
祖父の命日
祖父の命日が近づいてきた。
私の祖父が亡くなったのは、随分と前のこと。
祖父は誰もが知る組織のお偉いさんだった。
頭がよく、背が高く、顔もよかった。
しかし、祖父は躾と称して暴力をふるった。
私は長い物差しで何度もぶたれた。
私はまだよかった。兄のやられようは本当に酷かった。
勝気な性格の祖父にとって、内気な兄は見ていられない存在だったのだろう。兄は何度も何度も物差しでぶたれていた。
しかし、私にとって祖父は、悪いところだけではなかった。
非常に勝気な性格の祖父。
「優勝」「一番」「勝つ」
これらの言葉が大好きだった。
私が育ったのは
「女は男の三歩後ろを歩くものだ」
「女がでしゃばるのはみっともない」
という価値観が根付く、クソみたいな田舎。
私のような
背が高く、気が強く、腕っぷしも強い女は
「みっともない」
「嫁の貰い手がいない」
と散々言われた。
しかし祖父と、祖父に育てられた母は
「性別なんか関係ない。勝つことは良いことだ」
と私を褒めてくれた。
あの窒息しそうな田舎で、自分の気質を認めてくれる人がいることは、救いだった。
私は被虐待児だ。
祖父母・両親・それから兄。
生育家庭の人々が私にした仕打ちを一生恨み続けるし、生育家庭の人々に会うことは二度とない。
しかし、あの家にも良いところはあった。
生育家庭の話をするときに
「でも、良いところもあったんでしょう?(だから赦したらどうなの)」
と訊かれることがある。
確かに、良いところはあった。
でも、良いところの存在は、赦しの理由にならない。
「良いところを認めることと、恨み続けることは、両立する」
このことに気づいて、生きやすくなったように思う。
飲む・打つ・買う、三拍子揃っていた祖父よ。
よそに女を作って祖母を泣かせた祖父よ。
トランクスで畑いじりをしてムカデに局部を刺された祖父よ。
あんなに気が強かったのに、肺がんが骨と脳に転移していると知った途端に小さくなった祖父よ。
私は祖父を赦しはしない。
だけど、感謝しているところもある。
祖父の命日。
あの日も、今日みたいな雪だった。
葬式に来る人たちの足を乱したところ、最後の最後まで祖父らしかった。
葬式でドリフの曲を流してくれと言った祖父。
とんでもないと断った祖母。
あのとき私がもっと大人だったら、どうにか叶えてあげたのにな。
斎場にラジカセ持ち込んで、祖父の望んだ葬式にしてあげたのにな。
祖母から怒られただろうけどな。
まとまらないけれど、これでおしまい。
最後まで読んでくださってありがとう。