何もない
きのう、祖父の供養納めがあった。父母と自分だけの小さな法事。祖母は認知症で施設に入っているため参列せず。20分くらいの読経の間、僕は坊主の読んでいる経典を後ろからじっと眺めていた。唱える側の坊主も聞く側の僕たちも、もっといえば葬式や法事に関わったことのある全ての人が、全ての国民が、意味もない無駄で長い時間だと思っているだろうから、こんなこと辞めてしまえばいいのになと思った。葬儀や法要がなぜ必要かといえば、それは遺族が気持ちに区切りをつけるためで、結局それは生きている側の自己満足のオナニーでしかないのだから、それなら別に遺体を爆破するセレモニーとかでも役目としては変わらないだろうしいいんじゃないかな。そんな罰当たりなことを考えていたら読経が終わっていた。
その後の法話はなんだか的を得ない締まりのない話だった。こうして、特に自分としては区切りの感覚なく、亡くなった祖父に関わる法事一切は終わったわけだ。
その後、認知症がかなり進み施設に入っている祖母にも会いに行った。病院や老人ホームの内装には白かクリーム色か薄いピンクしか使われていない。そんな気持ちの悪い空間の中をしばらく歩き、祖母の部屋へ向かう。共用スペースではTVが大音量で芸能人のゴシップを流していた。
部屋の引き戸を開けると熱気が伝わってきた。祖母はクーラーが嫌いで、つけておいても消してしまうので施設の人も困っているらしい。歳をとると感覚は鈍くなる。ベッドの上には切り抜かれたチラシや雑誌が多数。家に帰った時に料理の参考にするのだという。しかし、もう祖母は家に帰ることはできない。
僕のことを覚えているのかいないのか定かでない祖母と少し話す。僕が来ると怒りっぽく面倒な祖母が大人しくなるから、いつもは一人で面会に行っている母は助かっているらしい。しかし祖母は、自分は元気だ。今日家に帰るからね!と母に怒鳴っていた。これでもいつもよりはだいぶマシなのだそうだ。
祖母の足はどこかにぶつけたのか腫れて青黒くなっていた。祖母の体はもうほとんど骨と皮だけになってしまっている。そっと、ベッドの上にも天井にも赤い小さな虫が蠢いているから怖くてたまらないのよ、と僕に教えてくれた。祖母はもう3年はこの話をしている。
私は母との間で話があるから、出ていってね、と祖母の部屋を追い出され、共用スペースの片隅でスマホをいじる。技能実習生の方だと思うのだが、アジア系の女性が大テーブルを囲んで座っている老人たちの世話をしていた。その奥の事務スペースではスタッフが記録を書いている。ふと、この空間には何もないな、と思った。何もない。無くても変わらない。
老人たちがしていることを見てみると、うたた寝か、塗り絵か、tvを眺めているかだ。何もないなとまた思った。
面会が終わり、施設の駐車場に停まっている車に戻る。この施設に行くといつも必ず暗い気持ちになる。お前も年老いたらこうなるのだよ、と言われているような。あんなふうになるのなら死んだ方がマシだなと思った。
この文章は露悪がすぎるだろうか。
悪趣味な文章。