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8/19(月)〜8/25(日)お坊さん整体師の日記
8/19(月)壁宿(栄宿)禍害位:女宮
夜行バスに乗って、朝、仙台に到着。長時間座っていたことによるお尻の痛みは、あまり寝なかったことによって途中で姿勢をこまめに変えていたこともあってかなり軽減されていた。特に朝方になってくると眠気が強くなり、バスを降りる頃が一番の眠気のピークだった。
一応と思ってオーラリングで睡眠が取れたことになっているのかチェックしようと思ったが、やはり反映はされていなくて、寝たことになっていなかった。仙台駅から電車で帰宅。荷解きをして風呂に入って寝る。明るくなってきているので、また目覚めのスイッチが入ってしまって最初は眠るのが難しかった。目隠しをして耳栓をして、できる限り、夜眠る時に近い環境設定にする。耳栓はかなり良い。
昼頃に起床。午後は妻の予定に付き合うことになっていたので、そろそろ起きないと、と寝ぼけた身体をなんとか起こした。4時間半程寝たことがオーラリングでも反映されていて、昨晩の夜行バスでは寝たカウントがされていないことがしっかり確認できた。昼寝でも計測してくれるので、本当にオールしたような感じに数値的になっているんだろうな、としみじみ。
ただ、こういうデバイスに頼っていると、数字=体調みたいになってしまって実際は元気なのに数字を見ては、コンディションが悪いかもしれない、みたいな不安の要因にもなるかもしれないな、と思って、この数字と体調という目で見えるものと目に見えないもののバランスをとるというのは非常に難しいと思った。
数字は良くても、体調は優れない、なんてこともあるしね。ぶっちゃけない方が良かったりするのかもしれない。むしろ曖昧性が高いものの方が、幸福度は高かったりする。やっぱりバランスって難しい。無知なまま、こういうのを勧められて、活用するとなると、人は洗脳されたり信者的になっておかしくなり得るとまで思った。だからこそ、学びの姿勢が人生においては重要なんだろうなと思う。
午後は妻の予定に付き合ったのちに、ホルモンを食べたいというご希望の元にホルモン焼肉に行った。僕がいつも経営者の友人や、東京の勉強会などで美味しいものを食べているのが羨ましいと妻から妬まれてしまっているので、この機会に挽回。
仕事から3日間、ほぼしっかり離れたこともあって、いいリフレッシュになったと同時に、暇な8月。このままで大丈夫か?という不安を抱えている。
8/20(火)奎宿(衰宿)禍害位:女宮
今日の予約は1件だけで、日中に商材写真の撮影をお願いしていた。先々月あたりから予約していたのでついに、という感じである。以前いたスタッフが写っている写真をそのままHPで使い続けているが、そろそろHPの内容と写真も変えたいよな、ということで今回撮り直すことにした。
元々モデルを依頼してた高校の同級生との予定が合わなくなり、急遽ゆりしか先生にお願いし(死ぬほど感謝)、いつも撮影をお願いしている殺し屋風カメラマンの阿部和美さんに撮っていただいた。
阿部さんは僕の施術を毎月受けにきてくださっているので、その雰囲気からも読み取って撮影いただけるので大変スムーズに進み、HPのリニューアルも捗りそうだと一安心。
うちのジブリグッズたちもかっこよく撮っていただき、仕上がりがとても楽しみである。
その後は予約が一件しか入ってなかったので、大丈夫か〜?と思いながら、これは今「時間」を与えられているのだから、今のうちにやれることをやろうと思い、来月に控えている睡眠セミナーの資料作りを始めた。施術の予約が入るとこうしたまとまった資料作成の時間は家に帰ってからということになるのだから、できるうちにやっておかねばならない。今が暇だからいいや〜という気持ちで生きてたら、その程度の人生にしかならないぞ、と自分を叱咤激励し、取り掛かる。
こうして作業していながらも、月末から月初にかけての支払いの心配をしてしまう自分がいる。食事開運法に取り組んできたのに、なんだか今の時期調子悪いぞ?という感じ。昨年よりも数字の状態は悪くなっていて、こうやって徐々に悪くなっていったらヤバいなと感じたり、何を間違えているのか気付かないとと思えば、また変な焦りが出てきて、正直焦ったところで何も変わらないし、とか色々考えてしまう。
焦ったところで変わらないという思考になれたことは、ここ最近では貴重なことで、焦れば焦るほどに何か対策を打たなきゃ、という気持ちになりやすく行動に移しやすい。こういう行動は大抵いい結果に繋がらないので一歩立ち止まるということが大事だとようやく学んだ。
そしてこうやって焦っている時ほど、「無い」ものにフォーカスし過ぎて「有る」ものに目を向けなくなってくる。「無い」というものは自分が勝手に作り出しているもので、無いものは正直無いのである。そこに在るのは事実だけで、無いものはただの解釈なのである。それを思い出しては、また「無い」ものに目を向けて作り出してたわ〜と思うと、不安が消えてくる。また浮かんできては、事実と解釈を思い出して不安を消す、ということを繰り返していた。根本的な不安の原因や、「無」にとらわれている原因を特定していくことが大切なのだが、それは自己施術の時間をとる必要がありそうだ。
アマアスリートのピラティスの予約が入ってたので、自分の身体としっかり向き合っていただき、宅トレまで時間があったので、護摩法を観想で修する。百座まで残り九十五座。一座で1時間はかかるので、一日に2〜3回くらいできると本来はいいんだろうけど、なかなかその時間の確保が難しい。なんとか1日一座はやりたい。どこに法具が置いてあるのか、どんな状況なのかを観想していく。初めて始めた時よりは意識ができてきている気もする。こればっかりは継続。そして最近読んだ密教書には、行を修している時の状態を日常でも維持することが行者であると書いてあって、それは施術にも活かせることだし、そのつもりでやらねばならないな、と自分の身を引き締める。
僕は今まで余白を作ることを会社の、整体処でのキャッチコピーにしてきていたので「時間的余白」を作ることを意図的にやろうとしてきた。ブランディングである。もちろん大事なことではあるのだが、それが全てではない。やはり僕は曲がりなりにも行者側の人間なので、24時間、行をする気持ちでいなきゃいけないよなと、怠けていたなと反省した。僕は時間の概念を超越したい。パンパンのスケジュール=時間を埋める、ではなく、やはり密教たる所以として、「時間の密度を高める」ということが重要なんだと思う。僕はここ2年くらい浅く生きていたようにも思えた。
8/21(水)婁宿(安宿)命位:女宮
朝は予約が入ってないので、この時間を活用して、自分と向き合う時間をとってみようと思った。昔は結構、自分の目標設定の時間を確保していたのだが、最近はすっかりやめた。というのも目標が人に見せるためのものになりつつあったし、目標を立てることが目標化してしまい、できない自分へのネガティブな感情が募り募っていくだけになってしまったので、一度離れた。自分に合った距離感、まさに適圧というのは、やってみないことには分からない。型にはまってやってみる。その上でやらないということもやってみる。そうして初めて見えてくるものだったりするのだから、そもそも時間がかかるものだし、最初から答えを求めて生き急いでやるものではないのであろう。
自分と向き合ったことで出てきた自分への問いが「どうして死ぬのに、向上心を持って生きているのか?」ということだった。自分でも思うが、僕は向上心は高い方であると思っている。でも、たくさんのことを学んでも、人は必ず死ぬ。死後の世界はどうなるか分からないが、稼いだお金も体験した記憶も学んだ知識も繋がってきた人間関係も、次の世界に持ち越しはできない。それは僕が前の世界の記憶を引き継いでいないので、はっきりしていることであり、それは次の世界にも適応されるのにも関わらず、なぜ向上心を持って学び続けるのだろうか?という問いである。
パッと出てきたのは「この人生でできる最高の暇潰し」であるということだった。
一言で言えば、もうこれに尽きる。どうせ死ぬなら楽しい方がいいじゃん、結果同じなんだから植物みたいに動かず過ごすことって勿体無いよね、みたいなノリでもある。そう考えると、悩みや苦しみもスパイスの一種である。でも渦中にいて、それしか見えない状態になっていると、早く逃れたいし、奈落の底に落ちていくかのように人生をそれだけに捉えてしまう。
楽しいことも嬉しいことも、悩みや苦しみも、暇潰しのためのスパイスだと思えば、こんなにありがたいことはない。
では、この「最高の暇潰し」をもう一歩踏み込んで考えてみる。どうせ死ぬなら、体験の少ない人生と、体験の多い人生、どちらを選ぶか?という問いに対して、僕は迷わず後者を選ぶ。
反対にどうせ死ぬから何もしない、体験が少ない方を選ぶ人は、言ったら今の人生を諦めてしまっている状態になると思うし、死後(未来)を生きているのと同じだろうと思った。
どうせ死ぬんだから、今やれることやった方がいいじゃんという人は、今という「生」を生きていることになるし、広い意味で「今」をまさに生きているんだよな、と思い、今を生きるという行為は学びでしかないんだという、結果に行き着いた。
すごくいい時間だったように思える。そう考えたら、お金や仕事の悩みはどうでもよくなった。圧倒的な存在の前には、あらゆる悩み苦しみはどうでもよくなる現象。法の世界に近いかもしれない。
午後はソラタロウさんとパスポートを取りに県庁に行ってきた。ついでに茶でもしばこうぜ、ということで。パスポートの申請の時は、とんでもなく待たされたのに、待合室は空いていて、ほんの5分程度で受け取りが終わってしまった。あっけなさを感じた。
その後はカフェでも行きますか、と、僕が前から行きたいと思ってたミーティングハウスに。ソラタロウさんは店からも自宅からも結構近いらしく、何度か行っているようで道案内してくれた。初めてで行ったら迷子になりそうなところにあったので、良かった。アイスコーヒーとアイスが挟んであるサンドを頼んで、仕事の話。ここ2ヶ月くらいのソラタロウさんはとても忙しそうで、従業員のことだったり、お金のことだったりと、なかなかに引きの強い不運が重なって、経営者って大変な仕事だよなって思った。
僕は今、従業員を雇っていないから気が楽だけど、会社としてはこれはこれでダメで、僕が元気なうちしか続かない事業のスタイル。なので、組織としてやっていくことはこういったソラタロウさんのような苦労も受け入れなければいけないんだよな〜、と考えていた。僕は今後、どうしていきたいんだろうか。個人レベルでいいのか、組織として伸ばしていくのか。今は目の前のことをしっかりやっていこうと思ってたけど、いつまでこのままでいくのかは考えなければいけない。同年代の経営者、異業種というところで話せる人がいるのは貴重である。刺激になるし、自分を客観的に見ることができる機会は、僕にとっては「人」が重要なので、大切にしていきたいな、と思った。
結局この日は当日の予約も入らなくて、そのまま帰宅した。流石に不安は多少湧いてくる。でも、経営をしていくっていうことはそういう人生を選んだということだし、ずっと右肩上がりな訳もなく、運気の波と同じように上下したりすることなんて当たり前にある。こういう時に踏ん張れるかどうかが、試されているのだと、思う。そして僕は、行者でもあるのだから、こういう時こそ祈ったり、行をするということが大切なのだと思う。困った時に神頼み、仏頼みなんてダサい、と今までの人生で思い続けてきたけど、こういう時に手を合わせられなくて何が坊主だと思えるようになった。でもこれも本当にここ最近の話。お恥ずかしい。
食材の調達にスーパーに行こうと、仕事から帰ってきた妻と合流し、間違えて入ってしまったサイゼで夕飯を食べた。
お金について語った。お金の価値観って子供の頃から染み付いているから、なかなか変えるのって難しいよね、なんて話。お金で困ったことが無い妻と、お金が無いと言われ続けて育った僕。それが今も影響しているのかな?でも兄と弟は私と同じ環境で育ったのに、貯金できないしお金で困ってるな、だから子供にとって合うお金の教育っていうのがあるのかもね、なんて話した。
最終的に、僕と妻で一致したお金の価値観が「その店が潰れないように、お金を払う」ということだった。
・いいと思ったものにお金を払う
・その店が残り続けるように応援する
特に映画などは分かりやすく、NetflixやAmazon primeなどでちょっと待てば映画館に行かなくても自宅で観れてしまう。この映画を一本撮るのに、とんでもない時間とお金を注いできているし、映画館で観ることを前提として作られた作品なのだから、スマホやTVなどの小さい画面で観るのではなく、映画館で観るのが1番。しかも映画館で2000円とかそんな安い金額で、何億かけて作った作品観させてもらっていいんですか!?あざーっす!!!!!くらいの感じで思っている、と妻と盛り上がった。
サイゼもその例でいうと、安いから行く、というよりこのクオリティでこの価格で頑張っていることも凄いし、あざーっす!!!!いつまでも残って下さい!!!!ということで食べに行く。
新しい体験を得るための通貨だと1、2年前は思っていたが、それにプラスして応援や感謝の意味を込めてお金を払えるようになってきた。
本当にお金がなかった20代前半は、どれだけケチれるかしか考えてなかったし、質より量ばかりをとって自分のことしか考えていないお金の使い方だったようにも思う。お金で困るのは前世ケチだったから、と言われているので、今世では施しの心を持ってお金を渡せるようになりたいと思う。
8/22(木)胃宿(危宿)命位:女宮
朝イチで予約が入っていたので、久々の仕事感があって嬉しかった。しばらく仕事がないと、こんな気持ちになれるのかと、なんとなく懐かしい気持ちになった。人は暇だと病む。やることがあるって幸せなことだし、世の中大半の人が暇だから病んでいるんだと思う。病んでる暇がある、の方が正しいかもしれない。
なんかこの施術でちょっと流れを掴んだ気がして、一歩、施術家として進んだ気がする。ピックアップから施術の流れがスムーズだった。わざわざ複雑化していたのは僕自身だった。
人間落ちるところまで落ちれば、上がるだけなんだな。
死ななければ。
午後は予約管理や9月10月の勉強会のホテルや飛行機の手配をしたりと、事務作業。僕はこの移動の為のホテルをとったり飛行機をとったりということが結構苦手で後回しにしてしまう癖があるのだが、そのせいで安く手配できるものも手配できなくなるので、最近は全力で努力している。
普通に行くより半分くらい安くなって、こういうの見つけるの得意な人っているよなぁ…と思いながら尊敬をした。
こうして時間がある時ほど、拝む。なんとか継続することが大事。密教行者は真言を唱えてナンボという先人の教えを思い出して、取り組む。不思議と部屋に音が反響するように聞こえてくる。そういえば最初、師僧から授かった五鈷杵が馴染んできたようにも思える。念珠と鳴らす時の音が響くようになってきたし、手にも一体感が出てきている。本当、繰り返しやることの大事さを感じるし、こうして取り組むようになってから、感覚に変化が出てきたようにも思える。これが密教の面白さであると僕は思う。
宗教とはなんの縁もない家に生まれ、神や仏を信じない育ちをしてきたのに、不思議なものである。それだけ業が深いということでもあれば、僕がその過去の業を解消するために今世生きているんだろうなとも思う。必要なことは必要なタイミングで起こるようになっている。気がする。
8/23(金)昴宿(成宿)命位 / 6:00〜財帛位:女宮
金曜日なので、早い朝。実は早起きをすることにした。というのも朝の音の無さが優雅な一日をスタートさせてくれるような気がして、6:30に起床することにした。たった30分だけど、なんとなく気持ちが良い。部屋に入ってくる陽の光が淀みのない感じがして良かった。早起きは三文の徳の意味が、この歳にして分かった気がする。若い頃はいくらでも寝れるし、寝たかった。確かに今も眠気は全くないかと言えば、嘘になるが、それより起きている時間の幸福度が上がっているから起きていたいの方が強い。日中ずっと寝ていた自分が懐かしい。それだけ、世の中の面白さに触れてしまったのだろうと思う。
午前中は法人の出張案件だったので、大河原に。その後は店に戻ってきて、夕方に予約が入っていたので準備。なんだか久しぶりに仕事してるな〜って気持ちになる1日。本来、毎日こうでありたいし、こうでなくちゃ経営としてはまずいんだろうが、なんだか最近は仕事したくない気持ちも強くなってしまって、でも仕事は完全に無いのはつまらないと思うし、という複雑な気持ちを抱えていた。僕が望んだようにこの世は変わると思っている。この世の見え方は僕の望んだようにしか見えないのだから、僕が仕事に対してめんどくさい、なんて思ってしまったり、望んでしまえばそれが反映されると思う。というより思っているから、できれば思いたくない。なのに、勝手に湧いてしまうこの仕事したくなさはなんなんだろうと、自分の深層心理と闘っている感じだった。多分これは自分で施術しないといけないやつだろう。
お客さんが来る前に、1時間拝む。丁寧に焦らず。観想もより丁寧に。
前回のメンタルの施術がかなり効果あったようで、かなり調子のいい期間をお過ごしだったということで嬉しかった。メンテナンスとして今回は来られたとのこと。今日の施術のピックアップはもっと改善できたと思うので反省。正直、うまくいったと思えることの方が少ない人生である。こうやって反省して改善してを繰り返していかないと、満足しては成長はない。と言い聞かせながら、ノートに施術の振り返りを記入していく。
お客さんが帰られた後は、まだ近所のドーナツ屋さんが延長して営業しているということだったので、急いで店を閉めて向かった。3個も買ってしまった。もちろん妻へのお土産でもある。
帰ったら、珍しく僕の方が早い帰宅だったので、頑張って料理でもして待ってみようかと思った。いつもは僕の方が遅い帰宅なので、晩ご飯を作っていてくれている。出てくるのって当たり前じゃないし、嬉しいから、今、予約も全然入らなくて仕事らしい仕事ができていない僕ができることってなんだろうと思った時に、晩ご飯を作って待つということだった。
謎にケチャップが2つもあるので、これを使って料理したいな、と思ってケチャップライスを作ることにした。その上に卵を乗せてオムライス風にしたら良いんじゃないかと思って、レシピをググって、準備する。
過去にも一度、貧乏時代にケチャップとご飯しか家になくて、どうやって飯を食うかを考えた時に、ケチャップライスってご飯とケチャップをかき混ぜたやつだよな。と思って、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べたことがある。その時は僕の知っているケチャップライスの味じゃなくて、おかしいな、と思った記憶がある。だってケチャップライスだからケチャップとご飯でできるはずじゃん、と思っていたのだから、単純にかけるだけをやったのだが、ただただ、ケチャップはケチャップ、ご飯はご飯、みたいな分離した味で、想像ととんでもなくかけ離れた味だった。結構、今でもあの味と見た目は記憶に残っている。
レシピをも見てみたら、調理工程のレベルが僕の想像を超えており、ケチャップライスってそもそも玉ねぎ入っているし、ベーコンやらソーセージやら入っているし、バターで味付けされてるし、塩も入っているし、ケチャップライスといえども、色んな工程があったことに驚いた。台所周りに詳しくない僕はベーシックな調味料しか配置が分からず、どこにあるか分からないやつは飛ばした。とりあえず味が薄ければケチャップか塩で誤魔化そう作戦だった。
調理中に妻が帰ってきて、僕が台所に立って料理している姿を見てとんでもなく喜んでくれた。普段やらないからよりレア度が高い。そして、いつも作っても自分のお粥とか油揚げとかしか調理してないから、色のついたものを作っている時点で感動してくれた。こんなリアクションくれたら自己肯定感が上がってしまう。良い妻である。
オムライス風を目指したが、やっぱり卵の扱いは難しく、形は崩れるわ、火が入りすぎちゃうわで、綺麗にはできなかったけど、味にはさほど影響しないので、まあまあの出来だった。僕からしたらかなり成長。
金ローでトトロだったので、DVDはあるが、世の中の人とリアルタイムで観る良さもあるので、それまでに風呂を済ませて、来月の宿曜カレンダーの作成を始めた。トトロのCM中に二十七宿分のカレンダーを作り、養生探究会のメンバー向けページにアップしていく。
トトロが終わってもまだアップが済んでいなかったので、そのまま日付が変わるギリギリまで取り組んだ。おかげでアドレナリン出過ぎて目が冴えてしまっていた。寝れない感じがしたが、こういう時は無理やり寝た方が明日のダメージが少ないことも分かっているので、とにかく布団に入って、目を瞑った。疲れてはいるので、目が冴えているようでも寝れるのである。
8/24(土)畢宿(壊宿)財帛位:女宮
第4週の土日は基本的に東京で師匠の勉強会があるので、朝起きて荷造りを始める。今回は忘れ物がないように気をつけなければいけない。
いつもの新幹線に乗り、溜めてた日記を書かなきゃと思ってiPadを開く。いつもより書き溜めてしまったので、思い出すのでちょっと苦労した。思い出せない時は本を読んだ。もう少しで読み終わりそうなので、そのまま読み切ってしまいたい気持ちと、でも日記も書かないとって感じで、交互に作業した。こうして日記を書いてると、自分の人生を振り返るきっかけってこうでもしないとなかなか無いよな、と思う。最近やめてた目標設定も、そろそろ再開してもいいかもしれない。過去を振り返ることも大切だが、どこに向かって進んでいきたいのかは、明確にしないと現実は変わらないままである。目標を持って人生を歩んでいくこと。大事。
無料で読める漫画アプリで『宇宙兄弟』をじわじわと読んでいる。今読んでいるところがちょうど、月から地球への帰還のタイミングであり、トラブルが発生。宇宙空間を彷徨うことになってしまった主人公が、どうなるんだろうというドキドキ感で、僕はつい先を読みたくなってしまう。買ってしまおうかと悩んだが、ここは衝動に駆られそうなので我慢した。
宇宙空間で何もできない、変わらない景色、誰とも通信できず途絶えた状態での孤独感、そして酸素の残量。死を意識しない訳がなく、このまま誰も助けに来なかったら自分があと数時間で死ぬっていうことが分かってしまっているようなもので、どんな気持ちなんだろう、僕だったらどうするんだろうとか、色々考えた。手も足も動かしてしまうと助けにくる計算が狂ってしまうので、何もできない。叫んだり、ずーっと声を出してしまえば、酸素量はどんどん減る。動かせるのは思考のみ。僕なら、多分、ひたすらに真言を唱えるか、お経を上げるか、声に出さずかもしれないし、とことん音量を下げて呼吸するかのように声に出すかもしれない。こういう窮地に陥った時にこそ信仰というものが役に立つんじゃないか、と思う。宗教がなぜこの世で消えないのかといったら、究極の暇潰しであり、究極の心の支えになり得るからなんだろうなと思った。
上野で降りて浅草に向かう。仁平先生と大政さんと合流して、スパ活。またもや昼からビール。これは寝る。ビールは寝るのよ。
昼ご飯を終え、大政さんとはここで別れ、仁平先生と事務所に向かう。これからセミナーだなんて、僕はまともに話を聞けない確定。だけど、飲んでしまう。このくらいの緩さがちょうど良いのかもしれない。
セミナーの話は話半分くらいで、あとは自宅に戻って振り返り用の動画を観ることにする。いつも難しい話ばかりで頭がパンクしているが、今回のセミナーの内容はいつもより分かりやすい感じで、というのも初めて聞くような単語があまり出てこなかったからだと思う。そして、僕が今読んでる本とも重なる部分もちょっとあって、なんとなく分かりやすかった。とりあえずは、知った。
この本は密教が怪しいとか、非科学的で信用ならん、と思っている人にこそオススメ。とても分かりやすく、密教の加持祈祷、祈りをそれこそ科学的にも説明してくれている。その上で科学の領域を超えたところを踏まえているので、それが良い。納得できる。もはや良すぎて人に勧めたくないくらいである。
セミナー後は、一度ホテルにチェックインを済ませ、少し休息を取って、武術の稽古に向かう。とんでもなく痛い稽古か、痛くは無いけどむちゃくちゃしんどい稽古か、どっちだろうな…と行くの嫌だな、と思いながら、また事務所に向かう。
僕はなんのために武術の稽古に行ってるんだっけ?武術を学ぶことで何かメリットってあるんだっけ?とか色々考えて、昔は道ゆく人全てをぶん殴りたいとか、なんかあった時にボコボコにするためにも強くなりたいとか、常に気が張って生活してたから攻撃的でギラギラしていたけど、今は本当に平和的な気持ちで生きているし、誰かに暴力を振るいたいとか、気に食わないから武力行使したい、なんていう気持ちも湧かない。なのに、武術を学んでいる。昔のオラオラした気持ちを思い出そうにも、すぐ鎮火してしまう。むしろなんで過去の僕はあんなにオラオラしてたんだろう。色々考える。
過去の自分に戻ろうとするのは今を生きてないよな、と思い、武術の目的を改めて考え直す。きつい稽古を乗り越えるモチベーションは僕にとってなんなんだろうか、と考えた時に「大切な人をいざとなった時に守れる力が欲しい」に行き着いた。基本的に逃げるのが正解だとは思っているけど、そうもいかないことだって時にはある。その時の為に、今やる、のであれば、頑張れる気がした。
今回の稽古ではいかに物理学的なのかを知り、尚且つ、今まで避けてきた学校のお勉強に向き合うきっかけとなった。てこの原理に3つあるなんて、風通の学生なら分かると思うが、僕はそこを勘でしか乗り切ってきてないので、てこの原理と言われて、てこの原理…?はて…?となってしまい、生まれて初めて「てこの原理」をしっかり説明してもらい、理解した。これわざわざ稽古の時間にやることじゃないけども、本来。勉強って大事。
8/25(日)觜宿(友宿)財帛位 / 12:00〜兄弟位:女宮
上野の国立博物館で、密教と空海の展示があと少しで終わりということもあり、このタイミングで行かないと間に合わないことを悟り、朝イチで行くことにした。太聖くんも行きたいということで現地集合。開場前だったこともあってたくさんの人でごった返していたが、当日券は全然売っているとネットでも確認してたので、券売機に並ぶ。とにかく暑い。酒を飲んだ次の日の汗は異常なくらい出る。
入場して、太聖くんとなんとか合流し、リュックをコインロッカーに預ける。リュックが汗で湿っている。僕の肩も背中も湿っていて、一度こうしてリュックと離れられたのはありがたかった。
日曜日ということもあり、結構な人の数で展示物を見るのにも一苦労だった。にしても、興味ある展示物が多く、もっとゆっくり見てまわりたいものだった。こうして見てみると、なんとなく書いてある内容が分かったりして、理解度が高まって面白かった。基礎知識があるのと無いのでは、感受の仕方は大きく変わる。師匠がいつも言う、勉強の重要性をつくづく感じた。空海が使ってたという五鈷杵は普段僕が使っているものよりもかなり大きく、そもそも結構重たいものなのに、こんなに大きかったら法要中、腕の筋力持たないのでは…なんて思ったり。
空海を映した画は、もっと見ていたいくらいだった。あれは入っていると思う。
圧巻のサイズ感の曼荼羅も近くで見たり、遠くで見たり。立ち位置を変えてみたりして、圧を感じてみたり。これを制作した人はどんな過程があったんだろうとか、どうしてこの部分はほぼ消えているんだろうとか、色々感じる努力をしながら観ていくのは、ただ見るよりも面白くてあっという間だった。
第一展示の時点で、もう時間がないことに気付き、第二展示のゾーンは駆け足になってしまった。1日ないとこれは楽しみきれない。スケジュールを失敗した。仏像の展示のゾーンもまた最高で、仏様の後ろ姿を見ることって普段絶対にないから、逆に正面から見るよりも貴重である。三尊だけは後ろも見れた。十二将の仏像も一体一体見た目も違うのは当たり前だけど、なんとなく雰囲気も違くて、仁平先生の言うような気を観るに至らないが、このなんとなくの雰囲気から掴み観察することにした。見た目と中身の一致は重要だとも思った。
昼は仁平先生と合流して行きたかった蕎麦屋に。行ってみたら、定休日だった。ショックが過ぎる。代わりの蕎麦屋に行って、太聖くんの若者食いっぷりを昨晩同様見守り、ああ、若いな、もう僕はこんなに食えない、と思い、ビールを飲み干した。今日こそは寝てしまう。
練磨会がスタート。最初の説明の時点でウトウトが止まらない。最近は実技実技って感じなので、冒頭の説明が終わったらお互いに施術し合う。今回も怪しい施術で、ちゃんと変化出るのかな、なんて思って練習してたけど、実際には変化が出て、驚いた。やっぱ凄い。
今度はやってもらう側になって、そういえば半年くらい気になっていた手首
と指の違和感をテーマに施術してもらった。
まさかの原因が16歳の時に母とバチバチだったお金への怒りであり、それを臍でとってもらったら、本当に手首と指の違和感が無くなった。
お金へのトラウマやブロックは感じていたので、自分で施術しなきゃと思っていたが、それが手首の違和感でずっと症状を訴えていたとは思わず意外だった。実際に施術後は、お金へのブロックが無くなったような気がして、頭のつっかえが取れた気がする。不思議なものである。
練磨会後は、久しぶりの阿部先生も交えて、焼肉に。珍しく男だけだったので、めちゃくちゃ盛り上がり過ぎて、飲み過ぎて、帰りの新幹線に乗り遅れそうだったので先に抜けてきた。途中途中は記憶にあるけど、あんまり覚えていない。それくらい盛り上がった。
帰りの新幹線では気持ち悪くなり、速攻寝た。気付いたら仙台で、周りに誰もいなかった。終点が仙台で良かった、と思いながら、どうやって乗り継いだか分からないが、家になんとかして着いて、風呂に入って寝たらしい。
妻にはうるさいと言われた気がするが、もうそんなことも全く記憶にない。
いい一日だった。
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