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9/2(月)〜9/8(日)お坊さん整体師の日記

9/2(月)軫宿(壊宿)憧僕位:女宮

朝起きたら、もうすでに義母はいなかった。鶏に餌をやらなきゃいけないから、と早朝に帰ると昨晩言っていたが、本当に早朝に帰っていったようだった。勝手に帰るから〜とは言っていたが、全然気付かなくて忍者なのかな、とまで思った。面白い方である。いつまでも元気でいて欲しい。

ご予約を立て続けにいただき、朝イチの予約がキャンセルになったりと、慌しかった。予約表を見て、このくらいコンスタントに入るといいんだけどな、と思った。色々改善していかなくてはならない。こもり過ぎた。そろそろ外に出る練習しないと。

暑かったので店の冷房を起動して、銀行に記帳と入金に向かう。法人の通帳はネットで管理するのも有料なので、導入していない。個人のだと無料なんだけどね。そんなにしょっちゅう使う通帳ではないから、ここは足で補う。土日と月末が被っていたので、支払いが一気に重なるタイミングである。10日まで乗り切れば、とりあえず安心なのである。汗ビッチャビチャになりながら、また店に戻る。

雑草がまたもや生い茂ってきて、苔もいい感じに生えてきたけど、庭石がまだ敷き詰めきれてなくて、そろそろやらないと、と毎日思っている。雑草は増えすぎると見栄えが良くないので、虫除けスプレーを装備して汗だくになりながら草を抜いた。

施術30分前には店に戻り、汗を落ち着かせる。お客さんが来た。
施術してたら、真ん中の部屋の照明の明るさが気になって、ここだけ寒色系の照明だな、と思って、変えたくなった。施術されている側からしたら、気になるところだろう。こうやって細かいところがどんどん気になっていく。でも施術の環境を最適化すること、お客さんの為になることをケチってはいけないような気もしているので、ここは近々変えたい。そのためには今ある照明がどのように付いているのかをチェックしないといけない。その過程の手間を考えると後回しにしてしまった。また先延ばしになりそう。

午後は、宿曜の解説ライブをインスタで投稿し、今の投稿スタイルに飽きてきたので、また雛形を変えようと作り始めた。雛形を変えるにあたって、僕は今後、どういう発信をしていきたいのか、考えた。施術技術を磨くことは当たり前に今後もやっていくが、それだけでいいのか?と。僕は僕の元に来てくれている人だけに届けるだけでいいのか?と自問自答した。

散々、世界だ、海外だ、目指すなら夢はデカくないと、と思い込んできたが、それを一度手放した。目標設定をやめた。目の前のことにコミットしよう、と。目標設定をすればするほどに、できない自分と、達成できてない自分と、向き合わなきゃいけなくて、しんどかった。そして、氐宿生まれの僕は、大きなことを目指すよりも、身の丈に合った目標を一歩ずつの方が適しているということと、昨年の占星術の講習会で羽田先生に「若いうちは何でも手につけて、中途半端になりやすいから気をつけなさい」と言われたことがずっと引っかかっていて、しっかり一つのことに絞って取り組むことも必要だと思った。
自分に合うと言われている形にハマってみようと思って、大きな夢を追わないことにした。「目指さないことには、そもそも辿り着けない」とも思っているし、それはそうだと思うから、目指すところを大きく設定してたけど、違和感は感じていた。達成している自分が見えなかった。その途中経過をどう進んでいけばいいか、分からなかった。だから、目標設定の習慣を辞めた時は気が楽だった。そして、自分の密度を高める、ということにフォーカスした。そしたら、施術方式がガラリと変わった。

でもここにきて、もう一度立ち返る。僕は施術ということだけに収まってよいのか?もっとできることはあるんじゃないのか?と。僕がやるべきことは何なのか、を考え直す時間になった。その中で出てきたことは、広く伝えることだった。今は狭い。広く伝える。では、何を?

健康、というにしても範囲が広い。僕がやっている健康法は一体なんなのか。どういうコンセプトなのか。なぜ、何故、Whyを問う。それをノートに向き合いながら書いてたら、圧倒いう間に夜になってた。昨日は拝まなかったので、護摩観想法を今日は修さないとと思って準備する。

どこかで、ちょっと面倒だな、という思いも出てきてしまって、でも、ここでやらないとどんどん離れていってしまう。やらない習慣はあっという間につく。どんな境遇であってもやると決めたらやるのだ、と自分のケツを叩く。そんな気持ちで取り組んでしまったから、真言を唱えている間はすごく長く感じてしまった。そんな自分が嫌になった。弱い人間である。途中で色々思考が湧いてきて、煩悩が頭を巡り続けていた。こんなの仏様に失礼だ!と思いながらも、また湧いてくる。時間も長く感じるから苦しかった。反省。

妻が今日は飲み会なので、晩ご飯を簡単に作って食べた。
その後は勉強。東洋医学をもっと深めたい。書かないと覚えられない。効率は悪いかもしれないけど、勉強に近道なんてないので、とにかくやることが大切だと思って取り組んだ。


9/3(火)角宿(友宿)憧僕位/12:00〜夫妻位:女宮

早起きが再開できた。なので、起きてからはまず本を読む時間。いつも起きてた時間から、活動開始。本を読むための早起き。この本は勉強用でなくてもいい。とにかく、自分の時間から朝を始めること。これだけで一日がいいスタートになる。

昼から母校の高校でキャリアセミナーの講師サイドでの予定が入ってたので、午前中の営業は中途半端になる予定だったので、自宅でひたすら自分の目標や店の目標、会社の価値観と向き合うことにした。
法人持っているけど、法人格にする必要なんて正直ないと思う。会社同士の取引ってあんまり無いし、基本的に個人とのやり取りが多い。なぜ、法人にしたのか、といったら、やってみたかっただけ、というのが正しいのかもしれない。僕はやってみたかったことを意外とやってきている人生なんだな、と思った。では、今は何をやってみたいのだろう、と思ったら、僕個人という人間が、どこまで磨けるのかをやってみたい、にシフトしているから、会社の目標とかに固執してないんだろうな、と思った。(一時期は数字を良くしよう、仕事とってこよう、営業だ営業!という気持ちが強かった、今は全然無い。いいんだか、悪いんだか。)
かといって、売上というものが無いと、僕も高みを目指し続けられないし、今、僕を信頼してきてくれるお客様の行く宛も途方に暮れてしまう。ただ、お金を貰うための商売ではなく、僕の奉仕の結果、対価としていただけるものがお金なのである、という順番が明確になったおかげで、今まで手を抜いてしまっていた経営も、本気で頑張るか、という気持ちになれてきた。
従業員がいなくなって僕一人になってから、今までは従業員を食わせていくため、の思いが強かったので、気が楽になってしまい、ちょっとのんびりし過ぎた節はある。

僕がやりたいことは「あらゆる悩み・苦しみを抱える全ての人の問題を解決すること」であることに気づいた。それは執着から離れることでもあるし、過去や未来ではなく、今を生きることに繋がる。「今を生きる」という文字にしてみればシンプルなことだが、それができていないから病むのである。だからこそ、僕は今この時この瞬間を大切に生きる人を増やしたい。それが本来の自分に立ち返ることであり、現実を生きることである。未来や過去などは記憶や想像の中に過ぎず、今では無いのだから。虚構を生きているに過ぎない。今を一瞬一瞬生きても、思い出した瞬間には過去になってしまっている。だからこそ今が美しくて、貴重なものなのである。そんな貴重な瞬間を過去や未来のことを考えて悩んでも時間の無駄になってしまう。
こんなことを考えていたら堂々巡りになってしまうのだが、これがこの世の法則であり、先人が目指した悟りの道なんだろうな、と思った。僕もまだまだだけど。

一年に一回行く母校は何ら変わりなかった。ただ、この高校がこの名前のまま残っているのはあと数年で、その後は別の高校として生まれ変わる。去年と違うのはそれが決定したか、してないか、くらいの差で、僕が育った学校はことごとく廃校になったり、校舎取り壊しになっているので、思い入れもないが、高校は僕にとって楽しい時期だった故に少し寂しい気もした。
今回は講師側がペアで生徒との距離を近くして対話方式にするという試みで僕もこのスタイルは初めてだったので、楽しく進行させていただけたが、もうちょっと工夫できることがあったんじゃないかと、終わってから少し反省した。
今回ペアになった方が、まさかのご縁で最初スナックで出会い、その後施術を受けにきてくれた税理士さんで、今日で3回目だった。お互いびっくりしていたが、すごく明るい方でやりやすかった。
今までは一方通行のキャリアセミナーだったが、相手の話を引き出したりというコミュニケーションが生まれる形だったので、実際のセミナーの時は税理士さんの人生の転機などを聞けて、僕が一番勉強になったかもしれない。

中卒で、高校中退で、土木から人生を変えようと税理士を目指して実現したという、サクセスストーリーで、その過去を感じさせないくらいの今で、かっこいいなと思った。たまたま最初に人生を変えようと、手に取ったのが簿記の本で、そのまま税理士になったと。
こういう時に、いつも疑問に思うことがあって、今の道が自分に合っているのか合っていないのか。方向転換をすべきかすべきでないか、迷うタイミングって人生で何度もある。その場合の目安ってなんだろう、って思った。僕はこの問いに対しては感覚になってしまっているような気がする。感覚は他者と共有できない。だからこそ、聞いてみたくなった。

税理士さんは6000時間勉強して、結果出なかったらやめる、という明確な定義を出してくれて、すごく分かりやすかった。聞いてた学生さんもだろうけど、僕もこれからの参考になった。

この話もあって、しっかり経営をしようと思った。そういえば、最近、経営についての勉強、全然してない。ていうか、そもそもまともに自分でしてないかも。そう思ってKindleでうちの店と合いそうな経営の本を買った。

護摩観想法を修する。線香の煙の流れに目がいって、空気の動きが無いと閃光の煙に変化は出ないんだよな、と思って、そう考えると不変的なものなんてこの世に本当になくて、絶えず変化している、ということを感じた。それが空の世界であり、では変化する働きは何によるものなのか、を考えたら、これが神とか仏の世界なのではないか、と思った。
唱え方で煙の立ち上がり方が変わる。僕の唱えた真言に感応するように感じた。僕の心の波によって、声によって変わる。ということは、身口意の口と意もこの世に変化をもたらす程の力があるということ。だから加持祈祷は距離も時間も関係ない、ということなんだろうと思った。身口意が一致した時に効果が出ないはずがないことをなんとなくだけど体感できた気がする。

午前中にお茶を飲み過ぎて、夜は右の頭が痛くて眠れなかった。カフェインのせいもあるだろうけど、利尿作用働き過ぎて水不足なのもあるだろう。ずーっと浅い睡眠だった。睡眠障害を抱えている人の気持ちになんとなくなった気がする。

9/4(水)亢宿(親宿)夫妻位:女宮

朝起きて、下唇の真ん中にヘルペスができていた。ヘルペスができる時は大抵身体が弱っている時である。今日は予約もまるで入ってなかったので、右の頭の緊張が抜けてないこともあって、顔周りの施術をやってもらえるようなお店に行ってみようと思った。
タイ古式とかコルギとか、受けたことのない施術もいずれは受けてみたい。ただ、いいなと思ってホットペッパービューティーで見たお店は、女性専用が多くて、男性には狭き門であった。
そして量が多いので、また何が良いかも分からず、調べるのも面倒になって、なんとなく良さげなお店に当日予約をした。

12:30に予約してたので、お店に向かう。駐車場の兼ね合いもあって到着がギリギリになった。入り口が分かりづらく、間違ってないか少し不安になったけど、うちの店もこんな感じなのかな、と思ったりした。
階段を上がって、お店のドアを開けたら、中は意外と奥行きがあって、外の階段からは考えられない内装だった。暗めな店内で、いかにもリラクゼーション店というような感じだった。
施術部屋に案内いただいてからは、僕が思ってた内容とは違くて、全身のリラクゼーションだったので、しっかり文面を読んでない僕が悪いと思った。てっきり肩周りから上だけだと思って予約してしまったが、これも勉強だと思い、そのまま施術してもらった。
そしたら、まさかの昔、カレーのワークショップをやった時に参加してくれた方が、セラピストの方で、ヒミツキチの佐山さんですか?と聞かれて、やっと気づいた。もう2年も前だったし、1回だけの面識だったのに、覚えていてくださったことが嬉しかった。今はお店の名前変えたんです、なんて言いながら、丁寧に施術してもらった。
こうやって他者の施術を受けることで、手先では何を考えてやっているのかな、とか、何をターゲットにしているのかな、とか、自分の体の痛みや柔らかさを客観的に自覚したり、と面白かった。
昨晩、安眠できてないこともあって、終盤は夢の世界と現実の境にいた。
終わったら、顔が思いのほかツヤツヤのツルツルになっていて、めちゃくちゃ綺麗になっていたので、写真撮影とかそういう時の前にやっておいた方がいいかもしれないと思った。保湿って大切。普段の僕は保湿不足だな、とも思った。
痛いところがなかったし、施術してても普段硬い人ばかりなのでやりやすかったです、とお褒めの言葉をいただき、普段の身体への行いはしっかり結果出てるんだな、と嬉しくなった。

その後は少し時間があったので、お気に入りのカフェに行った。浅煎りのコーヒーとマンゴーのムースケーキを頼んだ。軽く読書して過ごしてから店に戻ろうと思った。マンゴーのムースケーキがとんでもなく美味くて、感動した。これはまた近々来なければならない。
ただコーヒーを飲む為だったら、家で入れればいいし、読書するだけならどこでも良い。
でも、僕はお気に入りの店には、いつまでも繁栄して欲しいのでお金を落としに行きたい。そして僕もそう思われるような店づくりをしていきたい。

店に戻って宿曜占星術のインスタライブをやって、結局気になってた電球を昨日注文したので取り替えて、なんてことをやってたら一日が終わった。

9/5(木)氐宿(命宿)夫妻位/18:00〜病厄位:女宮

面白いことに、大体僕が何か策を打って行動したくなるタイミングというのが大体にして凶日の日である。
こういう時にこそ閃きが起きて、即行動をしたくなってしまう節がある。今日はそもそも氐宿で新しいことを仕掛けてはいけない日だし、七曜陵逼期間でもあれば僕にとっては命宿の日なので尚更良くない。

11月の仁平先生の施術会の予定を出そうかな、とか、占術施術モニターを募集かけようかなと、とか、新しい投稿スタイルでインスタ変えようかな、とか、そんな気持ちになってしまった。そこはぐっと堪えて、運気が悪い時ほどそういう心持ちになりやすいし、衝動的になるなと思った。焦って始めたことは大抵にして良いことは起こらないので、単純にその行動したい思いに一回寝かせる。寝かせることによってまたアイデアが湧いてきて、洗練されてくることもある。これは占星術を学んでから気をつけていることである。

洗濯をして、店に行く。夏も終わって、これからどんどん寒くなってくるな、と感じた。いつも体のことを考えて、水をお渡しすることをやってきたけど、もうちょっとおもてなし感も出したいな、というのと、今は占いdayもやっているので、それもあって、お茶を淹れたいなと思った。できればゆくゆくはお点前とかできればと思うのだが、道具も含めると難しそうなので、煎茶でも出せるようになりたいな、と思った。そういう店でもいいと思う。
そう思って祖母に余っている急須などはないか連絡したら、色々とあるということで、物置から引っ張り出してくれた。中には曽祖母の使ってたものや祖母が買ったけど使ってないものなどがあって、この古さがそのまま残っているって貴重だな、と思った。汚れているものは一度洗ったり拭いたりして、乾かした。天気がいいうちにやってしまうのがいい。この時期のこの気候だからこそできることをやろうという気持ちになった。道具のお手入れだけで、ここまで色々感じられるって、日常に余白があるからだろうな、とも思った。

昨日は観想法をやらなかったので、今日こそは絶対やろうと思って早めに取り掛かることにした。こういうのはできることなら毎日やらなきゃいけないな、とも思った。
「毎日拝むということは、風呂に入って身を清めるのと同じように、拝むことによって心の塵を落とすのである」という文を読んでから、全くもってその通りだな、と思った。
また今日の観想法も学びあり。真言を唱えているということはすなわち、その仏様のお名前をずっと呼んでいるようなものであるとも思う。名前を呼ばれながらも別のことを考えられていたら失礼な気もするし、悲しい。でもそれを僕らはやりがちなのである。自分がされて嫌なことは仏様にもしてはいけないし、それはそのまま返ってくるのが神仏の世界だろうと思った。他人にしないことを仏様にもしてはいけない。当たり前のようだけど、通り過ぎてしまうその感覚を再度体感した。

半休だった妻が店に遊びに来てくれて、色々と作業を手伝ってくれた。やりたかったけど手につかなかった作業が進んで、僕はほっこりしている。妻だからというのもあるけど、本来人に仕事を頼むってこういう安心感と進んだことによる充実感を感じるんだろうな、と思った。そう考えると去年の僕はほとんどこれを感じたことがない。人を雇用することは適当にしてはいけないなと感じた。

そのまま夕食は外食することにして、パスタが食べたいとの要望だったので、Googleマップで気になってたお店に行くことにした。予約無しで恐る恐る入ってみたが、店主1人でホールと厨房回してるようなお店で一瞬迷惑だったかなと不安になったが、席に通していただいたので妻と顔色を伺いながら、とりあえず注文した。
店主の方は落ち着いた雰囲気で、寡黙な感じだったが、それと似合わないようなサービス内容で、いい意味で期待を裏切られた。また改めて来たいね、という話になり、満足して帰った。

帰りに大根などをスーパーで買って帰宅。ちょっと経営の勉強をしつつも、妻とゲームをして遊んで、満足して寝た。


9/6(金)房宿(栄宿)病厄位:女宮

妻を仙台駅に送らねばならず、いつもよりも早い日がより早い日となった。バタバタと準備を済ませ、家を出る。最近、やたらと夢に猫が出てくることを妻に伝えると、話すと出てくるよ!と脅しをかけてくる。余計に怖い。取り憑かれてるのか、いやはや。

大河原での仕事を終え、蔵王に向かう道中のコンビニの駐車場でzoom鑑定。人に伝えながら、自分の気付きにもなるから面白い。鑑定力をもっと上げたいと思った。

そのまま蔵王に向かい、先生のカフェで昼食。合間に日記を書きながら、過去の振り返りをする。なんだか、思い出す能力が低下している。これは前にもあったけど、あまりいい傾向ではない。体の調子が崩れてきている時の特徴である。ヘルペスの回復も追いついてないし、腸内環境が乱れている気がする。何かを食べたいという気持ちがずっとある。何かに没頭していれば忘れるが…。食べたいと思いながらも、何かを食べてしまうと、胃腸が重くなって食べなきゃ良かったと後悔するような感じ。これも病厄位の運気なのか。

施術会がスタート。
だいぶ深掘りピックアップがスムーズになってきた。集約法のおかげで施術時間が収まるようになってきた。電気の問題の深掘りがまだ甘いので、もっと詳細に深掘りができるように、知識に幅を持たせておかないといけないなと感じた。勉強意欲が湧く。ただ、どこかでこのピックアップの文言が出てきづらくなっているので、これは僕の脳みその問題も感じる。そろそろ師匠の施術を受けた方がいいかもしれない。それこそ、こないだ夢でも師匠の施術を受けなければいけないと思った夢を見た。本来怖くないようなものに対しての恐怖を夢の中で感じて、もう仁平先生の施術受けなきゃいけないか…と思って起きたという夢である。11月に仙台に来る前に、受けに行く必要はありそうだ。

最後に施術したお客さんから聞いた話がすごく印象的で。上と下でお子さんがいるのだが、上の子が「悪いことを思っちゃった、これってダメなことだよね」と落ち込んでいた、という話だった。言葉にするのは良くない、というのはあるが、今の時代は思ってもいけない、という世の中の教育や常識になってしまっていることが恐ろしいなと思った。そんなお子さんから、親であるお客さんもそういったマイナスなことを思わないようにしようと思うようになってフラストレーションが溜まっている、ということが身体の不調の原因になっていた。
大人にとっても子供にとっても、呪縛でしかない。
そもそもこのマイナスな感情が湧いてきてしまうことは仕方のないことであり、仏教的な覚りというのは、その感情に執着しない・されないことである。思ったとしてもいつまでも引きずらないことである。そうやってそのまま未消化のまま、抑圧してしまえば身体にとって毒にしかならない。それこそ囚われたままになる。それも長い年月、ダメージが残る。

感情との向き合い方は、感じてしまうことを悪とするのではなく、左右されないようにすることが大事なのである。それを対処的に教育してしまったり、常識化するのはいかがなものなのだろうか?益々、病む人を増やしてしまう原因となる。自分の人生を生きれなくなる。そんな世の中にしてはいけないし、僕はご縁ある方全員に伝えていきたい。

先生の施術が終わってからも、話をしていたらあっという間に時間が過ぎて、23:30頃になってしまっていた。そこから帰ったら日付はもちろん変わっていて、家に着いたのは0:40頃だった。
何度も途中危なかったので、これからは早めに帰るように努めようと思う。さすがに山の夜道は助けが来ないので事故ったら終わりだ。怖い。そして死にたくない。MINIも守りたい。

9/7(土)心宿(衰宿)病厄位:女宮

久々に店での施術が入っているように感じる日だった。うまいこと均等に予約が入っていて、1日中ザ・仕事って感じで嬉しかった。とはいっても昨日も1日中仕事仕事仕事みたいな日だったが、自分の店で仕事できるのは一番嬉しく感じる。来ていただけることが、とにかく嬉しい。

昨晩遅かったこともあって、朝は眠気が凄くてもう少し寝たい、あと1時間だけでも…という気持ちだったがそういうわけにもいかず、自分の身体に喝を入れてなんとか起きた。胃腸の疲れも感じていたし、日中お腹が空いても食べられないだろうから、朝しっかり食べておこうと思って、大根おろし味噌混ぜご飯と残ってた生姜スープ、小松菜を茹でたものを食べた。大根おろしのかさ増しで、途中お腹いっぱいだった。本当に食べられなくなったな、と感じる。そして小松菜、好き。

店について、大家である祖母に門のところに表札のような看板を設置していいか交渉。祖母だけでは判断できないと言われ、めんどくさって思ってしまったが、そのまま母に確認すると言われ、じゃあ分かったら教えてーなんていって、店に戻る。掃除をしてたら祖母から電話がきて、やっぱりダメだと、申し訳なさそうに濁して言ってくるが、母が電話の後ろでキンキン騒いでいるので、直接話した方が早いと思って代わってもらった。僕の実の母であるが、母は僕のことを気に入らないし、基本的に自分が全て正しいと思っているので、思い通りにならなかった個体の僕のことは全否定である。なので今回もまず否定から入る。ダメならダメで別の手を考えるしかないので、ダメな理由は私怨なのか、それとも形なのか、場所の問題なのか、都合が悪いのかはっきりしてくれと言って、なんだかワーワー言ってたが、妥協できそうなところで落ち着いて電話を切った。何がそんなに僕のことが気に入らないのか未だによく分からないが、やっぱり実家とは今後とも仲良くできないな、と思った。
その後も、なんか母と関わってしまったことで、恐怖感がずっと僕の中にあって気持ち悪かった。勝手に恐怖を増大させている僕がいる。もうそんなことに囚われたくないのにな、と思うが、これも僕の業である。母を変えることは一生できない。そしてもう変わらないであろう。

今日の施術も電気的な問題が出る人が多く、この傾向は一体なんなんだろうと思った。やはり電気の質問項目を増やして解像度を上げていかなければならない。しかし、これは時期的なものなのか、何なのか。探究の余地がありそうだ。

この日の一番最後は、僕が独立する前からのお客さんで、現在はプロを目指しているアスリートだった。大事な試験が近づくにつれてのメンタルの不安定さはアスリートにとっては避けては通れない道であって、特に身体が資本であるからこそ、一般の人よりも身体と向き合う時間が長く、それだけパフォーマンスも高い。
元々アスリート専門で診ていきたくて独立したのだが、一般の方も診るようになって、より思うのが、アスリートだから健康、ではないということだった。悩みは違えど、環境は違えど、身体を動かすというところでは一般の人と違うだけで、心や思考の悩みは皆共通してあるし、メンタルが強くない人だってアスリートにはいる。一般の人であってもメンタルが異常に強い人だっているし、そう考えると心の悩みというのは身体を鍛えているから大丈夫、ということでもないということだ。そういう点で見ると、アスリートだから・一般人だから、ということで対応が変わるわけでもなく、そこにいるのは一人の悩みを抱えたクライアント、ということなのだ。
だから僕は相手がアスリートだからって贔屓はしないし、対応も変えない。媚びも売らない。だって同じ人間であることは変わりないから。発信の幅は違うかもしれない。でも、来てくれる人が本当に良いと思って宣伝したいと思ってもらえる店じゃないのであれば僕の力不足だし、無理に宣伝してもらわなくていいと思っている。このスタンスで僕は一生経営し続けたい。


9/8(日)尾宿(安宿)遷移位:女宮

先月から始めた月1のイベント、占いdayの日。事前にオンラインサロンで知り合ったお友達から行きますとの連絡を受けてたので終日閑古鳥が鳴くことは避けられている。そもそも知り合いやうちに興味を持ってくれている人にしか認知されていないので、このイベントで繁盛することは難しいだろうけど、口コミで広がって少し敷居が下がればいいなと思う。
とりあえず1年くらいは続けてみようと思う。

いつも通り開店準備をして、占星術の勉強をしながらフリー来店を待つ。11:00手前くらいに友人が来てくれて、差し入れまで持ってきてくれた。どうやら僕のLINEの配信が差し入れを催促するような文面だったようで、そこは失敗したな、と思った。近所にあるお店も地域で繁栄してくれればいいな、くらいのノリで書いたので、語弊があったようで反省である。今後は変なことを書かないようにしよう。文章というのは難しい。

いつもの鑑定セッションは事前情報をいただいての鑑定なので、準備ができ時間をかけられるので気付いたことをじっくり観ていくことができるのだが、このイベントでは即興なので特に直観力を鍛える要素が大きい。正直、このイベントは僕の練磨の為なのである。

正直当たっているか当たっていないかは、どうでも良い。というより、そういうスタンスでやってしまうと相手の様子を伺うような鑑定になってしまう。そこに疑心暗鬼が生まれてしまうと直観力が落ちる。当たっているか当たっていないかは、クライアントが分かれば良い話なので、クライアントの反応を元に象意の幅を広げることを大事にする。
とは言っても、当たっている、というリアクションが返ってくると嬉しいもので、喜んでいただけるのが何よりである。

ちょうどその後も、いつもインスタをいいねしてくれるご夫婦が来てくれて、最初の頃の鑑定を募集した時に受けていただいていたので、今回はしっかりと、前回お伝えしてなかった部分や運気の流れなどをお伝えした。

こうして僕も日記につけているが、これは自分の運気をチェックするものでもあるが、運気の傾向や象意の勉強でもある。なんかこういう時って動きたくなるよね、とか、不安になりやすいよね、みたいな。やっぱりそういう傾向があって、自分にとっての破門の日ほど、新しいことをやろう!とか、アイデアが湧いてきて行動をしたくなる。日が悪い時、自分にとっての周期が悪い時もそういう傾向があるし、無理に行動を起こして後々それが悩みの原因となる。
とはいってもまだまだアバウトにしか活用できていないが、運気の流れに逆らわないことでもう少し悩みが減るのであれば、詳細に活用してみてもいいかな、と他者を鑑定して思える。ガチガチに固められるのが嫌なのと、そんなこと考えてたら何もできなくなるじゃないか、と見て見ぬふりをしている節も実際ある。ここは社会性と運気のバランスであろう。

そのお客さんが帰られてからは、ゆったりとした時間が流れて、僕もやりたかったことが進み、気付いたら閉店の時間になった。
護摩観想法を修して帰宅。久々に妻の作った料理を食べて、もう僕に慣れ親しんだ味になっていて、安心感を得た。常日頃食べる食事が、自分の身体を安心させるものであって欲しいし、整うものであって欲しい。これが家の食事だよな、と思った。

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