を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも繒幡(布製の荘厳具)を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 世にあって幟のように国王、大臣、親友、善知識から敬われ供養される。

  2. 豪富で不自由なく、多くの財宝を持つ。

  3. 善名が広く知られ、各地に広まる。

  4. 容姿が端正で、寿命が長い。

  5. 常にためらうことなく施しを行うことができる。

  6. 大きな名声を得る。

  7. 大きな威徳を持つ。

  8. 高貴な家系に生まれる。

  9. 死後天上に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが繒幡を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも鐘や鈴を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 梵音(美しい音声)を得る。

  2. 大きな名声を得る。

  3. 自らの宿命を知る。

  4. 人々がその発言を敬って受け入れる。

  5. 常に宝蓋があり、自らを荘厳にする。

  6. 美しい瓔珞(装身具)を身に着ける。

  7. 容貌が端正で、見る者に喜ばれる。

  8. 大きな福報が備える。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが鐘や鈴を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも衣服を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 容貌が端正になる。

  2. 肌が滑らかになる。

  3. 塵や垢が付かない。

  4. 生まれながらにして上質な衣服を持つ。

  5. 精妙な寝具で身を覆うことができる。

  6. 恥じらいと慎みの心を持つ。

  7. 見る者に愛され敬われる。

  8. 多くの財宝を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが衣服を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも器皿を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 世にあって器のように有用である。

  2. 善法の恩恵を得る。

  3. あらゆる渇愛から離れる。

  4. 渇いて水を欲するとき、泉が湧き出る。

  5. 決して餓鬼道に生まれない。

  6. 天界の妙なる器を得る。

  7. 悪友から遠ざかる。

  8. 大きな福報を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが器皿を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも飲食を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 寿命を得る。

  2. 容姿を得る。

  3. 力を得る。

  4. 安らぎと弁舌を得る。

  5. 恐れがなくなる。

  6. 一切の怠けをなくし、皆から敬われる。

  7. 人々に愛される。

  8. 大きな福報を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが飲食を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも靴を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 優れた乗り物を得る。

  2. 足下が安定する。

  3. 足の甲が柔らかくなる。

  4. 遠くまで軽快に歩ける。

  5. 身体が疲れを感じない。

  6. 歩く場所で荊棘や瓦礫に足を傷つけられない。

  7. 神通力を得る。

  8. 多くの給仕者を持つ。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが靴を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも香や花を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 世にあって花のように美しく存在する。

  2. 身体に臭いや汚れがつかない。

  3. 福の香りや戒の香りがあらゆる場所に広まる。

  4. どの世界に生まれようと、嗅覚が衰えない。

  5. 卓越した存在となり、多くの人々に敬われる。

  6. 常に身体が香り、清潔である。

  7. 正法を愛し、受け入れ、読み誦する。

  8. 大きな福報を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが香や花を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも灯明を奉施すれば、十種の功徳を得る。

  1. 世を照らす灯火のようになる。

  2. どの世界に生まれようと、視力が衰えない。

  3. 天眼を得る。

  4. 善悪の法において善い智慧を得る。

  5. 大いなる闇を除き滅ぼす。

  6. 智慧の光明を得る。

  7. 世間(六道)を巡る間、常に暗闇の世界に生まれない。

  8. 大きな福報を得る。

  9. 死後に天に生まれる。

  10. 速やかに涅槃を証得する。

これが灯明を奉施して得られる十種の功徳である。


もしも恭敬の念をもって合掌すれば、十種の功徳を得る。

  1. 優れた福報を得る。

  2. 高貴な家に生まれる。

  3. 美しい容姿を得る。

  4. 美しい声を得る。

  5. 優れた宝蓋を得る。

  6. 優れた弁舌を得る。

  7. 深い信心を得る。

  8. 立派な戒律を守ることができる。

  9. 広く学び聞くことができる。

  10. 優れた智慧を成就する。

これが恭敬の念をもって合掌することで得られる十種の功徳である。


世尊がこの法を説き終えた時、首迦長者は清浄な信心を得た。その時、首迦は頭を地に伏して仏を礼拝し、次のように言った。

「私は今、仏を請じて舎婆提城に行き、私の父の忉提長者の家に行っていただきたいと思います。どうか私の父及び一切の衆生が長夜にわたって安楽でありますように!」

その時、世尊は利益を与えるために、黙然として請いを受け入れた。首迦は仏の説法を聞いて大いに歓喜し、頂礼して退いた。


  1. 長者とは、社会的地位があり、財産・徳行を備えた者。

  2. 「中国」(Madhya deśa)は、古代インドの地理的および文化的な概念で、インド半島のガンジス川流域における、マガダ国やコーサラ国を中心とした地域を指す。釈迦牟尼仏が誕生し、その教えを広めた場所であり、古代インドにおける仏教文化圏の中心であった。一方、「中國」以外の地域は「辺地」と称される。

  3. 真実を捉える智慧。

  4. 正しい教えを多く聞き、それを心にとどめること。

  5. 「悪貪」とは、他人の財産や所有物に対して貪欲な心を起こし、それを手に入れたいと強く望み、獲得し保有し、愛着を持つこと。あるいは、皮や角などを欲しがり、血を飲み肉を食うために他者の命を狙う、というような貪欲。

  6. 善知識は、「善き友」「真の友人」、仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人を指していう。

  7. 仏教用語で、福徳が生じることを田に喩えていう語。


終わりに

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

これまでの自分の人生を振り返ってみても、あるいは周囲を見渡してみても、このお経に書かれた通りのことがたくさんあった。もし、10年、20年早くこのお経に出会っていたら、その時にもう少し真剣に読んでいたら、おそらく今の私は違う人間になっていただろう。もちろん、私たちの五感の及ぶ世界以外のこともたくさん書かれているので、特に進化論や唯物論を信奉する方々に今すぐ受け入れろというのは無理な話だと思うが、一読してみて、これからの人生において確かめていくのも、賢明ではないかと思います。

というわけで、力不足は自覚しているが、AIとの二人三脚で現代語訳を試みた。読者のあなたも、より良い未来が創れるといいですね。

なお、誤訳等がありましたら、お気軽にご指摘ください。