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母の泣きどころ

こんにちは。
久賀塾の久保田です。

みなさん、自分が子供の頃を思い返してみてください。
特に反抗期、中学生や高校生の頃…。
母や父、または自分に一番近い保護者は自分にとってどんな存在だったでしょうか。

私にとっては、『不思議な人』という印象でした。
小さいことで怒ってくるし、それくらい分かってるよ!ということを心配してくるし、よく泣きよく笑い、すっとぼける。
私の母はそんな人です。

夜中に話し込む私達姉妹に「ごゆっくり〜」と言おうとしたものの、『ごゆっくりも変かな』と咄嗟に思い返した結果、「ごゆっ」とだけエラー音のようなものを発して寝室に去ったり。

洗顔(ボトル型)と歯磨き粉(チューブ型)を間違えて口を泡だらけにしたり。

BTSが好きだと言ったら、地元のスーパーで彼らの顔が印刷されたガムボトルを見つけるたびに
「金髪スーツ 3つありました」
「赤いニット たくさんあります」
とLINEしてきたり。

「金髪ニットのがほしいんだよね」
と言うと、
「金髪いっぱいおる どれや」
と写真を送ってきました(ありませんでした)。

先日久しぶりに会ったとき、
「私コーヒー飲めんかったんやけど、スタバは甘いし最近よく飲むんや」
と言ったところ
「ほ〜、じゃあ樹はフラペチーノとか食べるの?」
との返答。
フラペチーノは飲み物なので食べません。

基本はよく笑い、よく笑わせてくれる母ですが、同時にとても涙もろい人でもあります。
反抗期のころは『不思議な人だ、なぜ泣くのか』と思っていましたが、大人になってみて母の泣きどころがようやく分かってきました。

とにかく私のことが心配で、大切で、幸せになってほしくて、なんだか泣けてしまうのが母という生き物のようです。

これは塾で保護者の方と面談しているときにもよく感じることです。
進路の相談。
「うちの子全然勉強してないんです」
「昨日は夜中に帰ってきたんです」…
保護者の方々が話しているうちに目をうるませたり、一粒涙をこぼしたりするときは、常に『子供が心配で、幸せになってほしい』という気持ちが溢れてしまったものだと、よく分かります。

昨年、私は結婚式をあげました。
コロナ禍の関係で入籍からかなり時間は経ってしまって、ようやく迎えた冬の日でした。

私が帰省終わりに東京に戻るとき「ばいばーい」と言っただけで「またねって言ってよ」と泣く母です。

結婚式なんか泣くに決まってます。
典型的な号泣ポイントの『新婦の手紙』までに3回は泣くだろうと予想していました。

とは言っても私も晴れの舞台ですから、泣いてお化粧がぐちゃぐちゃにならないよう、事前に様々な『母が泣くであろうポイント』を予想して備えていました。
私も大概泣き虫なので、絶対にもらい泣きしてしまいますから。

想定していた最初の泣きポイントは、初めてドレス姿を見る瞬間。
挙式の前に親族紹介があったので、そこで私を一目見た瞬間に泣くだろう、と覚悟して部屋に向かいました。

想定に反して、母はマスク越しでも分かる満面の笑みで迎えてくれました。
「おめでとう」と拍手をして笑う母に、なんだか拍子抜けしたものです。

親族紹介は順調に進み、新郎の山賀側のご挨拶が一通り終わりました。
私もだいぶリラックスして、初めて会った方々に頭を下げたり笑ったりしていました。

さて私の側です。
父が立ち上がり、見事にソツなく挨拶を終えました。

「そしてこれが妻の…」と母が紹介されました。

立ち上がった母は笑顔のまま、
「新婦の母の…」
と言いかけて、突然言葉をつまらせ、涙をこぼしました。

これは困った。
大変想定外の泣き所です。
その場にいる誰も予測していなかった涙です。

自分の娘が『新婦』になってその場にいること、そして自分がその『母』であること。
それを言葉にした瞬間、胸が一杯になったようでした。

勘弁してくれよと思いながら、挙式前にも関わらずボロボロもらい泣きする私。
その場にいたほぼ全員の『親』である人達も心の準備ができておらずもらい泣き。
私側の親族紹介は全員鼻水をすすりながら行われ、大変思い出深いものとなりました。

改めて、母というのは不思議な生き物です。
心配したり、口うるさく言ったり、突然電話してきたり、親族紹介で泣いたり、大変忙しい生き物です。

私はあの母の涙を一生忘れられないと思います。
そして、我が子を塾に通わせようと思ってくれる保護者の方々の胸にも、きっとそんな思いがたくさん詰まっているのだと思いながら、今日も塾講師を続けています。

あーあ、この記事を書きながら私はまた泣きました。


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