業と報いの法則 「仏為首迦長者說業報差別經」 現代語抜粋訳
南無本師釋迦牟尼佛
私が聞いたのですが、あるとき、舎衛国の祇樹給孤独園に滞在しておられていた師は、忉提耶の子である首迦長者にこう言われました。
「首迦長者よ、私は今から君に種々の善悪業とその報いについて説こう。よく聞いて、しっかりと心に留めなさい。」
首迦は仏に答えました。
「はい、世尊よ、喜んで拝聴致します。」
(中略)
仏が首迦にこう説かれました。
長寿と短命
「衆生に短命の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、自ら殺生を行うこと。
第二に、他人に殺生を唆すこと。
第三に、殺生を褒め讃えること。
第四に、殺生を見て喜ぶこと。
第五に、憎んでいる相手が滅びることを望むこと。
第六に、怨敵が滅びたのを見て喜ぶこと。
第七に、他者の胎児を壊す(おろす)こと。
第八に、他者に胎児を壊す(おろす)よう教えること。
第九に、衆生を殺して祭祀に用いること。
第十に、人々に戦い、殺しあうよう唆すこと。
これら十の業によって、短命という報いを受けることになる。」
「また、衆生に長寿の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、自ら殺生をしないこと。
第二に、他人に殺生しないよう勧めること。
第三に、殺生をしないことを褒め讃えること。
第四に、他人が殺生をしないのを見て喜ぶこと。
第五に、殺されそうな者を救うこと。
第六に、死を恐れる者を慰めること。
第七に、恐怖におののく者に安心を与えること。
第八に、苦しんでいる人を見て慈悲の心を起こすこと。
第九に、急難に遭った人に大いなる憐憫の心を起こすこと。
第十に、飲食物を衆生に施すこと。
これら十の業によって、長寿という報いを受けることになる。」
健康と不健康
「また、衆生に多病の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、他の生類を打つのを好むこと。
第二に、他人に打つよう唆すこと。
第三に、打つことを褒め讃えること。
第四に、打つのを見て喜ぶこと。
第五に、両親を悩ませ、苦しめること。
第六に、賢者や聖者を苦しめること。
第七に、怨敵が病苦にあるのを見て喜ぶこと。
第八に、怨敵の病が治るのを見て不快に思うこと。
第九に、病にかかった怨敵に的外れな薬を渡すこと。
第十に、食事が消化しきれる前に再び食べること。
これら十の業によって、多病という報いを受けることになる。」
「また、衆生に少病の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、他の生類を打つのを好まないこと。
第二に、他人に打たないよう勧めること。
第三に、打たないことを褒めること。
第四に、打たないのを見て喜ぶこと。
第五に、両親や病人を世話すること。
第六に、賢者や聖者の病を看病し、奉仕すること。
第七に、怨敵の病が治るのを見て喜ぶこと。
第八に、病苦にある者に適切な薬を与え、他人にも与えるよう勧めること。
第九に、病苦にある衆生に慈悲の心を起こすこと。
第十に、飲食に節度を持つこと。
これら十の業によって、少病という報いを受けることになる。」
容姿の美醜
「また、衆生に醜陋の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、頻繁に怒ること。
第二に、常に恨みを抱くこと。
第三に、他人を欺くこと。
第四に、衆生を苦しめること。
第五に、両親に愛敬の心を持たないこと。
第六に、賢者や聖者に恭敬の心を持たないこと。
第七に、賢者や聖者の財産を侵奪すること。
第八に、仏塔や寺院の灯明を消すこと。
第九に、醜い者を見て軽蔑すること。
第十に、諸々の悪行を行うこと。
これら十の業によって、醜陋という報いを受けることになる。」
「また、衆生に端正の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、怒らないこと。
第二に、服を施すこと。
第三に、両親を愛敬すること。
第四に、賢者や聖者を尊重すること。
第五に、仏塔を塗り飾ること。
第六に、お堂を掃除すること。
第七に、僧院を掃除すること。
第八に、仏塔を掃除すること。
第九に、醜い者を見て軽蔑せず、恭敬の心を起こすこと。
第十に、端正な者を見て、それがその者の過去の善業の結果であると悟ること。
これら十の業によって、端正という報いを受けることになる。」
威勢の有無
「また、衆生に威勢(威厳や信頼感、感化力など)が少ないという報いをもたらす十種の業がある。
第一に、衆生に嫉妬の心を起こすこと。
第二に、他人が利益を得るのを見て不快になること。
第三に、他人が利益を失うのを見て喜ぶこと。
第四に、他人の名誉に嫉妬や嫌悪の心を起こすこと。
第五に、他人が名誉を失うのを見て喜ぶこと。
第六に、菩提心を退け、仏像を壊すこと。
第七に、両親や賢者を奉仕しないこと。
第八に、威徳を損なう行いをするよう人に唆すこと。
第九に、他人の威徳を積む行いを妨げること。
第十に、威徳の少ない者を見て軽蔑すること。
これら十の業によって、威勢が少ないという報いを受けることになる。」
「また、衆生に威勢が多いという報いをもたらす十種の業がある。
第一に、衆生に嫉妬の心を起こさないこと。
第二に、他人が利益を得るのを見て喜ぶこと。
第三に、他人が利益を失うのを見て憐れむこと。
第四に、他人の名誉に喜ぶこと。
第五に、他人が名誉を失うのを見て悩みを分かち合うこと。
第六に、菩提心を起こし、仏像を作り、宝蓋を施すこと。
第七に、両親や賢者を恭敬し迎えること。
第八に、人に威徳を損なう行いを止めるよう勧めること。
第九に、威徳の積む業を行うよう人に勧めること。
第十に、威徳のない者を見て軽蔑しないこと。
これら十の業によって、大きな威勢を得ることになる。」
族姓の高下
「また、衆生に身分の低い族姓に生まれるという報いをもたらす十種の業がある。
第一に、父を敬わないこと。
第二に、母を敬わないこと。
第三に、沙門(出家した求道者)を敬わないこと。
第四に、婆羅門(在家の求道者)を敬わないこと。
第五に、尊長を敬わないこと。
第六に、師長を敬わないこと。
第七に、尊長を見ても迎えて座を勧めないこと。
第八に、両親の教えに従わないこと。
第九に、賢者の教えを受けないこと。
第十に、下族を軽蔑すること。
これら十の業によって、身分の低い族姓に生まれるという報いを受けることになる。」
「また、衆生に身分の高い族姓に生まれるという報いをもたらす十種の業がある。
第一に、父を敬うこと。
第二に、母を敬うこと。
第三に、沙門を敬うこと。
第四に、婆羅門を敬うこと。
第五に、尊長を敬うこと。
第六に、師長を迎えること。
第七に、尊長を見て迎え座を勧めること。
第八に、両親の教えに従うこと。
第九に、賢者の教えを受けること。
第十に、下族を軽蔑しないこと。
これら十の業によって、身分の高い族姓に生まれるという報いを受けることになる。」
裕福と貧乏
「また、衆生に貧乏の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、自ら盗みをすること。
第二に、他人に盗みをするよう唆すこと。
第三に、盗むことを褒めること。
第四に、盗むのを見て喜ぶこと。
第五に、両親の財産を損耗させること。
第六に、賢者の財産を奪うこと。
第七に、他人が利益を得るのを見て喜ばないこと。
第八に、他人が利益を得るのを妨げること。
第九に、他人が施しをするのを見て喜ばないこと。
第十に、飢饉を見て憐れむことなく喜ぶこと。
これら十の業によって、貧乏という報いを受けることになる。」
「また、衆生に裕福の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、盗まないこと。
第二に、他人に盗まないよう勧めること。
第三に、盗まないことを褒めること。
第四に、盗まないのを見て喜ぶこと。
第五に、両親の生活を支えること。
第六に、賢者に必要な物を供給すること。
第七に、他人が利益を得るのを見て喜ぶこと。
第八に、求めにくる者を助けること。
第九に、施しをする者を見て喜ぶこと。
第十に、飢饉を見て憐れむこと。
これら十の業によって、裕福という報いを受けることになる。」
智慧の有無
「また、衆生に邪智の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、智慧のある沙門や婆羅門に尋ねないこと。
第二に、悪法を説くこと。
第三に、正法を修行しないこと。
第四に、非定法を定法とし、讃えること。
第五に、法を惜しんで説かないこと。
第六に、邪智の者と親しくすること。
第七に、正智を遠ざけること。
第八に、邪見を褒めること。
第九に、正見を捨てること。
第十に、愚かな悪人を見て軽蔑し、名誉を傷つけること。
これら十の業によって、邪智という報いを受けることになる。」
「また、衆生に正智(真実に則した智慧)の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、智慧のある沙門や婆羅門に尋ねること。
第二に、善法を説くこと。
第三に、正法を聞き、理解し、それに従って行動すること。
第四に、定法を説くのを見て褒めること。
第五に、好んで正法を説くこと。
第六に、正智の人と親しくすること。
第七に、正法を守護すること。
第八に、正しい教えを多く聞き、それを心にとどめること。
第九に、邪見を遠ざけること。
第十に、愚かな悪人を見て軽蔑しないこと。
これら十の業によって、正智という報いを受けることになる。」
地獄に堕ちる原因
「また、衆生に地獄に堕ちるという報いをもたらす十種の業がある。
第一に、重度の悪業を身(身体)で行うこと。(殺生・偸盗・邪淫)
第二に、重度の悪業を口(言葉)で行うこと。(両舌・悪口・妄語・綺語)
第三に、重度の悪業を意(心)で行うこと。(貪欲・瞋恚・愚痴)
第四に、断見(すべてのものが死後には消滅すると信じること)。
第五に、常見(すべてが不変であると誤解すること)
第六に、無因見(行いには原因がないと考えること)
第七に、無作見(行いには結果が伴わないと信じること)
第八に、無見(真理や因果を完全に否定すること)
第九に、辺見(極端な見解に偏ること)
第十に、恩を知らず、報わないこと。
これら十の業によって、地獄という報いを受けることになる。
畜生に生まれる原因
「また、衆生に畜生の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、中程度の悪業を身で行うこと。
第二に、中程度の悪業を口で行うこと。
第三に、中程度の悪業を意で行うこと。
第四に、貪欲の煩悩から悪業を起こすこと。
第五に、瞋恚の煩悩から悪業を起こすこと。
第六に、愚痴(愚かさ、邪見)の煩悩から悪業を起こすこと。
第七に、他者を罵ること。
第八に、他者を苦しめること。
第九に、不浄な物を施すこと。
第十に、邪婬を行うこと。
これら十の業によって、畜生という報いを受けることになる。」
餓鬼に生まれる原因
「また、衆生に餓鬼の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、軽度の悪業を身で行うこと。
第二に、軽度の悪業を口で行うこと。
第三に、軽度の悪業を意で行うこと。
第四に、貪欲を強く持つこと。(欲望を制御できず、物や快楽を執拗に求める心)
第五に、「悪貪」を起こすこと。(他人の不利益を顧みず、自分の利益だけを追求する心)
第六に、嫉妬すること。
第七に、邪見を持つこと。(因果応報を否定したり、誤った信念にとらわれること)
第八に、財産への執着を持ったまま死ぬこと。
第九に、飢えで死ぬこと。(食物への強い渇望の中で死を迎える)
第十に、渇きで死ぬこと。(水などへの執着や渇きの中で死を迎える)
これら十の業によって、餓鬼という報いを受けることになる。」
阿修羅に生まれる原因
「また、衆生に阿修羅の報いをもたらす十種の業がある。
第一に、比較的軽微な悪業を身で行うこと。
第二に、比較的軽微な悪業を口で行うこと。
第三に、比較的軽微な悪業を意で行うこと。
第四に、驕慢(自分を過剰に誇ること)
第五に、我慢(他人と比較し、自分が優れていると考えること)
第六に、増上慢(自分の能力を実際以上に高く見積もること)
第七に、大慢(他人を完全に見下す心)
第八に、邪慢(不当な理由で自分を優れていると考えること)
第九に、慢慢(他者と自分を比較し続ける執着心)
第十に、無貪(欲望を捨てる心)、無嗔(怒りを捨てる心)、無癡(無知を超える智慧)といった善根を阿修羅道に廻向すること。
これら十の業によって、阿修羅という報いを受けることになる。」
人間に生まれる原因
「また、衆生に人間に生まれる報いをもたらす十種の業がある。
第一に、殺さないこと。
第二に、盗まないこと。
第三に、邪婬をしないこと。
第四に、嘘をつかないこと。
第五に、綺語(虚飾に満ちた無益な言葉)を語らないこと。
第六に、両舌(仲を裂くような言葉)をしないこと。
第七に、悪口(他人を傷つける言葉)を言わないこと。
第八に、際限ない欲望を持たないこと。
第九に、激しい怒りや憎しみを持たないこと。
第十に、正しい道理を理解する。
上述した十善業を修めたが不十分である者は、人間として生まれることになる。」
欲界天に生まれる原因
「また、十善業が満ち足りており、優れた十善業を修めたことによって、欲界天に生まれる。」
色界天に生まれる原因
「また、衆生が貪瞋癡などの煩悩に伴って十善業を実践し禅定を得ると、色界天に生まれるという報いを受けることになる。」
無色界の天に生まれる原因
さらに、衆生に無色界の天の報いをもたらす四つの業がある。
第一に、すべての「色想」(物質に関する想念)を超越し、「有対想」などを滅して「空処定」(無限の空間を観じる境地)に達すること。
第二に、空処定を超え、「識処定」(無限の識を観じる境地)に達すること。
第三に、識処定を超え、「無所有処定」(何も所有しない状態を観じる境地)に達すること。
第四に、無所有処定を超え、「非想非非想定」(想いがあるともないともいえない境地)に達すること。
これら四つの深い禅定に入ることによって、無色界の天に生まれる報いを得ることになる。
(中略)
懺悔という自己救済
そして、地獄に堕ちた衆生がその寿命(地獄における寿命は極めて長い)を全うする原因となる業がある。もし衆生が地獄に堕ちるような悪業を積み、その行いを恥じることもなく、嫌うこともなく、心に恐れを抱くこともなく、むしろ喜んで行い、懺悔もせず、さらなる悪業を積むならば、その業の結果として地獄の寿命を全うすることになる。(たとえば、提婆達多のように。)
また、地獄に堕ちた者が途中で解放される原因となる業がある。もし衆生が悪業を積み、それをある一定の期間続けた後、恐れを抱き、深く恥じ、嫌悪し、懺悔してその行いを捨て去り、再び悪業を行わないと誓ったならば、その結果として地獄に堕ちても途中で解放される。
さらに、地獄に堕ちた者が短期間で地獄から抜け出す原因となる業もある。もし衆生が悪業を積み、それを行った後に恐れを抱き、深い信仰心を起こし、慚愧の(恥じる)心を持ち、悪行を捨て去り、二度と繰り返さないと強く誓い、真摯に懺悔したならば、その結果、地獄に堕ちたとしてもすぐに解放される。(たとえば、父を殺した阿闍世王のように。)
そこで、世尊は次のような偈(詩句)を述べられた。
末長く安楽を得るために
「初めは安楽だが、後に苦労する場合がある。」
もし、ある衆生が他人に勧められて喜んで施しを行ったものの、心が固まらず、後になって後悔したとする。その結果、人間に生まれたとき、最初のうちは裕福で安楽な生活を送るものの、やがて貧しくなり、苦労することになるのだ。
「初めは苦労するが、後に安楽になる場合がある。」
もし、ある衆生が他人に勧められて仕方なく少しだけ施しを行ったものの、施しをした後にその行いを喜び、心に悔いを持たなかったとする。その結果、人間に生まれたとき、最初は貧しく苦労する生活を送るものの、やがて裕福になり、安楽を得るようになるのだ。
「初めも後も苦しい場合がある。」
もし、ある衆生が善知識(仏法を説き導く良き師や仲間)から離れていて、周りに誰一人として施しを勧める者もなく、施しを少しも行わなかったとする。その結果、人間に生まれたとき、最初も後も貧しく、苦労が絶えない生活を送ることになるのだ。
「初めも後も安楽である場合がある。」
もし、ある衆生が善知識の近くにいて、施しを勧められたときに喜んで応じ、ためらうことなく施しを行ったとする。その結果、人間に生まれたとき、最初も後も裕福で安楽な生活を送ることができるのだ。
貧富と施しの因果関係
「貧しいけれど、進んで施しを行う場合がある。」
ある衆生は、過去世で施しを行っていたものの、良い福田(功徳を受けるにふさわしい対象)に恵まれず、生死を繰り返して再び人間界に生まれたとする。良い福田に恵まれなかったため、その果報は乏しく、得た財もすぐに使い果たしてしまうが、過去世の施しが習慣となっているため、貧しいながらも進んで施しを行うことができるのだ。
「富んでいるが、けちな場合がある。」
ある衆生は、過去世で布施をほとんど行わず、善知識に出会った際、一度だけ施しを行ったとする。それでもたまたま良い福田に恵まれたことで、現在では資産に恵まれている。しかし、施しを習慣としていなかったため、富んでいるにもかかわらず、けちな性格になってしまうのだ。
「富んでいて、進んで施しを行う場合がある。」
もしある衆生が善知識に出会い、多くの施しを行い、その上で良い福田にも恵まれたならば、その因縁によって巨万の富を得る。そして、その富を惜しむことなく進んで施しを行うことができるのだ。
「貧しく、けちな場合がある。」
もしある衆生が善知識から離れていて、誰からも施しを勧められることがなく、一切の施しを行わなかったならば、その因縁によって貧しくなり、けちになってしまうのだ。
悪道に堕ちても個体差がある
「ある衆生が悪道に生まれながらも、外見が非常に美しく、目は端正で、肌には光沢があり、人々に愛されることがある。これは、その衆生が貪欲の煩悩によって戒を破る業を起こした結果である。」
「一方、衆生が悪道に生まれ、容貌が醜く、肌が粗くざらつき、人々に嫌われることもある。これは、その衆生が瞋恚の煩悩によって戒を破る業を起こした結果である。」
「また、別の業によって、衆生が悪道に生まれ、身体と口が臭く汚れ、さまざまな感覚が欠如している場合がある。これは、その衆生が癡の煩悩によって戒を破る業を起こした結果である。」
いわゆる「天災」と「異常気象」の原因
「また、外界に悪い影響をもたらす十の業がある。衆生が十の不善業を頻繁に行うと、外界に様々な異変が生じる。
殺生の業によって、土壌が貧弱になり、薬草の効能が失われる。
偸盗の業によって、霜や雹、イナゴが発生し、飢饉が起こる。
邪婬の業によって、台風や豪雨、竜巻などの悪風雨や砂塵嵐が発生する。
妄語の業によって、外界の物がすべて臭く汚れる。
両舌の業によって、大地が平坦ではなくなり、険しい崖や谷ができ、木の切り株が不規則に点在する。
悪口の業によって、瓦礫など粗悪で近寄りがたいものが現れる。
綺語の業によって、草木が密生し、枝には棘が生える。
貪欲の業によって、農作物の実が小さくなる。
瞋恚の業によって、樹木の果実が苦く、渋くなる。
邪見の業によって、農作物が実らず、収穫が減少する。
このように、十の業によって、外界に悪い報いが現れる。」
「一方で、もし衆生が十善業を行えば、外界には十の善い報いがもたらされる。」
(中略)
世尊がこの法を説き終えられると、清浄な信心を得た首迦長者は仏を礼拝し、次のように申し上げました。
「世尊よ、どうか舎婆提城にある私の父、忉提長者の家にお越し下さい。父と一切の衆生が、長き夜にわたって安楽でありますように。」
その時、世尊は衆生に利益を与えるため、黙然として請いを受け入れられました。
首迦は仏の説法を聞き、大いに歓喜し、頂礼してその場を去りました。
願以此功德。莊嚴佛淨土。
上報四重恩。下濟三途苦。
若有見聞者。悉發菩提心。
盡此一報身。同生極樂國。