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8/5(月)〜8/11(日)お坊さん整体師の日記



8/5(月) 翼宿(成宿)男女位 / 6:00〜憧僕位:獅子宮

耳栓をし始めてからの熟睡具合が充実した分、左顎の痛みは未だにある。なんだか少し楽になってきた気もする。どうだろう。
最近やらなければいけないことに追われている。1つ1つは全然大したことがないが、着手するにも凄くスタミナを使う感じがある。ちょっとおかしい気がする。

11:00からピラティスの予約が入っているので、最低1時間前には店に行きたいのと、10:00〜の予約もなかったので、そのまま家で雑務に取り掛かった。あっという間に時間が過ぎて、思うような進捗じゃないまま店に向かって、店の開店作業に移る。1時間は前に着いていないと、冷房が間に合わない。

いざお客さんが来られると、元気が出る。多分アドレナリンな気がする。帰られた後は急に孤独感を感じる。なんだか最近、不安感が消えない。8月に入ってから、なんだかそんな日が続いている。夏バテなのかな、と思ったけど、最近極端な食事を見直して、体重も少し戻り、尚更普段は冷房のかかった部屋で極端な体温調整が必要な環境にさらされているわけでもない。栄養が足りていないわけでもないし、運動量が少ないのかな、とでも思った。

その後、当日予約でお客さんが来てくれたので、なんだか救われた気がする。全然予約が入ってないので、入ってない時間は仏様拝んだり、まだ読めてないお経あげたいなと思っているのに、全然着手するやる気が出ない。こうやって強制力が働かないと動けないのは、7月半ばまで調子が良かったのに、不思議である。みずき先輩との会話も最近できない気がしていた。感情の起伏に左右されている自分がいる。

そういえば前からお手製ホワイトボードを改造したいと思っていて3ヶ月くらい放置してしまっていたのを、ようやく着工し始めた。立った状態で使いたいと思っていて、カインズホームで大きいのを3枚も買ってきて使っていたので、新しく10,000円以上もかけて買うのもな…と思って、溜め込んだ廃材を使って作ることにした。耐久性の問題と安全性を考えるとホワイトボードを縦で使うんじゃなくて、発想を転換させて横に上下に並べるのはどうか?と考えつき、一旦既存のホワイトボードは解体した。
僕のストレス発散方法は創作である。実際に身体を動かさないとダメな気がして、溜まった事務作業はほっといて、緊急性もないようなことに着手し始めた。センスのない塗装が塗ってあった廃材はサンダーコーナーをかけてほぼ綺麗にし、買い溜めてあった金具やネジでよく見る一般的なホワイトボードの形を作っていく。これが思った通りに上手くいって、想像以上にいい仕上がりになった。後は空いた時間に、色を塗れば良さそうだ。
一般的に売ってるホワイトボードは、鉄製なのでどうしてもうちの店では浮いてしまうこともあって、カインズホームで買った立ちもしないホワイトボードにキャスターをつけて使っていたけど、廃材を使ったことによって木製ベースのホワイトボードができたので、いい感じで馴染む。制作費でいえば3,000円くらいでできたので、無駄にせずに済んだ。そんなこんなで気付いたらもう閉店の時間だった。
ただ、製作中もここ最近、全然気にならなかった上手く行かなさでイライラするとか(持ってたネジを落とすとか、コードが絡まるとか)そんなことでイライラするなんて最近の俺らしくない、なぜこんなことでイライラするんだろう、昔の俺だったら分かるけど、なんて思いながら作業していた。

食を慎んでからは確実にイライラすることが減った。妻にも優しくなったね、と言われたほどだったし、自分自身もとても生きやすかった。なのに妻が体調を崩し始めた頃からだろうか?食は変えてないのに、徐々に機嫌の悪さを感じ始めて、不安感とか、イライラとか、力が出ないとか、朝起きれないとか、そういったことが続いてきて、疲労でも溜まっているのかな、スケジュール的にはそんなに詰め込んでないけど、なんでだろうな、とか色々考えてた。そろそろ休まないとダメかもしれないと、ここ一週間くらい思っていたし、休むことへの心配も何故かあった。特に今日は、その心の疲れと身体の疲れがピークだった。
なんとか店を片付けて、仏様を拝んで、帰ることにした。早く帰るつもりが、いつも通りの遅い時間になってしまった。身体が異常な程に重かった。

家に帰ったら、妻が晩ご飯を作って待っていてくれてた。遅くなってごめんね、とテンションを下げないように伝えるので精一杯だった。
「もっと早く帰ってくると思ったのに」と言われて、何か糸のようなものがプツッと切れて、怒りに変わった。怒るようなことじゃないのは頭では分かっているし、妻の気持ちも分かる。なのに、抑えられずに、床に置いた鞄を蹴って「早く帰って来れなくてごめんね」とキレた。
そりゃ妻だって晩ご飯作って待ってたのに、そんな態度されたらキレるであろう。逆ギレされた。またムカついてきたけど、もう椅子から立ち上がる元気も湧かなくて、テーブルについた手で頭を支えるのがやっとで、キレられたことに反論することもできなかった。あ、これ、まずいぞ。妻がキレながらテーブルに晩ご飯を置いてくれた。置いてくれたことに感謝はあったのだが、食べる気力も無かった。でも、食べようと思って、食べた。そう思わないと食べることすらできなくなってた。妻はそりゃなんのことか分からないだろうから、フルシカト。僕は食べ終わったけど、食器を下げることもできず、そのまま座ったまま動けなかった。腕が重い。身体が椅子に沈み込んでいくような感じ。鬱ってこんな感じなのかな、と思った。耳に入ってくる全ての音がうるさく感じる。こうやって聞きたくないものがあると、どんどん聞こえないようにしていく。難聴になるきっかけってこんな感じから始まっていくのかな、とか思ったり。そういえばご飯食べたけど、味わえてたっけ?味してたっけ?頭は動いているけど身体は指一本も動かない。
勝手に涙が出てきた。涙なんてあくび以外で流すことなんて日常で本当に無い。感動して泣くような人間でも無いし、悲しみに暮れて泣くことだって無い。その僕が、勝手に涙が出てくるなんていうことは非日常的過ぎる。その涙を拭く気力も湧かない。鼻水も垂れてきた。なのに拭けない。もうどうにでもなれ状態。普段の僕からすると全く考えられない行動。急に心がポキっと折れた。こうやって鬱になるんだなって、擬似体験してるのかな、と思った。

妻が僕の姿を見て、散々キレてたのに急に心配し出して、そしてちょっとずれているので、さっきの一言で僕をここまで追い詰めたのだと思っているらしく、二度と早く帰ってきてって言わないから泣かないで、と慰めてくれた。頭の中では「そうじゃない、そんなことではない」と思っているのだが、声を出すことすら、首を縦に、横に振ることすらできなかった。妻は諦めて、違う部屋にいった。
泣くだけ泣いたら、少し動けるようになって、ここで当たり前の生活をしないとダメになると思って、嫌々風呂に入った。上がった後は、布団に入った。もう何もできなかった。22時には寝た。いつもは日付が変わる前に寝るので、2時間くらい早くに寝た。
明日の予約は入ってない。夕方の打ち合わせまでなんの予定も無かったので、休養に努めようと思って午前中の予約を締めた。疲れているんだ。腐るほど寝れば改善するかもしれない。

なんとか作った朝食


8/6(火)軫宿(壊宿)憧僕位:獅子宮

昨日早くに寝たからか、朝はいつも通りの起床時間に目が覚めた。よく寝た。少し気分は明るくなっていた。今までの睡眠負債でも溜まってたのかな?と思ったけど、いうてこの2時間くらい多く寝て改善するか?とか思ったり。とりあえず、全快ではないけど日常生活を送れるくらいには、復活した。

鬱々した部分が少しあったので、こういう時ほど、当たり前の生活をしなければ、そのまま堕ちると思った。なので、お粥を作るところから始めた。妻が作ってくれた昨晩の味噌汁を温めた。今日は美味しくいただけた。全身に染み渡る感じだった。ありがたや。食べるって生きることって、こういうことか、と昨日の今日で思った。

食事後は、僕は疲れているんだと思って、仕事から離れようと思った。ゲームでもしようと思って、PS5を起動した。一回忘れようと思った。少し心が、頭が楽になった。
ちょっと仕事に向き合えそうな気がする。いっぱいやろうとするからキツくなるんだ、1日1個だけやり切ろうと思って、それ以外のことはやらんとこ、と思った。なので、施術メモをまとめることにした。いつもは色々着手し過ぎている。だから終わらないものがどんどん増えて、自分のストレスを作っているんだ、と思った。そう思ったら心が少し楽になった。鬱ではないと思うけど、こうやって心病んでいくんだな、と気持ちが少し理解できたのかな、と思う。

午後は店に行った。予約はないけど、一応開店作業をする。宿のインスタライブくらいはやろうと思って、昨日作ったホワイトボードを早速使うことにした。こういうのは旬な時にやるのがいい。重い腰を持ち上げるように準備を始めた。アップしたインスタライブを見たら、めちゃくちゃテンション低過ぎて、ゾッとした。これが俺なのか…?と。むしろこっちが本当…?とか変な思考がよぎった。

また施術メモをまとめる。膨大な量を放置しているので、時間がかかる。しばらく終わらなそうだ。

ここでふと、思った。

これ、邪気じゃない?
被ってないか?

急に頭をよぎった。メモをまとめていただけ。なのに、ふと気づいてしまった。
自分で筋反射を取ってみる。バッチリ反応出た。
なんの邪気だろう。施術時間オーバーによる対価の差異によるものだった。
むしろ施術メモをまとめてたから気付いたのかもしれない。

最近、施術方法を変えたこともあって、知識と技術が追いついていないことと、慣れていない事による施術時間オーバーが多かった。1ヶ月前からちょこちょこ超えることがあって、後ろも予約入ってないから、お客さんの時間が大丈夫であるのなら、そのままやれるところまでやってしまえ、と1時間オーバーとかそういったことが続いていた。相手の時間を僕の技術の至らなさで奪ってしまっていることもあるけど、一応うちで設定している施術メニューに対する料金がある。奪ってしまっているので、追加料金は貰わないようにしてたけど、さすがにお互いに良くないよな、とは思っていた。
僕の勉強不足が招いたことなので、自業自得であるしメニューの設定も、自分を守れない設定であることも重なっていた。
それに気付いた、理解した瞬間に、憑き物が取れたかのように鬱々した気分がほぼ消えてしまった。完全にこれだわ…、もうこれは気をつけないと…、と未来のことが突然考えられるようになった。ちょっと先の未来までしか見えなかったさっきまでと全然違う。被っているということを、身をもって体験した。
お金って命なんだな、と。お互いの命を守るためにも、僕がしっかり店の環境設定から施術構築まで見直さなければいけないと本当に思った。毎日、拝んでるから大丈夫かなと思って自分を過信したことも要因としてあるだろう。とても勉強になった。
一歩間違えてたらやばかった。お坊さんだから邪気被らないとかそんなことはなくて、術式にミスがあればそれは被るよな、と。心底反省。
そして師匠に確認。確信を得たい部分がある。返信は無い。

宅トレの配信日だったので、ピラティスの基礎を中心に行なった。個人的にはいい回になったと思っている。晴れやかな気分で店を出た。
帰宅して僕の様子を妻が心配していたが、すっかり良くなってしまったので、そんなあっさり変わるの?と驚いていた。

スタミナも回復し、施術メモも一旦まとめ終わり、ゲームして寝た。
まだ、残った邪気がある気がするがおおかたとれた。8〜9割は消化された。気がする。最近しようにもできなかった夜更かしを、久々にした。

8/7(水)角宿(友宿)憧僕位/12:00〜夫妻位:獅子宮

ずっとこの疲労感があったのはいつからだろうと思い返したら、多分2〜3週間前からであろう。耳栓を買った頃にはもう疲れてた気がする。耳栓が届いたのは7/29だからそれより前から感じていた疲労感。あとは心の余裕の無さ。憑かれていたが正しいかもしれない。それが夜更かししたダメージを感じるだけで、不思議と今までのような疲労感を感じていなかった。
とんでもなくスッキリってわけではもちろん、まだ無いので、なんとなく残り香みたいなものを感じる。そんな理解しただけでここまで変わるかいな、と疑いつつ、師匠からの返信は無いので、それまでは思い込みかもしれない点も考慮しておく。

ここ最近ずっと疲れていて、早く自分の為の息抜きになる時間が欲しいと思って待ちに待っていた茶道の稽古が、9:30から入っていた。前回から間が空いてしまっているので、だいぶ忘れていることも多く、先生がグループにアップしてくれている動画を観て復習し、教室に向かう。にしても、全然頭に入ってこない。

仙台駅まで行って、七夕祭り仕様になっていることに気付く。仙台名物でもある七夕祭りは今日で真ん中の日を迎えていた。朝だったこともあって、まだ混み合ってなかったが、そもそも七夕祭りによって視界が遮られるので人がいようがいなかろうが、歩行障害であることは変わりない。むしろ飾りを見るために急に立ち止まる人がいて、普通に生活してる側の人間からすると危なかっかしくて、益々七夕祭りの時期に仙台駅まで来るのはやめよう、という気持ちになる。昔は祭りと言ったら俺だろう、と思うくらいに、騒ぐようなことが好きだった数年があったが、今じゃもうカケラにも思わない。歳かな。

お稽古では、前回の復習から、新しいお作法を教えてもらい、何度も同じことを繰り返す。その度に、意識しなきゃいけないことが抜けてしまって、ここまで丁寧に体を操作する機会って日常でいかに無いかってことだと思った。一つ一つの所作にイキを通す。これは密教においても同じだし、武術においても同じだし、術や道というものにおいて基礎であり、究極だな、と。だから繰り返し繰り返し、当たり前のレベルで、無意識下でできるようになるまで、量をこなす以外に道はないのだな、と思った。そして、今までやってきたことが繋がっていく感じがして、嬉しくなった。(嬉しくなれたのも嬉しい、今週から一度も感じれなかった。)
ただ、どこか集中できない自分もいて、これは良くないなーと思ってた。

終わって店に戻る。とにかく暑い。
ポストには予約注文していた、1年に一度の楽しみにしている実在するお坊さんを元にした漫画が届いており、早速読んだ。

天台宗系なので、真言系の僕から見ると、考えが違かったり、新鮮な内容だったりと、多分そういったことに詳しくない一般読者であれば気にならないようなところなのだが、全てを鵜呑みにして参考にすることが術式的な問題でできないが、考え方としてはとても参考になる漫画で、勉強させていただいている。なんと言っても漫画なのが読みやすくてありがたい。

そんなこんなでそういえば師匠から返信が来てて、症状を伝えたら、しっかり被ってる、ということが判明し、被っていることを理解した時に消化されたことも、理論上正しいということも判明し、思い込みかなと思っていたものが確信に変わり、大変だったけど本当にいい勉強になった。
こういうのは気にしないし、そもそも敏感に分かるタイプでないので、結果ここまでに至ってしまったのだが、気にしすぎないことも大事だが、気にしなさすぎも凶、とのお言葉を貰い、これって塩梅が難しいよなあ、と思った。
ただ、身をもって実感・体感しなければ分からないタイプでもあるので結果オーライ。全てがどうでも良くなるあの無気力感は人生で味わったことのない感覚。ふと、精神科が頭をよぎったもんね。

ここ最近、食の慎み故に体重が落ちすぎて筋肉も落ちてたことも原因の一つ。確かに最近、施術ベッドがやたら重たく感じる程に筋力が落ちてた。物理的に身体を強くすることも被らないようにするために大事なこと、と言われ、それは本当にそうであった…と思って、仁平スクワットを500回やった。おかげで脚ガクガク。汗はボタボタ垂れてくるし、しまいには咳や鼻水まで出てきたから、相当邪気出たと思う。五体投地もした方がいいなと思ったけど、もうさすがに無理だった。
サイドプランクを30秒×3セットずつやって、こういう基礎トレしっかりやろうと心に決め、そのあとは不動明王加持と一段護摩を観想で修した。護摩100座とにかくやろう。
その後は、ふらふらになりながらも帰宅。明日はお寺で修行勉強会の日なので、準備をして早く寝ることにした。


8/8(木)亢宿(親宿)夫妻位:獅子宮

7時から朝のお勤めが始まるので最低でも6時には家を出なければいけない。なので、早起きしなきゃと思っていたら4:45頃に目が覚めた。このまま寝てしまうと、逆に起きるのが辛くなる。割とスッキリとした目覚めだったのでそのまま起きることにした。
前日のうちに準備は済ませておいたので、作務衣に着替え、妻を起こさないようにそっと5時には家を出た。

早起きは三文の徳、とはこのことか。と思ったような清々しい朝であり、まだ人が動いていない澄んだ空気は気持ち良かった。そして日が徐々に昇っていく感じがまた美しく、たまには早起きも悪くないな、と思った。多分夏限定。冬はとにかく寒いし暗いので、そんなこと思わないんだろうなと思い、夏の朝、好きだな、と思いながらお寺に向かった。
茂庭の辺りを過ぎてくると山・森・木がどんどん増えてきて、モヤモヤずっと胸の中にいた感覚が、自然の美しさや大きな生命力を感じた瞬間に、どうでも良くなった。
ネガティブなことがあった時に、人は楽しいことをしようとして忘れようとする。そんな足し算引き算のようなことで解決するような簡単なことではなくて、ネガティブなことはネガティブなこと、楽しかったポジティブなことはポジティブなこと、それぞれ別なのである。なのでプラスとかマイナスではなく、ゼロに戻す、いわば中庸に戻るということなんだろうが、そこに戻るためには足しても引いてもダメで「どうでも良くなる」が大事なのだと、思った。
この「どうでも良くなる」は投げやりなどうでも良くなる、ではなく、自分の力が及ばないことを体感・理解すること。それが僕にとっては山とか木なんだろうなと思った。

お寺は少し山の上なので、仙台と比べたら涼しかった。が、衣を着たらそんなことは全然無かった。
朝のお勤めを終え、作務に入る。角という角に蜘蛛の巣が張ってて、今年は本当に多いなと感じながらお堂を掃除した。
うちの店も、今年は例年よりも蜘蛛の巣が張りやすく、異常気象具合を感じる。こんなに暑いと虫も湧かないのではと思ったが、人間と同じように耐性はついてきているのだと思う。
蜘蛛の巣をしっかり撃退しながら、和尚が普段手が届かないところであろうところまでやろうと念入りにやった。
朝食をいただいた後も、まだ掃除が終わっておらずその後も1時間ほどやったが、キリがないので勉強会の方を始めよう、とお声がけいただき、10:00過ぎに勉強会がスタートした。

今回は、卒塔婆の書き方について。今では印刷や、それこそ卒塔婆の上に紙を貼って板は使い回し、であったり、そもそも卒塔婆を頼まれることが減っているという。葬儀がどんどん縮小化していってて、削れるところは削るスタイルになっているのが事実であるが、それはなぜ必要かの説明をきちんとできていないからであろうとのことであった。
僕は和尚から以前に、卒塔婆とは故人様に向けて書くお手紙のようなもんだ、と聞かされていた。なるほどと思ったものだ。
なので和尚は手書きで卒塔婆を書くことをこだわっている。今時珍しい。
卒塔婆の理由を説明してしまうと、とんでも長くなるのでここでは割愛。

午後は8/15の施餓鬼法要の為の卒塔婆を書き、開眼供養をした。開眼だけでやるのは今回が初。とてもいい機会になった。
この日の勉強会はここで終了し、たくさんの野菜を貰い、帰宅した。ゲームしまくって、寝た。


8/9(金)氐宿(命宿)夫妻位/18:00〜病厄位:獅子宮

金曜日は少し早い朝。昨日、妻は飲み会だったので3時頃に帰宅したらしい。なのでまだ3.4時間しか経ってないので、バリバリ酒が残っている頃だろう。
いつもの金曜日の、いつも通りの時間に家を出て、大河原に向かった。そろそろ出張用の施術ベッドの皮がボロボロになってきた。替え時かもしれない。店の施術ベッドの1つと替えるか考えたが、店のやつは重い。出張用として適さない重さなので、持ち運びを楽にする為のキャスターをつけるか、軽い物を購入するかどうするかが悩ましいところである。

午前中に3件の施術を終え、午後は蔵王に向かう。先生のカフェで昼食をとり、施術会の準備をする。
先日にやったスクワット500回の筋肉痛ダメージが深く残っていて、昨日より今日がピークできつかった。施術ベッドを車から下ろして運ぶ行為で膝が言うことを聞かないので、本当に変な歩き方でうめきながら運搬した。
施術中の膝を曲げる動作やしゃがむ動作でポーカーフェイスを保ちながら、できる限りいつも通り動くのは、我ながらに頑張ったと思う。

最後は先生の施術だった。先生には保育園児のお子さんがいるが、もうすでに英語の勉強をしている。僕の時は小学校でALTの先生が来て、英語に触れるということはあったが、もうすでにそのレベルの勉強を小学校に入る前にやっている。本格的に英語を勉強し始めたのなんて、中学に入った時くらいだったのに、今じゃどんどん早くなっている。時代は変わりましたね、なんて言ってたら、僕の方に勉強しているお子さんが来て、英語のカードで僕の頭を叩いた。施術中だった僕は、叩かれるがままになってしまったのだが「え?なんで?」とムカついてきた。何か不快なこと言ったならまだ分かるが、脈絡が全然分からない。気分で、なんとなく叩いた、みたいなことだったらキレようと思った。いくら子供とて、もう自分で立って歩いて、自分の意思を言語で伝えられるようになっていたならば、それは子供だからしょうがないね、で済ませてはいけないこともある。言わなきゃいけないことはあると思って何故かを聞いたら、どうやら僕が中学から英語を勉強し始めたことに嫌な気持ちになった、と。この時点でもよく分からないのだが、嫌だと思うのはその人の解釈であるので、人によって嫌だと思うポイントは違うのだから、言えただけでも良しとしようと思った。理由も無しに、だったら僕はキレていたと思う。
そもそも勉強道具は人を叩くものではありません、と先生に怒られて、僕も追従するかのように、勉強ができるということは裕福な証であるのだから、こうやって道具を与えられることにも感謝をしないといけないよ、と伝えた。僕の発言がどこまで影響するか分からないが、この年代でも言われたことって意外と根深くなってしまうこともあり、言葉って呪いだよな、と思った。勉強を押し付けられているならまだしも、自分でやりたいと言ったことなんだから、それは自分の発言に責任を持つという意味でも、大事なことだと思う。筋は通す、これはどの年代でも大事。
それを踏まえて、僕に言わなきゃいけないことがあるよね?と言うまで、叩いたことの謝罪が無かったので、もうすでにプライドの形成がされているんだな、と思った。子供と関わる、育てるって、毎日は本当に大変だなって思った。

帰って、本を読もうと思ったけど、疲労で無理だった。やりたいことにスタミナが追いつかない。でも、このやりたいことって、やらなきゃいけないこと化してないか?一度考える必要があるよな、と思って寝ることにした。


8/10(土)房宿(栄宿)病厄位:獅子宮

妻と大喧嘩した朝だった。というのも、妻はつまなりに、僕は僕なりに不満が溜まってのことだった。LINEで口論を重ねまくり、ご予約のお客さんが来るまで朝からそれを繰り返した。
ここまで来ると怒りは持続しないが、僕が悪いと思ってないところに関しては謝る気は起きないのもあり、口論は終日続いた。

とは言っても、施術の予約は通常通り入っているので、しっかり時間を守る意識を持ちつつ、守れていないのは何故かを改めて考えたりしていた。そもそも守る気はちゃんとあるのか?俺。と自問自答。ちょっとルーズになっていいかとなってしまってないか?という部分が垣間見えた気もするので、その根底にある思いを深掘りたいと思う。

月に一度の睡眠談義を配信して、拝んで帰ろうと思ったけど、そのスタミナがもう残っておらず、省略して帰ることにした。
もう23:00近かったので、寝るモードに入ろうと、溜まってたページを読み始めた。

今年の初めから毎日1ページ読もうと思って、順調に今まで読み進めてきてたが、ここ最近は1週間分溜め込んでしまっていた。
改めて読んでみると、なるほどというところもあり、また習慣的に良かったのだが、毎朝読んでいたのが廃人期間で遠のいてしまったので、少しでも消化しようと思った。と思ったら読んでる途中で、いびきをかいたことに気付き、そんなに時間は経ってなかったが、寝落ちしてたので布団で寝ることにした。

8/11(日)心宿(衰宿)病厄位:獅子宮

現実と夢の境目が分からなくなるような夢を見た。よく考えれば、その情報は掴んでいるので夢であることは分かるのだが、朝寝起きの時点では半分夢の世界にいたので、思わずネットで検索して確認するくらいだった。こういう夢を見るということは、だいぶ脳の疲労が蓄積してるとも思われる。夢日記を書いてた頃のような感じに近いかもしれない。そろそろ自分で自分を施術する必要がありそうだ。

茶道の予定を入れていたので、朝、店に寄って冷房をつけてから、教室に向かった。今回は稽古というより、座学。茶道とは何かを理解しないままに稽古だけ詰め込むのも勿体無いと思って、教室で開いてる入り口編に参加している。事相、教相、どちらもバランスなんだよな。
侘び寂びは概念とか、先人が今の現状を見たらどう思うのか、とかを考えるって、その視点で伝統や文化を観るって大事だよな、と思い、いいインスピレーションをいただきまして、店に戻る。

冷房を入れて準備していたのは英断であった。最初のお客さんの準備をして、施術の方式をおさらいする。改めて、過去の勉強内容を振り返るタイミングに来たような気がする。天才じゃないから一回見ただけじゃ覚えられないこともあるけど、覚えたら忘れるくらいがちょうどいいっていう師匠の言葉も思い出し、塩梅って難しいなって思った。
適圧、適量、適切、塩梅。
要するにゼロがちょうど良いということだから、これが空の世界でもあり、中庸でもあり、バランスがとれている状態とか、いろんな表現的に同じこと言ってるのかな、とか思ったり。

夜は小学校からの友人と久々にご飯を食べに行き、時事ネタについて話した。芸人とか、オリンピックのアスリートとか、メディアで取り上げられているけど、そもそもこの人達に、我々一般ピーポーの考えを押し付けること自体がおかしいよねって話をした。芸人なんて、全部ネタにする職業だし、アスリートなんてそのスポーツしかやってきてないんだから、綺麗なコメント残すような教養を学ぶ時間なんて割いてる暇なんてないよね、と。
その道のプロのバックグラウンドも想像できない一般人が、なぜその表面的な報道だけで思考できるのか、自分たちの愚かさを晒しているとしか思えないので、そもそもその様々なコメントに共感することもできなければ、そもそも僕は興味すら湧かないので実際オリンピックも見ていない。
ただ、こうやって僕が普段触れないような話題を見ている友達がいて、そういったことで話していると、狭い世界で生き過ぎてしまうことを防げるので様々な価値観や異業種と言われる人と交流することは大事だなと思った機会だった。

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佐山空汎@お坊さん整体師
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