第三回を始めていきましょう
前回の記事はこれです。
第三回は、中国でメンタルがやられて戻ってきた後、都内で上司と常駐、そしてメンタルがいよいよ壊れてしまい失踪し、結果的に会社を辞めた話です。
今回も、身バレ防止と、特定企業情報が多いため、業務内容等は有料で高めの金額を設定しますが、無料部分に、常駐先で使っていた技術、退職した時の話を載せます。
※多分当時の知っている人が見たら、私が誰なのかはわかると
思いますので。まあ、ばれたらばれたでSNSのアカウントを実名に
するとか、削除依頼があれば削除します。
有料記事部分では個人名はイニシャルにしますが、会社名はそのまま出すつもりです。
まずは、常駐先で使っていた技術を紹介します
・COBOL
いつもの如くウィキペディアから、必要な部分を引用すると
要するに、コンピューター黎明期に作られた、プログラム言語なのですが、金融業界や行政サービスは、秘密保持のため、頻繁にシステムの更新が出来る状況ではありませんでした。
それが仇となり、さらに広く使用されているのも追い打ちをかけ、未だに使われている言語です。
なので、現役を引退した高齢の方が、システム更新で召集されたりします。
で、若い人にもいくつか伝承され、これを覚えれば食いっぱぐれることはないとも言われています。
※ただし、酷使されると思います。なにせ、出来る人が少ないので。
これを面白がって、一部ネット上では、COBOLを扱える人を
「闇のCOBOL一族」(忍者風に)
と呼ばれていたりします
◎Wikipedia COBOL
・みずほ銀行の新勘定系システム『MINORI』にまつわるトラブルおよび大障害について
COBOLが出てきたということは、システムエンジニア業界で、一番関わってはいけないと言われているこの話をしないといけませんね。
それは、
みずほ銀行の新勘定系システム『MINORI』
関係のプロジェクトです。
詳しく書くと長くなるので、ここではWikipediaの引用を使います。もっと知りたい人は、下記の記事を見てみてください。
※Wikipediaを引用でも、設立経緯とシステム関連のみ持ってきましたが、
それでも相当長いです。
◎Wikipedia みずほ銀行 項目:勘定系システムと度重なるシステム障害
◎PRESIDENT Online システムの全容を理解している社員がいない…みずほ銀行で大規模トラブルがなくならない5つの問題点
◎日経XTECH みずほ銀行の「前時代的」トラブル、稼働11年のスイッチや6年のディスクが故障
そもそも、みずほ銀行は、こういう銀行で、こんなシステム障害を起こしています。
なにこれ?
まあ、そうなるのも無理もないです。だって、いろんな銀行を吸収・合併して出来たのが、現みずほ銀行で、そのたびに、勘定系システムも合体・連携を行ってきました。
※こういう時は、本来はシステムを1本化するのが上策です。
で、そのプログラムには、もちろんCOBOLが使われています。
そして、打開するために開発したのが勘定系システム「MINORI」で、2018年に、システム移行1回目が開始されます。
「IT業界のサグラダ・ファミリア」「金融界のサグラダ・ファミリア」とはよく言ったものです。
ですが、「MINORI」移行後も、トラブルが絶えないという。
一から作ればいいじゃんとも思いたくなりますが、そうなると、みずほ銀行はメガバンクです。持っている情報・お金は莫大なものです。
システム開発と移行で、上のやり方よりさらに時間がかかり、銀行を利用できない期間も長くなる(年単位)から、出来ないのです。
そんなことしたら、大問題です。
Wikipediaには、度重なるトラブルの裴景としてこのように、まとめられています。
これを題材に映画1本以上はできますね。
以上、技術的な話でした。
ここからは、会社を辞めた時の状況説明となります。
・失踪(実家に帰る)の話
常駐先で上司とうまくいかず、そして私のとった行動は、
「仕事を無断欠席し、新幹線で実家に帰る」
でした。
本当は心療内科に行けばよかったのですが、心療内科ってどこも予約でいっぱいで、行くことが出来なかったのです。
そして、行きついたのは、高校・大学時代にも行った
「逃げる(失踪する)」
という選択肢でした。
※私は、逃げることは悪いとは思っていません。私の座右の銘は
「死ねば死に損、生くれば生き得」
自殺するよりは、逃げてしまってとにかく生き残る方がいいと
考えていることです。
当然、帰った時に母親にはびっくりされました。
そして、一通り事情を話した後、親に説得され、直属の常務に連絡をとり、
いろいろ話した後、実家に一泊して、一旦、社宅に戻ることになりました。
※この常務は大変優秀なマネージャーさんでした。会社にいたころは色々
よくしてもらいました。
で、常駐先にも、時々様子を見に来てはいたのですが、対応したのは
揉めた上司1人のみだったので、
(私は作業をしていて来ていることさえ知らなかったです。)
私の情報がそこで止まっていたというのも、この時まずかったこと
です。
うろ覚えですが、常務とは電話で相談したこともあったのですが、
もうちょっと自分がまずいことになっていることをアピール
できていたら、なんとかなったかもしれませんね。
「問題ないです」と心配をかけまいとしていたような気がします。
・退職そして帰郷
その後、本社で常務に呼び出され
「食い倒れ君、君は今後どうしたいんだい?」
と言われました。
そしてはわたしは、言いました
「この会社を辞めて、実家に戻ります」
と
※両親も、実家に戻った際に
「そんなにつらいなら、こっち(実家)に戻っておいで」
と言ってくれたのもこの決断を下した理由の一つに成ります。
ある意味、長男で得をした部分となります。唯一の兄妹の妹は、
既に結婚しており実家にはいませんでした。
こうして私は、約一か月有給休暇を行い、その間に、いらなくなった
粗大ごみを出したり、リサイクル業者に電化製品を売ったりし、引っ越しの
手配をして、役所で移住の手続きを行い、実家に戻るのでした。
こんなところですかね。
ここからは有料記事となります。
目次は購入しないと見れないようなので、目次をここに書きます。
興味のある方は、ぜひご購入をお願いいたします
※今回は中身が本当にないので、有料部分を買うことをお勧めしません。
目次
・都内常駐先
・常駐先での業務について
・退職の原因となった上司Sについて
・終わりに