恐怖と引き換えに海外生活最後の思い出作りを果たした話
私がまだ南アフリカに赴任していたころ、妻との散歩中によく観光用のヘリコプターを目にした。
当時住んでいたケープタウンは、大自然と都市が融合した美しい街だった。そして、晴れ渡った青空を漂う機体から一望するその街並みは、筆舌に尽くしがたいものだということが容易に想像できた。
「いつか乗ってみたいね」と妻が言う。
しかし、私は彼女にせがまれるたびに、その提案を拒否し続けた。なぜなら、私は大の高所恐怖症だったからだ。
高所嫌いの”あかんたれ”に訪れた一大危機
高層ビル、登山中に見る崖の下、観覧車、ジェットコースター、吊り橋など現実世界に潜んでいる敵は枚挙にいとまがない。高所に行くと、無意識下で恐怖心に支配されるのか勝手に脚がガクガクし出す。そして、体中がソワソワし、股間がぎゅーっとなる。
集団行動が多い子どものころは、そのような場面を回避することに必死だった。遊園地でジェットコースターに乗せられそうになったときは、その場にうずくまって泣きじゃくり、親からは「あんたは、ほんまにあかんたれやな(※)」と呆れられた。(※「あかんたれ」とは関西弁で「ヘタレ」という意味。)
また、中学時代の修学旅行では、絶叫マシンを楽しむ同級生たちに対して「ふん、そんな子どもだましの乗り物には騙されないぜ」と言わんばかりに斜に構えた態度を装い、男の友人とスワンボートに乗った。別のスワンボートに乗っていたバスの運転士とバスガイドに、その光景を目撃され恥ずかしい思いをしたのだが。
大人になってからは自分の苦手なものと対峙する必要がなくなったが、そんな中で今回の「ヘリコプター危機」に直面した。
テレビの中継での空撮シーンを思い浮かべるだけで、反射的に顔面中のシワが総動員体制で寄ってしまう。「あかんたれ」とでも小心者とでも言われても構わない、と、自分のノミのような自尊心と引き換えに、妻の「乗りたい攻撃」をうやむやにしていた。
「この日を逃せば、今後二度とチャンスは来ない」
ところが、そんな私にある心境の変化が生まれた。日本への帰国日が迫ってくるにつれ、心の中で「南アフリカ生活を悔いのないものにしたい」という思いが大きくなっていったのだ。
というのも、それまで日々の大半を仕事に追われ、その合間に趣味のランニングをねじ込むという生活を送っていたたため、ほとんど観光をしていなかった。
日本から1万3千キロ離れた異国でもジャパニーズ・サラリーマンとして社畜ぶりをいかんなく発揮して、現地を満喫することのないまま、人生の中の一章を閉じるべきなのか。
(いや、やはり観光はしておきたい。手っ取り早く非日常を味わえるアトラクションはないものだろうか……。)
そんなことを考えつつ空を見上げたところ、視界にある物体が飛び込んできた。
ヘリコプター!!
このチャンスを逃せば、上空から山と海に囲まれた街の中心部を見下ろせる機会は二度と来ない。これまで恐怖心に支配されていた心の奥底から「怖いもの見たさ」が芽吹いた瞬間だった。
とはいえ、高所はやっぱり怖い。それからというもの、ランニング中に上空にヘリを見つけては、心の中で好奇心が顔を出しては、ヘリがケープタウン特有の強風に煽られる様を想像して苦虫をかみつぶしたような顔になる、という葛藤の日々を繰り返した。
ヘリ観光のチケット売り場の前を通るたびに、「このまま行動を起こさないままでいいのか⁉」という思いが膨らんでいく。そう、私は「後悔したくない」という言葉に弱い人間なのだ。
建物の外から売り場の中をチラチラと眺めながら走りぬけていく様子は、まさに不審者だったと思う。
そして、帰国を数週間後に控えたある日の夕方、思わずチケット売り場の前で立ち止まってしまった。明日は祝日。しかも、今年は例年になく雨天が多いにもかかわらず、晴れ予報。
(この日を逃せば、今後死ぬまでヘリに乗るチャンスは来ないだろう。)
そんな衝動に駆られると、受付でパンフレットをもらい、すぐさま帰宅。
食事の準備をしていた妻の手を止め、ヘリに乗りたいと切り出した。
お気楽なパートナーの心変わり
頑なに高所を拒んでいたはずのパートナーの急な気の変わりように戸惑ったに違いないが、彼女は私の提案を歓迎し、予定を合わせてくれた。そして早速、ポケットからもらったパンフレットを取り出し、どのコースにするかを相談した。
どのコースも、ヘリ乗り場があるウォーターフロント地区を飛び立ち、私たちが住むケープタウンのあるケープ半島を周遊する。ヘリコプターに対する不安をぬぐい切れない私が最も飛行時間が短い12分コースを提案したものの、それでは時間が短いと、24分コースで譲らない彼女の意思を尊重することにした。
24分コースは、前半に半島を南下しながら海側から街並みを眺め、後半に内陸部に入って南アフリカの名産であるワインのブドウ畑を眼下におきながら戻っていくというものだ。
妻は、パンフレットでヘリのルートを確認しては目を輝かせている。もう後には引けない。
そしてこの日の就寝前、彼女がふとつぶやいた。
「明日風が強かったら怖いよね。この前パラグライダーの墜落事故が起きたって聞いたし」
この時まで、私は「墜落」という事態をまったく考えていなかった。今思い返すと、自分の能天気さにはまったく呆れてしまう。私は「墜落」という言葉を頭の中で数回繰り返すと、少しずつ心がグラグラと揺らいでいくのが分かった。
しかし、それでもヘリに乗りたい気持ちが勝った。
「たとえ墜落したとしても、人生を楽しもうとする過程で起きた事故なんだから、悔いはないよ」
自分自身を奮い立たせるように、彼女に言葉を返した。
すると、彼女がすかさずツッコミを入れた。
「あなたって本当にポジティブな人よね」
(えっ、自分ってそんなお気楽な考えの持ち主だと思われていたの⁉)
私は内心困惑したものの、すでに頭の中を乗っ取られた恐怖心を追い出すのに精一杯で、言い返すことができなかった。
数分黙り込んだのちに、「ちゃんと整備されているヘリといえども、墜落することもあるのかな?」と声をかけたが、いつも入眠が早い妻はすでに夢の中。現実世界に取り残された私は、寝床で一人悶々とし続けるのであった。
いざ、大空へ!
翌日、我々は酔い止めを服用し、チケット売り場へ向かった。混雑を避けるべく、朝10時にチケットを購入。
「安全の手引き」的なビデオを視聴後、観光を終え売り場に入ってきたと思われるほかの客と入れ替わる形で、カートに乗り、ヘリポートへ移動した。
カートを待つ間4、5組ほどの客が戻ってくるのを見た。我々が乗るであろうヘリもすでに今日一回は問題なく飛行できているようで一安心だ。
ヘリポートは海を埋め立てたであろうエリアにあり、そこに4台のヘリが止まっていた。そして、係員のおじさんに案内されるがまま、左から2番目のヘリに乗り込んだ。
白地に赤と黒の横線が入った機体には汚れやサビ一つなく、すでに一仕事終えたであろう白人の操縦士はどこか頼もしく見える。
騒音の中でもコミュニケーションがとれるようにヘッドセットを装着し、シートベルトで身体を固定するやいなや、すぐさまヘリが離陸した。飛行機のように加速した状態で飛び上がるのではなく、まるでそっと持ち上げられるような感じだった。
この日は珍しいくらい風が弱く、機体も安定している。あれよあれよという間にある程度の高度に達し、ヘリに乗り込んでからパニックに陥る間さえなかった。
ヘリがケープタウンのシンボルであるテーブルマウンテンという台形状の山に近づいたとき、操縦士が声をかけた。
「高いところは怖いかい?いまの高度は800メートルでテーブルマウンテンと同じくらいだから心配ないよ」
これまで得体のない不安に囚われていた私だったが、自分たちがいる高さを、何度も登ったことがある山の標高という身近な数字に置き換えられ、恐怖心が吹き飛んだ。前夜ベッドの中で固まっていた自分がバカバカしく思えてしまうほどに。
一時、海側から内陸部に急旋回し機体が45度くらい傾きときは、妻から「顔が引きつっていた」と言われるほど緊張したが、それ以外は充実した時間だった。
機体はケープ半島を一周し、無事ヘリポートに帰還。
着陸後、自分のこわばった表情が溶け、飛行中にいかに無意識に緊張していたかが分かった。しかし、それと同じくして、身体中が心地よい疲れと達成感に満たされていることを感じた。
たとえ苦手なことでも、前向きさをもってすれば克服できることもあるのだ。私はそんなことを考えてしまった。
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