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【有料記事】8年前に辞めた会社(NS社)の概要、やっていたこと その3 都内常駐・失踪そして退職編

第三回を始めていきましょう

前回の記事はこれです。


第三回は、中国でメンタルがやられて戻ってきた後、都内で上司と常駐、そしてメンタルがいよいよ壊れてしまい失踪し、結果的に会社を辞めた話です。

今回も、身バレ防止と、特定企業情報が多いため、業務内容等は有料で高めの金額を設定しますが、無料部分に、常駐先で使っていた技術、退職した時の話を載せます。

※多分当時の知っている人が見たら、私が誰なのかはわかると
 思いますので。まあ、ばれたらばれたでSNSのアカウントを実名に
 するとか、削除依頼があれば削除します。

有料記事部分では個人名はイニシャルにしますが、会社名はそのまま出すつもりです。

まずは、常駐先で使っていた技術を紹介します

・COBOL
いつもの如くウィキペディアから、必要な部分を引用すると

COBOLコボル)は、1959年に事務処理用に開発されたプログラミング言語である。名前は「Common Business Oriented Language」(共通事務処理用言語)に由来する。
 
・現状
C言語やJavaなどの登場後も、COBOLは主に商用計算記述用として、主に金融業界や行政サービスなどで広く使用されている。

COBOL言語規格は、ローカル変数が作りにくく論理制御機能面が弱かった古典的言語からの脱皮を図っている。オブジェクト指向を採用し、入れ子プログラムを可能としたうえ、COBOLからCOBOLクラスライブラリのみならずJavaのクラスライブラリも呼べるようにするなど、相互運用性や共同開発容易性、安全性を改善してきている。

2019年現在、COBOL Cowboys社の調査では2000億行のCOBOLプログラムが現役で、フォーチュン500企業の90%がCOBOLプログラムを使い続けている。またマイクロフォーカス社のDerek Britton氏は「COBOLシステムを運用している組織が万単位で存在」「この言語が世界のトランザクション処理システムのうちの70%で用いられている」と述べた。

数多くの新しい言語やフレームワークが現れた現代、COBOLで作られるシステムはレガシーであり、システム刷新時に仕様を把握した有識者が居ない事や、新技術への対応の難しさが問題になる事がある。

Wikipedia
“COBOL”
最終更新 2023-03-28
https://ja.wikipedia.org/wiki/COBOL
(参照2023-05-20)

要するに、コンピューター黎明期に作られた、プログラム言語なのですが、金融業界や行政サービスは、秘密保持のため、頻繁にシステムの更新が出来る状況ではありませんでした。
それが仇となり、さらに広く使用されているのも追い打ちをかけ、未だに使われている言語です。
なので、現役を引退した高齢の方が、システム更新で召集されたりします。
で、若い人にもいくつか伝承され、これを覚えれば食いっぱぐれることはないとも言われています。
※ただし、酷使されると思います。なにせ、出来る人が少ないので。

これを面白がって、一部ネット上では、COBOLを扱える人を
「闇のCOBOL一族」(忍者風に)
と呼ばれていたりします

◎Wikipedia COBOL


・みずほ銀行の新勘定系システム『MINORI』にまつわるトラブルおよび大障害について
COBOLが出てきたということは、システムエンジニア業界で、一番関わってはいけないと言われているこの話をしないといけませんね。

それは、
みずほ銀行の新勘定系システム『MINORI』
関係のプロジェクトです。

詳しく書くと長くなるので、ここではWikipediaの引用を使います。もっと知りたい人は、下記の記事を見てみてください。
※Wikipediaを引用でも、設立経緯とシステム関連のみ持ってきましたが、
 それでも相当長いです。

◎Wikipedia みずほ銀行 項目:勘定系システムと度重なるシステム障害

◎PRESIDENT Online システムの全容を理解している社員がいない…みずほ銀行で大規模トラブルがなくならない5つの問題点

◎日経XTECH みずほ銀行の「前時代的」トラブル、稼働11年のスイッチや6年のディスクが故障


そもそも、みずほ銀行は、こういう銀行で、こんなシステム障害を起こしています。

◎設立経緯
2002年、当時みずほホールディングス傘下であった第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行の分割・合併により、旧みずほ銀行(存続行は旧第一勧業銀行で、みずほ統合準備銀行を吸収合併)とみずほコーポレート銀行(存続行は旧富士銀で、旧興銀を吸収合併)が誕生した。
第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行は、何れも20世紀の日本における最大級の銀行であった。
前身となる第一勧業銀行は、渋沢栄一が日本最初の銀行として設立した第一国立銀行を源流とするため、その名残で統一金融機関コードは「0001」を継承している。
また、前身となる富士銀行は芙蓉グループ、第一勧業銀行は第一勧銀グループの中核企業であり、2つの融資系列を母体とした企業グループに所属している。三大メガバンクで唯一、前身行に三菱・三井・住友の戦前の三大財閥を含まない(ただし、富士銀行は安田財閥の流れを汲む)。

行名のみずほ(瑞穂)とは、「みずみずしい稲の穂」の意とされ、「瑞穂国」(葦原千五百秋瑞穂国)は、日本書紀に登場した日本の美称でもある。日本を代表する金融機関を目指す[10]とのことで、この商号とされた。

みずほコーポレート銀行と旧みずほ銀行の合併後の当行は、みずほコーポレート銀行の法人格、および富士銀行の前身である安田銀行が、系列10行と大合併をするために準備会社として設立した保善銀行の法人格を引き継いだものとなっていたため、1923年5月7日を設立年月日としている。
(旧みずほ銀行は、法人格としては旧第一勧業銀行を引き継いだものとなっていたため、日本勧業銀行の設立年月日である1897年6月7日を設立年月日としていた。)

◎旧みずほ銀行(西暦2002年~2013年)
・2002年(平成14年)4月1日 - 第一勧業銀行を存続銀行として
 株式会社みずほ統合準備銀行(日本興業銀行のコンシューマー
 (リテール)バンキング業務を2002年(平成14年)4月1日分割)と
 合併し、併せて富士銀行よりコンシューマー(リテール)バンキング
 業務を承継して、株式会社みずほ銀行と商号変更。直後にサーバの
 大規模システムトラブルに見舞われる。
 
・2005年(平成17年)10月1日 - グループの再編成により、みずほ
 ホールディングスの子会社からグループ持ち株会社のみずほ
 フィナンシャルグループの子会社となる。
 
・2011年(平成23年)
 3月15日 - 3月11日に発生した東日本大震災の義援金用預金口座に、
 10,000件以上に及ぶ大量の振込があった影響で、サーバのバッチ処理が
 追い付かず、旧みずほ銀行として2度目の大規模システムトラブルを
 発生させた。
 5月31日 - 金融庁から、2011年3月に起きたシステムトラブルの
 再発防止を求める、銀行法に基づく業務改善命令を受け、同年6月に
 業務改善計画を提出した。
 9月1日 - 三角株式交換方式により、みずほインベスターズ証券を
 完全子会社化。
 
・2013年7月1日 - みずほコーポレート銀行に吸収合併され解散。
 
◎現みずほ銀行(2013年~)
・2013年 7月1日 - 株式会社みずほコーポレート銀行が旧みずほ銀行を
 吸収合併し、株式会社みずほ銀行に商号変更。本店はみずほ
 コーポレート銀行を継承。
 
・2015年1月5日 - システム障害により、法人向けインターネット
 バンキング「みずほe-ビジネスサイト」が利用できなくなるトラブルが
 発生。
 
・2016年9月15日 - ソフトバンクとフィンテックレンディングサービスの
 合弁子会社株式会社J.Scoreの設立合意
 
・2021年2月28日 - システム障害により、当行ATMの約8割にあたる
 4318台が利用不能に陥り、ATMに入れた5244枚の通帳や
 キャッシュカードが戻らなくなる深刻な被害を発生させた。
 備え付けのインターホンも繋がらず、ATMの前で数時間待たされる人も
 続出。日曜のため行員による対応が一切無く、利用客同士や
 警察官などが(トラブルを知らずに)後から来る利用客への対応を
 行った。
 3月3日 - システム障害により、当行ATM28拠点29台が利用不能に
 陥り、ATMに入れた通帳やキャッシュカードが戻らなくなる深刻な
 被害を再び発生させた。
 3月7日 - システム障害により、インターネットバンキングや当行ATMで
 定期預金の一部取引ができなくなるトラブルが発生。
 3月11日〜12日 - システム障害により、国内他行向けの外貨建て
 送金(計263件・約500億円分)が遅延するトラブルが発生。
 7月11日 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)グループのクレジットカード
 会社であるビューカードとの業務提携開始。
 8月20日 - 窓口で取引を行うシステムで機器の障害が発生。一時窓口での
 振り込みや入金などの取り引きができない状態になった。
 8月23日 - ATM130台で通信環境の不具合により現金が引き出せなくなる
 などのトラブルが発生。
 9月8日 - ATM100台で基幹システムにトラブルが発生。
 通信ネットワークが短い時間寸断されたが、予備の機器が起動し
 まもなく復旧した。
 9月22日 - 金融庁からシステム更新に関する業務改善命令が
 発出された。
 9月30日 - システムの不具合により387件の外国為替取引に遅れが出た。
 多くは同日中に処理が完了する見込みだが、一部は翌日に持ち越す
 とのこと。
 11月26日 - 金融庁から一連のシステム障害の対応に関する業務改善命令、
 財務省から外国為替及び外国貿易法に基づく是正措置命令を受ける
 
・2022年1月11日 - 法人向けネットバンキングで一時障害が発生。
 

Wikipedia
“みずほ銀行”
最終更新 2023-05-09
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%BB%E9%8A%80%E8%A1%8C
(参照2023-05-20)


なにこれ?

まあ、そうなるのも無理もないです。だって、いろんな銀行を吸収・合併して出来たのが、現みずほ銀行で、そのたびに、勘定系システムも合体・連携を行ってきました。
※こういう時は、本来はシステムを1本化するのが上策です。

で、そのプログラムには、もちろんCOBOLが使われています。
そして、打開するために開発したのが勘定系システム「MINORI」で、2018年に、システム移行1回目が開始されます。
IT業界のサグラダ・ファミリア」「金融界のサグラダ・ファミリア」とはよく言ったものです。
ですが、「MINORI」移行後も、トラブルが絶えないという。

一から作ればいいじゃんとも思いたくなりますが、そうなると、みずほ銀行はメガバンクです。持っている情報・お金は莫大なものです。

システム開発と移行で、上のやり方よりさらに時間がかかり、銀行を利用できない期間も長くなる(年単位)から、出来ないのです。
そんなことしたら、大問題です。

Wikipediaには、度重なるトラブルの裴景としてこのように、まとめられています。

◎以上のシステムのトラブルに関する背景
以上のように、みずほ銀行はこれまでに、特に2021年以降、立て続けに
システムのトラブルを引き起こし、これが信用失墜の原因となっているが、
かつての合併前の第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が全く異なる
3つのシステムを持っており、このような合併ではいずれか1つのシステム
のみを使って残る2つは廃止すべきところを、3つのシステムを無理やり
統合するという不適切な方法を取ったことがそもそもの原因との指摘が
ある。みずほ銀行で未だに使われ続けている古いコンピュータシステムの
開発者の退職や死去、システム構造のブラックボックス化も相まって、
誰一人みずほ銀行のシステムの全貌を把握している人がいない状態と
なっていることもあり、ITの同業者からも、これではシステムの根本的な
修正はもはや不可能との指摘があり、かといってこれだけ巨大な
システムではゼロからの構築も現実的でない。2022年1月のトラブルに
おいては、他行へ取引を移すことを自ら推奨するメールを送信した。

Wikipedia
“みずほ銀行”
最終更新 2023-05-09
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%BB%E9%8A%80%E8%A1%8C
(参照2023-05-20)

これを題材に映画1本以上はできますね。

以上、技術的な話でした。

ここからは、会社を辞めた時の状況説明となります。

・失踪(実家に帰る)の話
常駐先で上司とうまくいかず、そして私のとった行動は、
「仕事を無断欠席し、新幹線で実家に帰る」
でした。
本当は心療内科に行けばよかったのですが、心療内科ってどこも予約でいっぱいで、行くことが出来なかったのです。
そして、行きついたのは、高校・大学時代にも行った
「逃げる(失踪する)」
という選択肢でした。
※私は、逃げることは悪いとは思っていません。私の座右の銘は
 「死ねば死に損、生くれば生き得」
 
自殺するよりは、逃げてしまってとにかく生き残る方がいいと
 考えていることです。

当然、帰った時に母親にはびっくりされました。
そして、一通り事情を話した後、親に説得され、直属の常務に連絡をとり、
いろいろ話した後、実家に一泊して、一旦、社宅に戻ることになりました。

※この常務は大変優秀なマネージャーさんでした。会社にいたころは色々
 よくしてもらいました。
 で、常駐先にも、時々様子を見に来てはいたのですが、対応したのは
 揉めた上司1人のみだったので、
 (私は作業をしていて来ていることさえ知らなかったです。)
 私の情報がそこで止まっていたというのも、この時まずかったこと
 です。
 うろ覚えですが、常務とは電話で相談したこともあったのですが、
 もうちょっと自分がまずいことになっていることをアピール
 できていたら、なんとかなったかもしれませんね。
 「問題ないです」と心配をかけまいとしていたような気がします。

・退職そして帰郷
その後、本社で常務に呼び出され
「食い倒れ君、君は今後どうしたいんだい?」
と言われました。

そしてはわたしは、言いました
「この会社を辞めて、実家に戻ります」

※両親も、実家に戻った際に
 「そんなにつらいなら、こっち(実家)に戻っておいで」
 
と言ってくれたのもこの決断を下した理由の一つに成ります。
 ある意味、長男で得をした部分となります。唯一の兄妹の妹は、
 既に結婚しており実家にはいませんでした。

こうして私は、約一か月有給休暇を行い、その間に、いらなくなった
粗大ごみを出したり、リサイクル業者に電化製品を売ったりし、引っ越しの
手配をして、役所で移住の手続きを行い、実家に戻るのでした。

こんなところですかね。

ここからは有料記事となります。
目次は購入しないと見れないようなので、目次をここに書きます。
興味のある方は、ぜひご購入をお願いいたします

※今回は中身が本当にないので、有料部分を買うことをお勧めしません。

目次
・都内常駐先
・常駐先での業務について
・退職の原因となった上司Sについて
・終わりに

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