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幸福論

記憶のあちこちに虫食いができていて、そこから潮風が入り込むから、錆び付いてしまっている。あなたと一緒に行った近所のCDショップの、試聴機で聴いたあの曲、なんて曲だったっけ。学校をサボって見たあの映画の結末はどんなだっけ。ジュースを賭けた線香花火、勝ったのはどっちだっけ。錆び付いているから、思い出せないでいる。

自分で自分なりに定義した言葉、感情、事実を、想定外の角度で覆してくれる何かを、ずっと探している。死ぬまでずっと同じ純度で感じられる衝撃を、肌身離さず抱えておける痛みを、探している。無意味なことの連続、途方もない繰り返しの果てに、見つけられると期待している。定義することは限定することだと、オスカーワイルドが言っていた。

夜通し自問自答して、取捨選択して、添削して、赤ペンで書き殴って、限定した自分を、誰かに否定してほしかったのかもしれない。そしたらもう、忘れずにいられるのかもしれない。忘れずにいられたら、いくらすきま風が吹きすさんだって、耐えられる。もう寒くないよ、もう思い出の温みだけで生きていけるよ。思い出せなくて泣いていた夜に、言ってやりたかっただけだった。

乱立、軋轢、確執、衝突、空虚。
ゲームのリザルト画面、砂嵐。
桜吹雪、始発の車窓に滲む朝日。
中央分離帯、点滅する赤。

人生は椅子取りゲームで、誰かが唱えた思想も、そのまた誰かの模造品で、どんな言葉も一切合切は借り物になってしまうけれど、少なくともあなたに嘘を言ったことはなかったし、あなたの笑顔にも、多分嘘はなかった。それだけでいい気がする。とりあえずの一歩を進める理由なんて。

もういいかい?
もう、いいよ

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