1月2週目|まともってなんでしょうね
僕は無意識に「まとも」であろうとしてきたのだな、と感じて、ようやくその枠から抜けるという決心がついた一週間でありました。十分、変な人で良いし、これが僕はやりたくて独立したのだから、それを理解してくれる方にまず届けば良いと思って、仕事始めするのでありました。
1/5(日)婁宿(安宿)命位・破門
年始営業開始から2日目。きっと明日から仕事始めの方も多く、年末年始最後の土日だからなのか、予約はほとんど埋まっており、キャンセルこそ前日にあったものの、前日の時点では満枠でありました。
午前中の予約が空いたこともあって、これは拝め、ということな気がして、今年初の護摩観想法。お金の問題で悩み続けている僕は、なぜこんなにもお金に対してブロックがあるのか、真言を唱えながら、お不動様に委ねるのでした。ネゴシエイト的な感じで始まり、どんどん小さくなっていく感覚がありながら、最後には額のちょうど生え際のところに仏様を感じるのです。これは何だろうと思ったら施無畏印の仏様、釈迦如来を感じるのです。
前に與儀さんに観てもらった際に、額に仏様が見えると言われたのですが、それは仏縁ある人ならば誰しもあるであろうくらいにしか受け取っておらず、だからといって何だということでもないので、そうなんだ、ほえ〜、くらいに思ってたのが、何となく自分でも視えるくらいに感じて、お不動様でもなければ大日如来でもなければ、釈迦如来なのでした。不思議。
面白い体験でありました。
お寺で繋がった方が、白石からわざわざお越しくださり、ご夫婦での施術でありました。今年はより一層に丁寧に施術すると、丁寧に回路を組んでいくことを意識していますが、ピックアップの内容をどう着想していくのかが大事だとより思ったのであります。ピックアップで出てきた文言を、どう解釈していくのか…ここが課題ですね。
その後は、初回のお客さんがいらしてくださり、毎月参加させていただいてる飲み会を主催している就労支援の会社さんからのご紹介で、噂だけで来てくださったとのことで、こうやって口コミしていただけることが本当に嬉しさいっぱいでした。口コミしていただいた側が恥じない施術を僕はするのみであります。
モニター施術でのご依頼でしたが、身体の軸は星のずれで整うものの、主訴である身体の硬さは栄養の問題から来ており、それはそれ、これはこれ、であると改めて実感しました。
広い視野は忘れずに持ち続けたいです。偏らないように気をつけます。
最後のお客さんは、長年定期的にお越しいただいている石巻のお客さん、もはや友人のような方ですが、運気の流れは良いのに何かで制限がかかっているのを感じるということで、何が原因になり得るのか目星になりそうなものや考えられるものはないかをヒアリングしましたが、実際にピックアップで出てきた原因は、母からの生霊でありました。僕もまさか、と思いましたけどね。
母が、母に認められたい。要するに、お客さんのお母さんが、お客さんの祖母や姑にあたる義母に認められたいために、子供を縛ることであったり教育に力を入れる、ということがあり、その念が凄まじいとのことでありました。
こういったケースで星がズレることもあるのか、と僕も勉強になった程です。
もう最近は生霊とか出ても気にならなくなってきてしまっている自分がいて、しっかりと怪しさ満載な道を歩んでいると思うのでありました。
1/6(月)胃宿(危宿)命位・破門
年始の営業開始を1日早めたこともあり、この日はお休みにさせていただきました。疲れは溜め切る前に改善しておく方が、僕には合っているのです。施術で被ることはなくとも、頭をかなり使うので結構疲労感は感じます。
昨日の最後のお客さんがインスタのストーリーズに載せてくださって、生霊について触れられていたので、これだけ見るとめちゃくちゃ怪しいな、と僕も思いながら、シェアをさせていただいたのですが、それに師匠が「怪しさが突き抜けてきた」とコメントをくれたのです。
ここ最近はより一層に社会不適合の道を歩んでいるな、と客観的にも思いますし、僕自身もそれをプラスに受け入れることにしてきたのですが、師匠から「社会性は忘れずに、まともじゃないことを受け入れましょう」と、「世間と同じ普通でいることに何の意味があるのか分からないですから」という言葉が妙に響いてしまって、世間の普通に合わせようと無駄な努力をしてきていた自分を感じて、全くもってその通りだよな、とぐうの音も出ないのでありました。
そもそもこういった技法の施術家であることも、お坊さんをこういった形でやっていることも、独立したことも、普通じゃない道を歩んでいるのに、社会性を意識し過ぎて、普通になろうとしてしまっていたな、と、普通に合わせて周りに理解してもらおうとしていたな、と思うのです。
もっと突き抜けたいですね。
午前中は自分の時間を過ごし、半日出勤の妻と昼に合流して、お昼を食べてから映画を観に行く約束をしておりました。
前から行ってみたかったカレーがオススメのカフェに行き、昼食をいただいた後に、『ライオンキング ムファサ』へ。
いつもは買わないポップコーンとミネラルウォーターを買って、バリバリ映画を楽しむスタイル。シアターに入れる時間になるまで待っていたのですが、入場時に確認するスタッフに開口一番「この水はここで買ったものでしょうか」などと失礼なことを言われ、こんないろはす500mlの水を買うのに自販機で買っても150円程度のものをわざわざ映画館で270円も出して買ってるのに、この言い方は無いだろう、とちょっと腹が立ち、もっと言い方ってもんは無いのかと、こやつの教育担当もどんな教育してここに立たせておるんや、と、敬語がある程度使えることと、礼儀がなっていることは全然違うぞ、と思ったのです。
この差は大きい。
真ん中の席を予約して行ったのですが、一席空けて、まさかの隣の席がいつも僕の頭を担当してくれる美容師さんで、こんな偶然あるのか、と驚きまして新年のご挨拶。妻には、出かけると必ずと行っていいほどあなたの知り合いに会うよね、と言われ、確かにそれはそうかも、と思い、普段からの態度には気をつけなければ、とまた身が締まる思いでありました。
ムファサはさすがはディズニーというグラフィックでありましたが、内容が特段期待を超えてくるものではなく、動物ものって恋愛か友情とか血筋とか、そういったものにしか発展しないよね、ということで、ライオンキングを観て育った世代をターゲットにしたのか、子供受けを狙ったのか、どうなんだろう、とか色々思いながら、サブスクで気軽に映画が観れる時代だからこそ映画館でこそ観るべきだよね、という作品に今年こそ出会いたいと思うのでした。
映画館を出ると、雨が降って外は暗くなっており、たった2時間で景色がこうも変わるもんだね、と会話。
自宅に帰宅し、いい休日となったのでありました。
1/7(火)昴宿(成宿)命位・破門/6:00~財帛位
昼に妻の母と昼食を食べる約束をしていたので、半日休みをいただいておりました。
妻は有休消化で、1日休みを貰っていたので、約束の時間までNetflixでやってる『窓際のトットちゃん』を観て過ごしました。本当は映画館に行って観ようと思ってた矢先、早々と上映が終了になってしまって、機会損失していたのでようやく、といったところでした。
個人的には結構好きな映画で、黒柳徹子さんの実話ということもあってリアルな感じが良く、こういう人間模様が僕は好きなのかもな、と思ったのであります。観ながら、自分を観ている感じ。映画を通して、自分を観察する。
同じ映像を観ている中でも、人によって受け取り方が違うのが作品の面白さだと僕は思っていて、ジブリも結構そういうアニメーションだと思っているのですが、ディズニーとかだと受け取り方の種類があまりなく、みんなが同じ感情を抱くようになっている感じがして、観ていて楽といえば楽だし、退屈でもあるのです。
特に普通という窮屈な枠にはめられた子たちが見ている世界が、何とも自分に重なることがあり、いい映画でありました。それを観てまた、僕はだから生きづらかったのか、と思うのでありました。
義母と合流して、狙ってた焼肉屋へ向かったのですが、ランチ営業がしばらくお休みということで、急遽変更し、牛タン屋へ。テールスープを飲むまでは満腹感を感じないくらいだったので、抵抗感の無い味ってこれか、と感じていたのですが、テールスープで急に満腹感を感じ、わざとそうしているのかな、とか考えながら、美味しくいただきましたあのテールスープが無ければ、もう一定食食べれる感覚でありました。
その後、軽く茶をしばいて、僕は予約が入っていたので解散し、店に向かい、支払い諸々を済ませるために銀行に行ったら何故か暗証番号を何度も間違えてしまい、これ以外ないだろうと思っているのにそれが通らない。おかしい、と思っていたらカードが使えなくなり、再発行手続きをする羽目に。
この怒りをどこにぶつけていいものやら。
そんなこんなしているうちに、予約の時間が迫っていたので切り替えて一旦忘れることに。
受験前の中学生のお客さんであり、大事な試験を控えているので最終調整をさせていただきました。自律神経の乱れは腸内環境由来であり、その原因は恐れのストレスから来ている、というもので、頭蓋の歪みもあったのでしっかり調整させていただきました。
受験、頑張って欲しいですね。
宅トレ配信まで時間があったので、明日の準備をしていたのですが、銀行での怒りがまた湧いてきてしまい、自分で施術することに。それである程度落ち着きはしたのですが、左腕の震えが止まらず、護摩観想法をまずやった方がいいなと思ったのです。
自分の中にある変なプライドが邪魔していることを自覚し、これだから僕はうまくいかないのだ、と思うのです。見たくないものから目を背けているだけ。
ネガティブなフィルターや守りのフィルターばかりをかけていて、どうすれば現状維持できるかしか考えてない自分がいて、色眼鏡をかけて世の中を見ていることに気付き、その瞬間に目の前が明るくなり、自分で今の自分を作っているのだということを実感したのでした。
後はその思い込みに飲み込まれないことが重要で、ここが僕が今向き合い解消していくポイントなんだろうと思うのです。
今年初の宅トレは、何となく身体をガッチリ動かしたいと思って、100回シリーズ。適度な運動はやはり大事であります。
1/8(水)畢宿(壊宿)財帛位
父の命日。あれから7年経つのかと思い、朝イチで墓参りへ。7年前のあの日も風の強い寒い日で、つくづくタイミングの悪い人だな、と毎年思うのであります。
父にもう一度会いたいとか、父と会話したい、とか、そんな感情は無く、ただ父の死は僕の人生の色んなきっかけになった出来事だったので、それには感謝をしています。お坊さんになったことも、施術家としても、父の死を看取ったことは重要な出来事でした。
変な言い方にはなってしまいますが、父が亡くなったおかげで、ということがあるのです。存命の時も、僕としてはやり切ったので、後悔はないのです。
墓参りを済ませた後、打ち合わせのためにコメダへ。今年は外部へ出てみようという気持ちになっていたので、嬉しいお誘いでした。この縁がどう繋がっていくのか、楽しみであります。
戻って家賃の支払いに行き、午後の予約に合わせて開店準備。以前、起業塾でご一緒した方が、今回初めてモニターの施術を受けに来てくださることになっており、ありがたいなぁと思いながら、施術準備をするのでありました。
12年前で時間軸が止まっており、当時の仕事環境に対するストレスをいまだに捨てられていないことが原因で、星がずれているパターンでありました。『本当は不要なものを握っている』というメタファーのピックアップにより、これが当時の仕事環境での『辛かった思い出』であり、それを今も握りしめているから長年の腱鞘炎のような症状が改善しないということにも繋がっていて、ああ、身体ってなんて正直なんだろうか、と感動してしまいました。
必要な施術は毒素の排泄ばかりで、施術家でもありましたから、被っている部分もありまして、それゆえのこの施術を行えとの反応を身体が示すんだろうな、と思いました。
その後、紹介くださったご友人の方が到着し、お二人とも山形からわざわざ来てくださり、県外からでも受けたいと思っていただけるのは嬉しいことでありました。
次の方は、なかなかストレスとなっている要因を思い出せないことが多く、こういう時は一緒に来ている意味がありそうだな、と思い、お隣で待っていただいている方にお伺いしたところ、それがドンピシャで反応を示したので、2人で予定を合わせてきている意味ってこういうことでもあるよな、と思いました。
ピックアップが終わってからも、まだ別件で聞いて欲しいことがあると身体の反応が示すため、何だろうと頭を悩ませたら、まさかの霊的な問題でありまして。鉄骨に頭をぶつけたことにより、頭蓋のずれによって死霊を認識できるようになってしまっているということで、頭蓋調整をさせていただきました。
こんなレアケース、びっくりであります。
今日は、なかなかに特殊な施術でありました。いかに頭の柔軟性を高くしておくかが重要であります。僕の着想が何とか追いついてくれたので良かったです。前よりも発想と閃きは育ってきてくれていそうです。
1/9(木)觜宿(友宿)財帛位/12:00~兄弟位
ありがたいことに、終日予約が埋まっている1日。雪が降り始めて、どうりで朝起きづらいと思った、という曇り空で、気温も低く、これは店かなり寒いぞ、トイレが凍結してなければいいけど、と思って、早めに開店準備に向かしました。
トイレの凍結は大丈夫だったのでひとまず安心ですが、あまりの寒さに店に着いて暖房を起動してからもほぼ動く気力が湧かず、刻々と過ぎていく時間を眺めながら、ああ、準備しなければ、と動き出した時にはもう1時間が経過していました。
少しお客さんがいらっしゃる前にピラティスを。お客さんの身体の状態を想像しながら、今日はどんなエクササイズを組もうかと考えながら、自分の身体を動かす。自分の身体とゆっくり対話する時間が何とも気持ちが良く、身体の隅々まで意識するのはやっぱりピラティスが今のところ僕には相性がいいな、と思うのです。武術の身体作りもしなければと思うのですが…思うだけ…。
次の方の施術は、僕も反省すべきことがあり、自分の勉強不足とここ最近の慢心もあったかもしれないと思うこととなりました。結構凹むのですが、ただ凹んでもしょうがないので、いかに気持ちをフラットにして色眼鏡をかけずに何の作為も入れずに身体を観るということが大事なので、それまでにできる学びと精神修行あるのみだな、と思います。勉強させていただきました。
打ち合わせを挟んだ後に、Facebookを見て来てくださった初めての方の施術。
先日、モニター施術の感想をFacebookに上げてくださったお客さんのおかげで僕の知らない方にも届いたようで、嬉しくなりました。
どこに行っても3ヶ月改善しない手首の痛みを抱えている方で、モニター施術のご依頼でありましたが、その症状自体は筋肉のずれからきているものだったので、先にある程度調整させていただきました。
患部を評価することも基礎に返って大切にする心を忘れないようにしておきたいものです。
とても喜んでいただけたので、いい仕事ができたな、と自分を労い、この日の施術を終えたのであります。
1/10(金)参宿(親宿)兄弟位
最近は疲労感が抜けずに朝を迎える日が多く、この日もまだ寝ていたい自分と起きるスイッチが入ってしまってこれ以上は寝られない自分が共存したまま起床したのでした。ある程度の時間になると寝ていることができないので、身体に染み込んだ習慣というのは恐ろしいものであります。
昨日の雪の影響でしっかりと道路は積もっており、大河原出張の日だったのでいつもより早めに出ないとまずいか、と思って、やや早めの出発。日陰になって雪が溶けにくい場所の雪の下は凍っていて、タイヤがスリップしたので焦りました。
ブレーキを踏んでも止まらない車、怖い。
午前中に2件の施術を終え、午後は蔵王の方に向かいます。蔵王なんかはもっと雪が大変なことになっておろうと思ったら、やっぱり積雪量は多くて、ただ、凍っているというよりは雪なのでそこまで運転の心配はなく、むしろ道中の遠くまで見渡せる雪景色の美しさに感動し、車の中という暖かい環境からこの景色を拝めるなんて、なんて贅沢なんだろうと思ったのであります。
昼食をいただき、そこから施術を4件やらせてもらいまして、帰宅。帰り道も雪が心配でしたが、むしろ雪の方が明るいこともあって見通しがよく、安全に運転していればさほど怖さは無いといったところで、この緊張感を地味に楽しみながら帰路に着いたのであります。
帰宅後は妻が注文していた本棚を組み立て、明日の朝に仕上げるところまでの過程まで進めて就寝であります。
1/11(土)井宿(胎宿)兄弟位/18:00~田宅位
朝起きて、本棚を設置。妻が喜んでいたので、それで良かったのであります。本棚にこれから何をどんな風に置こうかなと考えてウキウキの妻で、我が家の生活は豊かになったのであります。
午前中の予約は入ってなかったので、少しゆっくりめに店に行き、店内を暖めながら護摩観想法を行うことに。最近は疲れすぎていたのと、時間がなかなか作れなかったのもあって、久しぶりになってしまいました。
真言を唱えている時間が以前よりも心地良さを感じてきて、初めて行をやった時はあまりの数に辛さを感じていましたが、三昧に入れるようになってきたのかな、なんてことを考えていました。
真言を唱えていると、声が周囲に反響して、自分の耳に、身体に響いてきます。この感覚もまた面白くて、普通に話していたりしてもこういった反響してくることはないのです。ただ、これもまだ五感に囚われていますから、空を体験できるレベルまでやり込むしかないと思うのです。
昼頃からはモニター施術の予約のお客さんが終日入っており、こうして興味を持っていただけることは非常にありがたいのであります。
最初のお客さんは、5年前で時間軸が止まっており、奥さんに意見を合わせる、という要素が強くなった星の配列になってしまっておりました。奥さんの顔色を窺ってしまい、切り出したいことも上手く言えない、というような感じになっており、それがストレスの根源となっていたという原因でありました。
夫婦関係を良好に保つためにも、時には言いたいことを我慢することも大切なことではありますが、そのバランスが取れていないと心身の健康を維持することは難しいよな、と、とても難しい問題のように思います。
その後は、新規のお客さんが来てくださいまして、「人に伝える」というストレスが子供の頃の母から褒めてもらえなかったりした記憶が昇華できていないことから、脳に過剰なストレスがかかっており、警戒心が強く出過ぎてしまうということでありました。
子供の時のストレスというのは、大人になったからといって解消するものではなく、いくつになっても影響してくるものでもあります。
最後のお客さんは、星のずれにあまりピンと来てないような感じでありましたが、自分の主張と世の中の主張が合わないという星にいながらも、人を頼ることができずに自分の主張が強い、いわば我が強い状態になっており、自分に至らない点があるところはパートナーが補ってくれるように、バランスをとっていくように命理としてあるのですが、そうもできないという生きづらい生き方を選択してしまっておりました。
ふとピックアップ中に、人を頼ったことがないでしょと言われ、そもそも人に頼って生きていくような生き方は好きじゃないとふと言ったことがある、と本人も思い出されたようで、欲しいと思い込んでいたパートナーも実は深層心理ではいらない、と思っていたり、ようやく身口意の一致がされてきたようで、それだけでも心身の健康においては重要なことであるのでした。
身体の反応は正直なので、自分の中にある疑問などが腑に落ちていただけたんじゃないかと思いますし、こういった道標的な使い方も必要なんだなと自分の中での見聞が広がったので、もっと施術に可能性が広がってきたようにも思います。
この一週間の施術は、特に修行を感じさせてくれるような、そんな体験でありました。